第30話 魔王城へ向かう理由
魔王城方面で、封印圧が低下している。
ノルのその言葉に、エルネ村の空気は一瞬で変わった。
村を守ると決めたばかりだった。
井戸を守り、畑を守り、ミラを王国へ渡さない。
そのために、柵を直し、薬を用意し、監視点を潰すはずだった。
だが、ノルが告げた異変は、村の外から来ていた。
「封印圧ってのは、要するに何だ」
ガルドが斧を担いだまま尋ねる。
「簡単に言えば、蓋を押さえる力だ」
ノルは地下入口の上で光を揺らした。
「百年前、ルミナリア王と魔王ゼルグレイスは、古代兵器を封じた。その封印は一枚岩ではない。いくつもの支点と守護核で成り立っておる」
「守護核が魔王ゼルグレイスか」
レインが言うと、ノルは頷くように光った。
「そうだ。魔王城と呼ばれている場所は、実際には主封印を守る中枢施設だ。ゼルグレイスはそこに留まり、封印の崩壊を抑えてきた」
セラが顔をこわばらせる。
「王国は、それを知っているの?」
「少なくとも、上層部は知っておるだろうな。知らぬのは、民と兵と、勇者本人くらいであろう」
勇者本人。
その言葉に、レインはカイルの顔を思い出した。
白銀の鎧。
聖剣。
王都の歓声。
そして、追放を告げた冷たい声。
あの日のことを思い出すと、今でも胸は痛む。
だが、今は怒りだけを見ている場合ではなかった。
「カイルたちは、魔王を倒せば世界が救われると思っている」
「王国がそう教えてきたからね」
セラが低く言った。
「勇者パーティーは、王国にとって一番使いやすい刃よ。正義の名で動く。疑わずに進む。民も称える。失敗しても、魔王が強かったと言えば済む」
ガルドが舌打ちする。
「いいように使われてるってわけか」
「おそらくな」
レインは拳を握った。
「でも、カイルが魔王を倒せば、封印が弱まる。下手をすれば古代兵器が目覚める」
「そういうことだ」
ノルの声は重かった。
「王国の狙いは魔王討伐ではない。守護核を傷つけ、封印を破り、その奥にあるものを手に入れることだ」
ミラは首飾りを握りしめた。
「その奥にあるものって……古代兵器?」
「今わかっている範囲ではな」
ノルは少しだけ言葉を濁した。
レインはそれに気づいたが、今は追及しなかった。
すべてを一度に知ろうとすれば、ミラが危うい。
それは昨日、嫌というほど理解した。
「じゃあ、放っておけないね」
ミラが小さく言った。
レインは彼女を見た。
「ミラ」
「だって、勇者の人たちは知らないんでしょう? 魔王が本当は封印を守ってるかもしれないって。王国に利用されてるかもしれないって」
「そうだと思う」
「なら、伝えなきゃ」
ミラの声は震えていた。
けれど、その目は逃げていなかった。
「魔王を助けたいとか、王国を倒したいとか、まだそこまではわからない。でも、知らないまま誰かが取り返しのつかないことをするなら、止めたい」
ガルドが大きく息を吐く。
「魔王を止めるんじゃなく、勇者を止めに行くのか。とんでもねえ話になってきたな」
「魔王城へ向かうには、距離があるわ」
セラが冷静に言った。
「王国の部隊も動いている。エルネ村を空にするのは危険よ」
「全員で行く必要はない」
レインは村の地面に描いた簡易地図を見た。
エルネ村。
魔王城方面。
王都からの街道。
王国の監視点。
「村は捨てない。ガルドには残ってほしい」
「あ?」
ガルドの眉が上がる。
「俺だけ留守番か?」
「守りが必要だ。王国がまた来る可能性がある。今この村で正面から兵を止められるのはガルドだけだ」
「そう言われると断りにくいな」
「それに、腕もまだ治りきっていない」
セラがすかさず言う。
「ほら見ろ。薬師までそう言ってる」
「薬師に言われると腹が立つ」
「医療的判断よ」
ガルドは不満そうに鼻を鳴らしたが、やがて斧を肩から下ろした。
「わかった。村は俺が見る。だが、王国兵が大勢で来たら長くは持たねえぞ」
「長く持たせなくていい。監視点を潰して、入口に罠を増やす。ノルも地下施設から警戒できるんだろう?」
「もちろんだ。わしをただの喋る石と思うな」
「思っていた」
「失礼な」
レインは続けた。
「セラには来てもらいたい。封印や研究機関の知識が必要になる」
「言われなくても、そのつもりよ」
セラは薬鞄を閉じた。
「王国が古代兵器を狙っているなら、研究機関の資料と照らし合わせる必要がある。魔力暴走への薬も持っていくわ」
