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追放された鑑定士、辺境の廃村で“役立たずスキル”だけを育てたら、滅びた王国の真実まで見えてしまった  作者: swingout777
第6章 勇者パーティー崩壊

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第31話 毒沼の失敗

 魔王城は、黒い山脈の向こうに見えていた。


 遠目には城というより、巨大な岩の塊だった。

 尖塔は空を刺すように伸び、周囲には薄い霧が漂っている。山肌には枯れた木々がへばりつき、鳥の声も獣の気配もない。


 勇者カイルは、その城を見上げながら歩いていた。


 魔王ゼルグレイスがいる場所。

 王国から討伐を命じられた敵。

 自分が倒すべき存在。


 そう信じて進んできた。


 だが、胸の奥には小さな違和感が残っている。


 王国から届いた命令書には、魔王を討伐せよと書かれていた。

 そこまではいい。勇者として当然の命令だ。


 しかし、その後に続いていた言葉が引っかかっていた。


 封印の間を破壊せよ。


 なぜ、魔王討伐に封印の破壊が必要なのか。

 魔王が封印されているなら、倒した後に封印を維持する方が安全ではないのか。


 カイルは命令書を何度も読み返した。

 だが、そこに理由は書かれていなかった。


「カイル、足元」


 リシアの声で、カイルは我に返った。


 目の前には、黒ずんだ湿地が広がっていた。

 ぬかるんだ地面。

 淀んだ水たまり。

 ところどころに浮かぶ紫色の泡。

 鼻を突く、甘ったるく腐った匂い。


 魔王城へ続く道は、その湿地の中央を抜けている。


 ダリオが顔をしかめた。


「嫌な場所だな」


 神官エリオットも眉をひそめる。


「瘴気が混じっています。長居は危険です」


 攻撃魔法使いのマルクは、杖を握りしめながら言った。


「火で焼き払いますか?」


「やめて」


 リシアが即座に止めた。


「この匂い、燃える気体が混じっているかもしれない。爆発するわ」


 マルクは不満そうに口を閉じた。


 以前なら、ここでレインが前に出ていただろう。


 泥の色。

 水面の泡。

 生えている草の種類。

 瘴気の濃度。

 通れる場所と危険な場所。


 細かすぎるほど調べ、全員を待たせたはずだ。


 その面倒な時間を、カイルは何度も苛立ちながら待っていた。


 だが今、その時間がないことが逆に不安だった。


「迂回路は?」


 カイルが尋ねると、マルクが地図を広げた。


「ありません。少なくとも、王国から支給された地図では、この湿地を抜ける道が最短です」


「最短か」


 その言葉が、妙に嫌だった。


 最短路。

 効率。

 進軍予定。

 王国はいつも、それを重視する。


 だが、最短の道が安全とは限らない。


 カイルは湿地を見つめる。


「リシア、凍らせられるか?」


「表面だけなら。でも、下の泥までは無理。歩けば割れるかもしれない」


「エリオット、瘴気の浄化は?」


「できますが、範囲は限られます。全員を覆いながら進むと、かなり消耗します」


 ダリオが大剣を肩に担ぎ直した。


「悩んでも仕方ねえだろ。道はあるんだ。慎重に行けばいい」


 その声には、以前のような勢いはなかった。


 呪われた宝剣の一件以来、ダリオはどこか慎重になっている。

 本人は隠しているつもりだろうが、剣を握る手にも迷いがあった。


 カイルは頷いた。


「一列で進む。俺が先頭に立つ。足元をよく見ろ」


 パーティーは湿地へ足を踏み入れた。


 最初の数歩は問題なかった。

 地面は柔らかいが、沈むほどではない。

 水たまりを避け、枯れた草の上を選べば進める。


 だが、十数歩進んだところで、リシアが小さく咳き込んだ。


「リシア?」


「大丈夫。少し匂いがきついだけ」


 エリオットが浄化の祈りを唱える。

 淡い光が一行を包み、腐ったような匂いが少し薄れた。


 その時、マルクが足を滑らせた。


「うわっ!」


 彼の片足が、黒い泥の中へ沈む。


 膝下まで一気に埋まった。


「動くな!」


 カイルが叫ぶ。


 しかし、マルクは焦って足を引き抜こうとした。

 泥が粘り、さらに体勢が崩れる。


 彼の手が近くの水たまりに触れた。


 じゅ、と嫌な音がした。


「痛っ!」


 マルクが悲鳴を上げる。


 手袋の表面が焼けるように溶けていた。


「毒沼だ!」


 リシアが叫ぶ。


 エリオットがすぐに駆け寄ろうとする。


「待て、地面を見ろ!」


 カイルは叫んだ。


 自分でも、なぜその言葉が出たのかわからなかった。


 だが、見えた。


 マルクの周囲だけ、草の色が違う。

 黒い水たまりの縁に、紫色の小さな泡が浮いている。

 乾いているように見えた地面の下にも、毒を含んだ泥が広がっている。


 レインなら、最初に気づいただろう。


 カイルは歯を食いしばった。


「リシア、氷で足場を作れ! エリオットは浄化を広げるな。マルクの手だけだ!」


「わかった!」


 リシアが杖を振る。

 マルクの周囲に薄い氷の板が広がる。完全ではないが、足場にはなる。


 エリオットがマルクの手に浄化と治癒を施す。


「我慢してください。毒が皮膚に入り込んでいます」


「くそっ、くそっ!」


 マルクは青ざめながら呻いた。


 ダリオが剣の鞘を伸ばし、マルクに掴ませる。


「引くぞ!」


