第29話 レイン、村を守ると決める
セラが持ち出した研究資料は、薄い紙束にすぎなかった。
だが、そこに書かれていた内容は重かった。
封印鍵。
血統照合。
魔力抑制具。
記憶継承反応。
古代兵器起動仮説。
どの言葉も、ミラを人として見ていなかった。
王国研究機関にとって、ミラは一人の少女ではない。
封印を開くための条件。
古代兵器へ近づくための道具。
失われたルミナリア王家の血を引く、使える素材。
レインは紙束を閉じ、深く息を吐いた。
「胸糞悪い資料だな」
ガルドが低く言った。
彼は井戸のそばに座り、巨大な斧の刃を布で拭いている。
その動きは荒っぽいが、目だけは真剣だった。
「でも、必要な資料よ」
セラは薬鞄を整理しながら言った。
「抑制具の術式がわかれば対策を作れる。眠り薬の成分がわかれば解毒薬も用意できる。王国が何を狙っているのか知れば、先に動ける」
「知るほど嫌になるな」
「知らないまま奪われるよりはいいわ」
セラの声は冷静だった。
けれど、指先はわずかに震えていた。
研究機関で見たもの。
助けられなかった子どもたち。
逃げた自分への悔い。
彼女はそれを隠そうとしている。
だが、完全には隠しきれていなかった。
ミラは井戸の縁に腰かけ、首飾りを両手で握っていた。
青い石は、朝の光を受けてかすかに光っている。
以前なら綺麗だと思えたかもしれない。
けれど今、その光は王国が彼女を狙う理由でもあった。
「私がいなければ」
ミラが小さく呟いた。
レインは顔を上げる。
「ミラ」
「私がいなければ、王国はこの村に来ないんじゃないかな」
その言葉に、ガルドの手が止まった。
セラも薬瓶を置く。
ミラは俯いたまま続けた。
「レインは追われなくて済む。ガルドも、セラも、ここで危ない目に遭わなくて済む。井戸も畑も、少しずつ戻ってきたのに、私がいるから全部壊されるかもしれない」
「違う」
レインは即座に言った。
ミラが顔を上げる。
「王国が来るのは、ミラのせいじゃない。王国が欲しがっているからだ。奪おうとしているからだ」
「でも、狙われてるのは私で」
「だからといって、悪いのはミラじゃない」
レインは資料を持ち上げた。
「ここに書かれているのは、王国が何をしようとしているかだ。ミラが何をしたかじゃない」
ミラの瞳が揺れる。
「でも、怖いの」
「うん」
「私、鍵なんかじゃないって思いたい。でも、首飾りは反応する。地下の扉も開いた。王女ミラの記憶も見える。私が普通じゃないのは、本当なんだよ」
レインは少し黙った。
安易に否定することはできない。
ミラの首飾りは本物だ。
地下扉は彼女に反応した。
ルミナリア王家の記憶も、彼女の中に眠っている。
けれど、それでも。
「普通じゃなくても、人だ」
レインは言った。
「それだけは変わらない」
ミラは唇を噛んだ。
その時、ノルが地下入口からふわりと浮かび上がってきた。
「珍しくまともなことを言うではないか、未熟な鑑定士」
「珍しくは余計だ」
「事実を述べたまでだ」
ノルはいつものように偉そうだったが、その光はどこか穏やかだった。
「鍵とは役割であって、存在のすべてではない。扉を開ける者にも、開けぬ選択はある。使われるのではなく、自ら選ぶならば、それは道具ではない」
ミラはノルを見た。
「私が、選べるの?」
「当然だ。選べぬ鍵など、ただの金属片である。おぬしは金属片ではなかろう」
「うん……たぶん」
「そこは断言せぬか」
ノルの声に、ミラが少しだけ笑った。
その笑みを見て、レインは胸の奥がわずかに緩むのを感じた。
だが、状況は笑って済むものではない。
王国はもう、この村を見つけている。
支援団を装い、監視石を置き、夜にはミラをさらおうとした。
次はもっと大きな部隊が来る。
このまま村に残れば危険だ。
しかし逃げても、ミラの首飾りがある限り追跡されるだろう。
セラも研究機関から追われている。
ガルドも王国軍から逃亡者扱いされている。
ここにいる全員が、王国にとって都合の悪い存在だった。
「一つ確認したい」
レインは三人と一枚の石板を見回した。
「この村を出る選択肢もある。逃げるなら、今しかないかもしれない。王国が本隊を出す前に、森を抜けて別の町へ向かう」
ミラが息を呑む。
ガルドは斧を肩に担いだ。
「俺は逃げてもいいが、どうせ追われる。なら、井戸の水が飲める場所で迎え撃つ方がましだ」
セラも静かに言う。
