第20話 古代魔導具ノル
ノルは、壁画の前でふわふわと浮いていた。
石板のくせに、妙に偉そうだった。
いや、石板だからこそなのかもしれない。表情がない分、声の調子だけで態度の大きさが伝わってくる。
「さて、壁画は見たな。ならば少しは理解したであろう」
ノルが言った。
「王国が語る歴史と、ここに残された記録は違う。おぬしたちが常識と思っていたものは、勝者によって整えられた物語にすぎぬ」
ガルドが斧の柄を肩に乗せた。
「言い方がいちいち腹立つな、この石」
「石ではない。古代魔導具だ」
「見た目は石だろ」
「ならばおぬしは、ただの毛深い丸太か?」
「あ?」
「やめて」
セラが二人の間に割って入った。
「古代魔導具と喧嘩しても、治療薬は出ないわ」
ミラは少しだけ笑いかけたが、すぐに壁画へ視線を戻した。
黒い翼を広げた魔王。
その隣に立つルミナリアの王。
巨大な扉を封じる二人の姿。
彼女の首飾りは、まだ淡く光っている。
「ノル」
レインは石板を見上げた。
「お前は、ずっとここにいたのか?」
「そうだ」
「百年以上?」
「正確には百二十三年と七か月と十二日。もっとも、途中で休眠状態に入った期間が長い。完全に意識があったわけではない」
「それでも、待っていたんだな」
ノルの光が一瞬だけ揺れた。
「待つように作られた」
「作られたから待ったのか?」
「それ以外に理由が必要か?」
レインは少し考えた。
「必要だと思う」
ノルは沈黙した。
ガルドが意外そうにレインを見る。
セラも口を挟まずに見守っていた。
レインは続けた。
「道具なら、命令された通りに動けばいい。でも、お前は話している。怒るし、皮肉も言う。ミラを見て言葉を選び直した。なら、ただの道具じゃない」
「……妙な鑑定士だ」
ノルの声が少しだけ低くなった。
「大半の者は、わしを便利な記録装置か、面倒な鍵番としか見ぬ」
「俺も、勇者パーティーでは便利な鑑定係か、役立たずの荷物番だった」
「それで追い出されたわけか」
「知ってるのか?」
「おぬしの表面に残っている感情くらいは読める。怒り、悔しさ、諦め。ついでに、己の価値を疑う悪癖」
「悪癖か」
「悪癖だ。自分を低く見積もる者は、真実を読む時に判断を誤る」
レインは眉をひそめた。
「どういう意味だ」
「真実を見るには、目だけでは足りぬ。見たものを受け止める芯が要る。自分など大したことはないと思い込む者は、重大なものを見ても『自分の見間違いだ』と片づける」
その言葉は、思いのほか鋭くレインに刺さった。
聖剣の亀裂。
薬草に混じった眠り苔。
馬車の車輪。
どれも確かに見えていたのに、強く言い切れなかった。
自分の鑑定より、他人の自信のある声を信じてしまった。
「おぬしの鑑定は、物の価値を見るだけのものではない」
ノルは言った。
「残響を読む。記憶を拾う。場所に刻まれた痛みや願いに触れる。それは、ルミナリアでは『真実視』と呼ばれた力に近い」
「真実視……」
セラが小さく反応した。
「研究機関の古い資料で見たことがあるわ。実在しない伝説扱いだったけれど」
「王国の資料など、穴だらけであろう」
ノルは鼻で笑うように言った。
「真実視は、王国にとって最も都合の悪い力だ。隠したものを暴かれる。消した歴史を掘り起こされる。だから記録から消した」
レインは自分の手を見た。
鑑定。
ずっと、そういうスキルだと思ってきた。
物の状態を見るだけ。
価値を調べるだけ。
戦闘では役に立たない補助の力。
だが、この村に来てから見えているものは、明らかにそれだけではない。
「なら、俺は何を見ればいい?」
「急くな」
ノルの声が厳しくなった。
「真実は、ただ見ればよいものではない。順番を間違えれば、人は壊れる」
その言葉に、ミラが小さく身を震わせた。
レインは彼女の方を見た。
ミラは首飾りを握りしめている。
この地下に入ってから、彼女の顔色はずっと悪い。
「ミラの記憶のことか」
「それもある」
ノルは壁画へ向いた。
「鍵の継承者は、血だけでなく記憶の断片も継ぐ。だが、この娘の記憶層は不安定だ。無理に開けば、現在の人格を押し流す恐れがある」
ミラの顔が青ざめた。
「私が、私じゃなくなるってこと?」
「可能性の話だ」
「ノル」
レインは低く呼んだ。
「怖がらせる言い方をするな」
「事実を隠して安心させる方がよいか?」
「違う。言い方の問題だ」
