第33話 魔王城は墓所だった
仲間たちと合流するまでに、半刻ほどかかった。
カイルとリシアは、まずエリオットを見つけた。
彼は崩れた礼拝堂のような場所で、白い花を抱いた女性像の前に立っていた。
その顔は、祈りを終えた者の顔ではなかった。
むしろ、信じていた祈りの向け先を見失った者の顔だった。
「エリオット、無事か」
カイルが声をかけると、エリオットはゆっくり振り返った。
「はい。怪我はありません」
「ここで何をしていた」
「……見ていました」
エリオットは壊れた石像へ目を向ける。
「この像は、王国の女神像ではありません。ですが、邪神の像にも見えない。むしろ、死者を悼むための像に見えます」
リシアが眉をひそめた。
「死者を悼む?」
「足元に文字があります。古い言葉なので正確には読めませんが、王国語で後から刻まれた注釈がありました」
エリオットは石像の台座を指さした。
そこには、薄く削れた王国語が残っていた。
「北方戦役死没者慰霊区画」
カイルは息を呑んだ。
「慰霊……」
魔王城に、慰霊区画。
その組み合わせが、頭の中でうまくつながらなかった。
魔王城とは、魔物が巣食う悪の居城ではなかったのか。
人を呪い、世界を滅ぼそうとする魔王の拠点ではなかったのか。
だが、目の前にあるのは祭壇だった。
壊れてはいるが、誰かが誰かを悼むために作った場所だった。
その後、三人はダリオと合流した。
彼は骨の山から起き上がった魔物を相手にしていた。
だが、その魔物はただのアンデッドではなかった。古い兵士の鎧をまとい、片手に折れた槍を持っている。胸には、王国の紋章ではない白い花の印が残っていた。
ダリオは大剣を構えながら叫んだ。
「こいつ、魔物っていうより兵士だ!」
カイルは聖剣を抜き、走り込む。
敵は鈍い。
だが、こちらへ向ける槍には明確な殺意よりも、何かを守ろうとする執念があった。
カイルとダリオが連携し、リシアの氷魔法で動きを止め、エリオットが浄化の祈りを放つ。
光を浴びた兵士の亡骸は、崩れる直前、ほんの一瞬だけ人の顔に戻った。
そして、かすれた声で言った。
「子らは……逃げたか……」
その言葉を残し、亡骸は灰となって消えた。
誰もすぐには動けなかった。
ダリオが大剣を下ろし、低く呟く。
「今の、何だよ」
エリオットは目を伏せた。
「あれは、魔物というより……魂の残滓です」
「魂の残滓?」
「強い未練を残した死者が、封印や魔力の影響でこの世に留まることがあります。邪悪な怨霊とは限りません」
カイルは灰の残った床を見つめた。
子らは逃げたか。
あの亡骸は、誰かを襲うためにいたのではない。
子どもたちを守ろうとして、ここで死んだのかもしれない。
その後、水路近くで震えていたマルクを見つけた。
彼は雷撃で怪物を退けた後、通路の隅で息を潜めていた。
怪我はなかったが、顔は青ざめていた。
「すみません……僕が文字を読んだから」
「今は責める時じゃない」
カイルは言った。
「全員生きている。それで十分だ」
マルクは唇を噛み、頷いた。
ようやく五人が揃った時、彼らは広い石造りの通路にいた。
通路の先には、大きな扉がある。
扉の周囲には、王国語と、それより古い文字が混ざって刻まれていた。
カイルは魔石灯を掲げ、王国語の注釈を読んだ。
「封印外郭、第三慰霊回廊。許可なき進入を禁ず」
リシアが小さく呟く。
「また封印」
ダリオが壁を叩いた。
「しかも慰霊回廊だ。魔王城って感じじゃねえぞ」
エリオットは、通路の壁に刻まれた古い絵を見ていた。
そこには、人々が地下へ逃げ込む様子が描かれている。
子どもを抱えた母親。
扉を守る兵士。
傷ついた者を運ぶ人々。
そして、黒い翼を持つ巨大な存在が、通路の奥に立っている。
魔王ゼルグレイス。
だが、その姿は人々を追い詰めるものではなかった。
彼は、背後から迫る何かに向かって立ちはだかっていた。
人々を守るように。
「これは……」
カイルは壁画に近づいた。
魔王の背後には、巨大な扉が描かれている。
その扉の向こうに、黒い光が渦巻いていた。
見ているだけで胸がざわつく、不吉な光。
リシアが不安そうに言う。
「カイル。これ、王都で見た魔王の絵と違うわ」
「ああ」
「王都の絵では、魔王が人々を襲っていた。でも、これは……」
「守っているように見える」
カイルは自分で言って、胸が冷えるのを感じた。
魔王が人を守っている。
そんなことはありえない。
ありえてはならない。
自分たちは魔王を討つために来たのだから。
だが、見えているものはそうだった。
ダリオが苛立ったように言う。
「どうなってんだよ。魔王城に慰霊区画があって、魔物は子どもを気にして消えて、壁画じゃ魔王が人を守ってる。俺たち、何を倒しに来たんだ?」
誰も答えられなかった。