残る問題は、ミラだった。
レインは彼女を見た。
「ミラは村に残ってほしい」
ミラの顔がすぐに曇る。
「どうして?」
「危険すぎる。王国はミラを狙っている。魔王城に近づけば、封印が反応するかもしれない。記憶も不安定だ」
「でも、私がいないと開かない扉があるかもしれない」
「それでも――」
「レイン」
ミラは遮った。
強い声だった。
「私は、ここに残るって決めた。自分のことを知るって決めた。なのに、大事なところだけ置いていかれたら、また一人で待つだけになる」
レインは言葉を失った。
「怖いよ。魔王城なんて行きたくない。王国にも会いたくない。でも、私の首飾りや記憶が関係してるなら、私も知らなきゃいけない」
ミラは胸元の青い石を握った。
「私は鍵かもしれない。でも、鍵として使われるんじゃなくて、自分で選びたい」
ノルが静かに光った。
「よい答えだ」
レインは黙ってミラを見つめた。
本当は残ってほしい。
安全な場所にいてほしい。
だが、エルネ村はもう安全な場所ではない。
そして、ミラを守るということは、彼女から選ぶ権利を奪うことではない。
「わかった」
レインはゆっくり頷いた。
「一緒に行こう。ただし、無理はしない。記憶が揺らいだらすぐ休む。危険だと判断したら引き返す」
「うん」
「約束できるか?」
「約束する」
ミラは真剣に頷いた。
ガルドが二人を見て、ふっと笑った。
「まるで親父と娘だな」
「違う」
レインとミラの声が重なった。
セラが小さく笑う。
「息は合っているわね」
少しだけ、重苦しかった空気が和らいだ。
だが、時間はない。
ノルが魔法図を空中に映し出した。
魔王城へ向かう最短路。
王国軍が使う街道。
古いルミナリアの地下道。
今も通れるかどうか不明な避難路。
「地上の街道を使えば王国に見つかる」
ノルが言う。
「ならば、旧避難路を使うべきだ。エルネ村の地下施設から途中までは繋がっておる。ただし、百年以上使われていない。崩落や魔物の侵入は覚悟せよ」
「楽な道はないのか?」
ガルドが尋ねる。
「人生にも地図にも、楽な道は大抵罠である」
「石に人生を語られたくねえな」
「古代魔導具だ」
レインは魔法図を見つめた。
旧避難路を通れば、王国の監視を避けて魔王城方面へ近づける。
だが、村を出ることになる。
守ると決めた場所を、一時的に離れなければならない。
迷いがないと言えば嘘になる。
それでも、行かなければならない。
魔王城で封印が破れれば、エルネ村だけ守っても意味がない。
王国がミラを狙う理由も、封印の真実も、魔王ゼルグレイスに会わなければ確かめられない。
「出発は?」
セラが尋ねる。
「明朝」
レインは答えた。
「今夜は準備をする。薬、食料、道具、地下道の地図。村の防衛もできる限り整える」
ガルドが頷いた。
「任せろ。入口に三つ、嫌な仕掛けを作っておく」
「殺す罠はやめてくれ」
「わかってる。転ばせて、泥まみれにして、心を折る程度だ」
「それも十分嫌だな」
ミラが少しだけ笑った。
その笑顔を見て、レインは改めて思った。
この笑顔を、王国の研究室にも、封印の道具にもさせない。
夜が来るまで、全員が動いた。
ガルドは村の入口に鳴子と落とし穴まがいの仕掛けを作り、セラは薬を調合し、ミラは井戸水を革袋に詰めた。
レインは地下道用の道具を鑑定し、使えるものと危険なものを選り分けた。
夜半、準備を終えた頃。
ノルが地下施設から新たな反応を拾った。
「魔王城外縁に、勇者パーティーの魔力反応を確認」
レインは顔を上げた。
「カイルたちが?」
「おそらくな。封印の外門付近まで到達している」
ミラが息を呑む。
セラの表情も険しくなる。
ノルは続けた。
「時間は多くない。彼らが封印の間へ入れば、王国の命令が実行される可能性がある」
レインは魔王城方面の闇を見た。
かつて自分を追放した勇者が、今、世界を壊す刃にされようとしている。
止めなければならない。
恨みが消えたわけではない。
許したわけでもない。
けれど、それとは別に、見過ごせないものがある。
「明朝、出る」
レインは静かに言った。
「魔王を倒すためじゃない。魔王城で、何が本当なのかを確かめるために」
エルネ村の井戸が、月明かりの下で静かに揺れていた。
その水面には、遠く黒い城へ続く道が、かすかに映っているように見えた。