ノルはまた沈黙した。
そして、少しだけ声を落とした。
「……すまぬ。百年眠っておったので、人との話し方の加減を忘れておる」
ガルドが目を丸くした。
「石が謝ったぞ」
「古代魔導具だ」
ノルは即座に返したが、その声には先ほどほどの棘はなかった。
ミラは小さく首を横に振った。
「大丈夫。怖いけど、知れてよかった。無理に思い出したら危ないんだね」
「そうだ」
「じゃあ、少しずつにする。レインもそう言ってたから」
ミラがレインを見る。
レインは頷いた。
「少しずつだ」
ノルの光が、二人の間を行き来する。
「よかろう。ならば、今のおぬしたちに必要な情報だけを与える」
「必要な情報?」
「この施設の役割だ」
ノルが壁画の反対側へ移動すると、床の一部が淡く光った。
そこに、地図のような魔法図が浮かび上がる。
エルネ村。
井戸。
北の旧倉庫。
地下通路。
そして、さらに奥にある巨大な円形の区画。
「ここは、ルミナリア王国北方守護施設。表向きは避難施設。実際には、封印の補助施設であった」
「封印って、壁画に描かれていた扉か?」
「そうだ。主封印は別にある。この地下は、その一部を支えるための施設にすぎぬ」
セラの顔が険しくなる。
「一部でこれほど大きいの?」
「主封印は、これより遥かに巨大だ」
ガルドが舌打ちする。
「何を封じてるんだよ」
ノルはすぐには答えなかった。
「それを知るのは、まだ早い。だが一つだけ言える」
石板の光が、壁画の中の魔王を照らした。
「魔王ゼルグレイスを倒せば、封印は弱まる」
レインの背筋に冷たいものが走った。
「今、勇者パーティーは魔王討伐に向かっている」
「知っておる」
「王国は、それを狙っているのか?」
ノルの声が低くなった。
「おそらくな。王国が百年越しに封印を欲しているなら、魔王討伐は口実にすぎぬ。守護者を排除し、封印を破るためのな」
セラが唇を噛む。
「研究機関で見た資料にも、封印解除の仮説があったわ。守護核を破壊すれば、主封印の抵抗が弱まると」
「守護核?」
「魔王ゼルグレイスのことかもしれない」
空気が重くなった。
勇者カイル。
レインを追放した男。
今も魔王を倒すために進んでいるはずの勇者。
彼が魔王を倒せば、世界が救われる。
王国では誰もがそう信じている。
だが、その前提が嘘だったなら。
魔王が封印を守っている存在なら。
勇者の剣は、世界を救うどころか、世界を壊す引き金になるかもしれない。
「止めなきゃ」
ミラが呟いた。
レインは彼女を見た。
「勇者を?」
「うん。だって、知らないまま魔王を倒したら、大変なことになるんでしょう?」
「そうかもしれない」
ガルドが斧を担ぎ直す。
「魔王を助けに行くってか。人生、何があるかわからねえな」
「まだ助けると決まったわけじゃない」
セラが冷静に言う。
「情報が足りない。ノル、主封印の位置は?」
「今の状態では開示できぬ。施設の記録室を再起動する必要がある」
「どうすればいい?」
「井戸の浄化魔導具は動いたな。ならば、次は記録室の魔力回路を復旧させる。必要な部品は、この施設内にある」
レインは魔法図を見つめた。
やるべきことが、また増えた。
村を守る。
井戸を維持する。
王国の監視に備える。
ミラの記憶を無理に開かない。
そして、勇者パーティーが魔王を倒す前に、封印の真実を確かめる。
重すぎる。
だが、不思議と逃げたいとは思わなかった。
レインはノルを見た。
「俺にできることは?」
「まず、自分の目を信じろ」
ノルは静かに言った。
「おぬしは役立たずではない。真実を読む者だ」
その言葉に、レインは息を止めた。
役立たず。
そう言われて追放された。
けれど今、この百年眠っていた古代魔導具は、自分を別の名で呼んだ。
真実を読む者。
レインは拳を握った。
「わかった。記録室を見せてくれ」
ノルは満足げに光を強めた。
「よかろう。未熟な鑑定士よ、少しは使えるところを見せてみよ」
「やっぱり一言多いな」
「仕様だ」
ガルドが吹き出し、ミラも少し笑った。
セラは呆れたように肩をすくめる。
壁画の部屋の奥で、新たな扉が静かに開いた。
そこから流れてきた空気には、古い紙と眠った記録の匂いが混じっていた。
ルミナリアが消された理由。
魔王が背負った悪名。
王国が隠しているもの。
その手がかりが、扉の向こうで待っていた。