カイルは王国からの命令書を取り出した。
魔王ゼルグレイスを討伐せよ。
封印の間を破壊せよ。
何度見ても、そう書いてある。
エリオットが命令書を見つめ、慎重に口を開いた。
「カイル。私は、少し怖くなっています」
「何がだ」
「もし、この場所が魔王の居城ではなく、封印施設や慰霊施設だったとしたら。私たちが破壊しようとしている封印の間は、本当に壊してよいものなのでしょうか」
リシアも頷いた。
「私も同じ。王国は何かを隠している気がする」
マルクは俯きながら言った。
「でも、王国の命令です。僕たちは勇者パーティーで……」
「だから何だ」
ダリオの声が低く響いた。
マルクがびくりとする。
「命令なら何でもやるのかよ。呪いの剣を拾えって言われたら拾うのか。毒沼を走れって言われたら走るのか。封印を壊せって言われたら、本当に壊すのか」
「それは……」
マルクは言葉を詰まらせた。
カイルは目を閉じた。
勇者とは何か。
王国に選ばれた者。
聖剣を持つ者。
魔王を討つ者。
民の期待に応える者。
そう思ってきた。
だが、もし王国の命令そのものが間違っていたら。
いや、間違いではなく、意図的に何かを隠していたら。
勇者は何を信じればいいのか。
その時、通路の奥で風が吹いた。
扉の前に積もっていた埃が舞い上がる。
カイルは目を細め、扉の中央に刻まれた古い文字を見た。
王国語ではない。
だが、その下に後から刻まれた小さな注釈があった。
カイルは魔石灯を近づけ、ゆっくり読んだ。
「ここは魔王の城にあらず。世界の罪を封じる墓所なり」
通路が静まり返った。
ダリオが低く呟く。
「墓所……」
リシアの顔が青ざめる。
「世界の罪を封じるって、どういう意味?」
エリオットは祈りの言葉を失ったように、ただ文字を見つめていた。
マルクは震える声で言う。
「王国の地図には、魔王城としか……」
「地図が嘘をついているのかもしれない」
カイルは言った。
自分の声が、思ったよりも静かだった。
もう否定できなかった。
この場所は、王国が教えてきた魔王城とは違う。
少なくとも、ただの悪の居城ではない。
慰霊区画。
封印外郭。
守るように描かれた魔王。
子どもを案じる死者の残滓。
そして、世界の罪を封じる墓所。
すべてが、王国の物語と食い違っている。
「レインなら」
リシアが小さく言った。
カイルは彼女を見る。
リシアは言い直さなかった。
「レインなら、きっとここで進むのを止める。全部調べるまで、絶対に扉を開けない」
ダリオが苦笑する。
「あいつなら、俺が文句言っても止めるだろうな」
「うるさいくらいにね」
リシアの声には、わずかな後悔があった。
カイルは命令書を見た。
封印の間を破壊せよ。
そして、扉の文字を見た。
世界の罪を封じる墓所。
どちらを信じるべきか。
いや、今すぐ信じるべきものを決める必要はない。
まず確かめるべきだ。
それは、カイルがレインから遅れて学び始めたことだった。
「この扉は開けない」
カイルは言った。
全員が彼を見る。
「少なくとも、何が封じられているのか知るまでは開けない。命令書には封印の間を破壊せよとある。だが、理由がわからないまま壊すことはできない」
マルクが不安そうに言う。
「王命に背くことになります」
「理由も知らずに壊すよりはましだ」
カイルは聖剣を鞘に収めた。
「俺は勇者だ。王国の道具じゃない」
言ってから、自分でその言葉の重さに気づいた。
王国の道具じゃない。
では、レインを追放した時の自分はどうだったのか。
王国が望む勇者像に酔い、戦えない仲間を不要と切り捨てた。
役に立つかどうかだけで価値を決めた。
それは、今の王国と何が違うのか。
カイルは拳を握った。
その時、通路の奥から低い振動が響いた。
扉の紋様が、わずかに赤く光る。
リシアが杖を構えた。
「何か来る」
エリオットが祈りを唱え始める。
ダリオが大剣を握る。
マルクも震えながら杖を構えた。
扉の向こうではない。
背後の通路から、複数の足音が近づいてくる。
王国兵だった。
黒い外套をまとい、王国の紋章を隠した兵たち。
その中心に、命令書を持つ男がいる。
「勇者カイル」
男は冷たい声で言った。
「宰相閣下の追加命令です。直ちに封印の間を開き、破壊を実行してください」
カイルは振り返った。
「理由を聞かせてもらう」
男の目が細くなる。
「勇者に理由は不要です。命令に従いなさい」
その言葉で、カイルの中の何かが決定的に冷えた。
墓所の静けさの中で、聖剣の柄に手を置く。
「なら、従えない」
王国兵たちが武器に手をかける。
勇者パーティーの背後には、世界の罪を封じる墓所。
前には、命令を押しつける王国兵。
魔王城と呼ばれた場所で、カイルは初めて王国に逆らった。