「折れるなよ!」


「お前が暴れなきゃな!」


 ダリオとカイルが力を合わせ、マルクを泥から引き抜いた。


 泥がずるりと音を立て、彼の足がようやく抜ける。

 ブーツの表面は変色し、ところどころ溶けていた。


 マルクは氷の上へ倒れ込み、荒く息をした。


 リシアが厳しい顔で言う。


「このまま進むのは危険よ」


「戻るか?」


 ダリオが聞く。


 カイルは周囲を見た。


 来た道も安全ではない。

 後方の泥も、彼らが踏んだことで水が染み出し始めている。

 進むにも戻るにも、足場を選ばなければならない。


 そして誰も、その足場を正確には見極められない。


「……少し待て」


 カイルは膝をつき、湿地の地面を見た。


 草の色。

 泡の大きさ。

 泥の沈み方。

 水面の油膜。


 レインは、いつもこういうものを見ていたのか。


 何気ない景色の中から、危険だけを拾い上げていたのか。


「カイル?」


 エリオットが声をかける。


「この泡が多い場所は避ける。草が白く変色している場所もだ。黒い水たまりの縁は踏むな。泥が乾いて見える場所でも、表面がひび割れていないところは沈む」


 リシアが目を見開いた。


「あなた、そんなことわかるの?」


「わからない」


 カイルは正直に言った。


「だが、見ないよりはましだ」


 その言葉に、誰も笑わなかった。


 慎重に進む。


 それは、以前ならレインの役目だった。

 今は、カイルがやるしかない。


 パーティーは進路を変えた。

 カイルが先頭で地面を確かめ、リシアが一時的に足場を凍らせる。エリオットは消耗を抑えながら浄化をかけ、ダリオがマルクの体を支えた。


 進む速度はひどく遅い。

 予定はさらに狂っていく。


 だが、誰も急げとは言わなかった。


 半刻ほどかけて、ようやく毒沼の中心部を抜けた。


 全員が泥だらけだった。

 マルクの手と足には包帯が巻かれ、リシアの顔色も悪い。エリオットは魔力をかなり使い、ダリオも疲労を隠せていない。


 カイルは最後に湿地を振り返った。


 毒沼は、静かに泡を吐いている。


 もし、最初にマルクが落ちた場所で火魔法を使っていたら。

 もし、焦って全員が駆け寄っていたら。

 もし、毒の泡に気づかず進んでいたら。


 結果はもっと悪かったはずだ。


「また助けられた気がするな」


 ダリオがぽつりと言った。


 カイルは彼を見る。


「誰にだ」


「レインにだよ」


 ダリオは泥のついた手袋を見下ろした。


「いねえのに、あいつが言いそうなことばっか考えちまった。足元を見ろとか、草の色が変だとか、泡に触るなとか」


 リシアも小さく頷いた。


「私も。火を使うなって、先に思った。前なら、レインが言う前にうるさいって言ってたのに」


 エリオットはマルクの包帯を結びながら言う。


「彼の慎重さを、私たちは軽く見ていましたね」


 マルクは唇を噛んだ。


「僕は……レインさんの代わりに入ったのに」


 誰も責めなかった。


 マルクは攻撃魔法使いだ。

 鑑定士ではない。

 同じ役目を求める方が間違っていた。


 その間違いをしたのは、誰か。


 カイルは自分だとわかっていた。


「先へ進む」


 彼は静かに言った。


「だが、今後は無理に急がない。怪しいものは必ず止まって確認する」


 ダリオが苦笑する。


「レインみたいだな」


「そうだな」


 カイルは否定しなかった。


 そのことに、仲間たちが少し驚いた顔をした。


 カイルは魔王城を見た。


 黒い城は、さっきよりも近い。

 だが、その姿は勇者を待つ悪の城というより、沈黙した巨大な墓標のように見えた。


 胸の違和感は、さらに大きくなっている。


 封印の間を破壊せよ。


 その命令が、また頭をよぎった。


 毒沼を抜けた先に、古い石碑が立っていた。


 カイルは近づき、表面の苔を払う。


 文字は王国語ではなかった。

 だが、下の方に後から刻まれた王国語の注釈があった。


「この先、魔王城外縁。封印区域につき、王命なき立ち入りを禁ず」


 リシアが眉をひそめる。


「封印区域?」


 エリオットも不安そうに呟く。


「魔王の居城ではなく、封印区域……」


 カイルは石碑を見つめた。


 まただ。


 魔王を倒すために進んでいるはずなのに、出てくる言葉は封印ばかりだ。


 カイルは命令書を取り出し、もう一度見る。


 魔王ゼルグレイスを討伐せよ。

 あわせて、封印の間を破壊せよ。


 毒沼の失敗で、彼はようやく理解し始めていた。


 見えている道が、正しい道とは限らない。

 与えられた命令が、正しい目的とは限らない。


 レインなら、きっと立ち止まって調べただろう。


 カイルは石碑から手を離した。


「今日はここで休む」


 ダリオが驚いた。


「進まないのか?」


「進まない。マルクの治療が先だ。それに、この先は調べながら進む」


 リシアが静かに頷いた。


「その方がいいと思う」


 エリオットも同意した。


「私もです」


 カイルは魔王城を見上げた。


 勇者パーティーは、まだ進める。

 けれど、以前のように何も疑わず突き進むことは、もうできなかった。


 毒沼に足を取られたのは、マルクだけではない。


 彼ら全員が、王国の敷いた見えない泥の上を歩いているのかもしれなかった。


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