「私も同じ。研究機関は私を逃がさない。どこへ行っても追っ手は来る。それに、ここには資料にないルミナリアの記録がある。対抗策を作るなら、この村にいる方がいい」
ノルは得意げに光った。
「わしは施設管理人格である。逃げられぬ」
「聞くまでもなかったな」
「扱いが雑だぞ」
最後に、レインはミラを見た。
ミラは井戸の水面に目を落とした。
水は静かに揺れている。
昨日まで濁っていた井戸。
百年前の声を抱えた井戸。
そして今は、皆の食事と薬と生活を支えている井戸。
「私は、ここにいたい」
ミラは言った。
「怖い。でも、逃げるより、ここで知りたい。王女ミラのことも、ルミナリアのことも、この村の人たちのことも。私が何者なのかも」
彼女は顔を上げた。
「それに、ここはもう一人じゃないから」
レインは静かに頷いた。
「わかった」
彼は立ち上がった。
崩れた家々。
荒れた畑。
半分壊れた柵。
地下へ続く階段。
澄んだ水をたたえる井戸。
とても村と呼べる状態ではない。
王国に対抗できる砦でもない。
それでも、ここには暮らしが戻り始めている。
食卓ができた。
水が戻った。
仲間ができた。
レインは、もう通りすがりではなかった。
「この村を守る」
自分の口から出た言葉は、思ったよりもはっきりしていた。
ミラが目を見開く。
ガルドがにやりと笑う。
セラは少しだけ驚いたようにレインを見た。
ノルの光が、興味深そうに瞬く。
「俺は勇者じゃない。戦えないし、国を動かす力もない。だけど、見えるものはある。井戸の傷も、道具の嘘も、王国の仕掛けも、ここに残された過去も」
レインは資料を握りしめた。
「見えるなら、見なかったことにはしない」
その言葉を口にした時、レインは初めて、自分の中にあった迷いが少し消えるのを感じた。
勇者パーティーを追放された。
役立たずと言われた。
自分の価値がわからなくなった。
けれど今、自分が何をすべきかはわかる。
この村を守る。
ミラを道具にさせない。
セラが持ち出した知識を無駄にしない。
ガルドの斧が守ろうとする場所を作る。
ノルが百年以上守ってきた記録を、再び沈黙させない。
「まず、やることを分けよう」
レインは村の地面に棒で簡単な図を描いた。
「ガルドは入口と柵の補強。見張り台も直せる範囲で直す」
「任せろ。腕は動く」
セラが即座に睨む。
「動かしすぎたら縫う」
「……ほどほどに動く」
「セラは薬と対抗薬。眠り薬、抑制具、魔力暴走への備えを頼みたい」
「井戸水を使えば、いくつか作れるわ」
「ミラは、井戸と首飾りの反応を教えてほしい。無理はしない。何か感じたらすぐ言う」
「うん」
「ノルは地下施設の記録整理。王国が狙う封印が何なのか、できるだけ早く調べたい」
「命令口調が気になるが、内容は妥当だ」
「俺は村の外周と、王国の道具を鑑定する。監視点も潰す」
ガルドが楽しそうに笑った。
「村長みたいになってきたな、鑑定士」
「やめてくれ。向いてない」
「向いてるかどうかは、やってから決めりゃいい」
セラも小さく頷いた。
「少なくとも、今ここで一番状況を見ているのはあなたよ」
ミラが言った。
「私も、レインがいい」
何がいいのかは言わなかった。
けれど、その一言だけで十分だった。
レインは照れくさくなり、地面の図へ視線を戻した。
「じゃあ、まずは――」
その時、ノルの光が急に強くなった。
「待て」
全員がノルを見る。
「地下施設の記録室から緊急反応が上がった。主封印の魔力が揺らいでおる」
「主封印?」
レインの胸がざわつく。
ノルの声は、いつになく硬かった。
「魔王城方面だ。守護核の周辺で、封印圧が低下している」
セラの顔色が変わる。
「勇者パーティーが近づいているの?」
「可能性は高い」
ガルドが低く唸った。
「村を守るって決めた矢先に、今度は魔王城かよ」
レインは地下入口を見た。
魔王ゼルグレイス。
悪ではなく、封印を守る者かもしれない存在。
そして、彼を討つために進んでいる勇者カイル。
村を守るには、王国だけを見ていては足りない。
封印が破れれば、この村どころか、もっと大きな災厄が起きるかもしれない。
ミラが不安げに言った。
「レイン……どうするの?」
レインは拳を握った。
逃げない。
見なかったことにしない。
そう決めたばかりだ。
「調べる」
彼は言った。
「魔王城で何が起きようとしているのか。王国が何をさせようとしているのか。全部、確かめる」
エルネ村を守るための戦いは、村の中だけでは終わらない。
レインはそのことを、はっきり理解した。




