第18話 地下扉を開く
地下への階段は、村の中央にぽっかりと口を開けていた。
石碑の裏に隠されていたその入口は、昼間でも薄暗い。
井戸の水が戻ってから、地面の下で眠っていた何かが目を覚ましたようだった。
レインは入口の前に立ち、手にした魔石灯を掲げた。
階段は古い石で作られている。
幅は人が二人並べるほど。
壁には細かな紋様が刻まれ、奥からは冷たい風が吹き上がってくる。
すぐに入りたいわけではない。
むしろ、できることなら後回しにしたかった。
水、畑、食事。ようやく村に生活の形が戻り始めたばかりだ。
けれど、王国の地図にはエルネ村が印をつけられていた。監視点らしき記号もあった。王国は、ここに何かがあると知っている。
ならば、こちらも知らないままではいられない。
「本当に行くの?」
ミラが不安そうに尋ねた。
彼女の首元では、青い石の首飾りが淡く光っている。
地下入口が現れてから、その光は消えなくなっていた。
「ああ。ただし、今日は入口付近だけだ。奥までは進まない」
「それ、前にも聞いた気がする」
「今度は本当だ」
レインが言うと、横でガルドが鼻を鳴らした。
「こういう時の『入口だけ』は、だいたい奥まで行く羽目になるんだよ」
「不吉なことを言うな」
「傭兵の経験則だ」
ガルドは巨大な斧を肩に担いでいる。
腕の傷はセラの手当てで少し落ち着いたが、まだ万全ではない。セラは最後まで同行に反対していた。
「無理に戦ったら縫うと言ったわよね」
そのセラも、結局ついてきていた。
薬鞄を肩にかけ、魔力安定剤と包帯を多めに持っている。
「セラも来るのか?」
「あなたたちだけで地下に潜らせる方が怖いわ。怪我人を増やされたら面倒だもの」
「心配してくれてるのか?」
「面倒を避けたいだけよ」
即答だった。
それでも、彼女が来てくれることは心強かった。
セラは薬師であり、王国研究機関を知っている。地下にあるものが魔導具や封印に関わるなら、彼女の知識が必要になる。
レインは階段の最初の一段に触れた。
「鑑定」
石材の状態が流れ込んでくる。
劣化はしているが、崩落の危険は少ない。
魔力反応は強い。
通路全体に、何らかの保存術式がかかっている。
外気や水の侵入を防ぎ、百年以上、内部を保ってきたようだった。
「階段は問題ない。慎重に降りれば大丈夫だ」
「その言い方、逆に怖いわね」
セラが呟く。
「怖いくらいがちょうどいい」
レインは魔石灯を掲げ、一段目を下りた。
石の床は冷たく、靴裏に硬い感触が返ってくる。
ミラがすぐ後ろにつく。ガルドがその後ろで斧を構え、最後尾にセラが続いた。
十段ほど下りたところで、空気が変わった。
地上の湿った廃村の匂いではない。
もっと乾いた、古い書物のような匂い。
遠い昔から閉ざされていた場所の匂いだった。
壁の紋様が、ミラの首飾りに反応してぼんやりと光る。
「ミラ、苦しくないか?」
「うん。でも……懐かしい」
「懐かしい?」
「変だよね。来たことないはずなのに」
ミラは壁に手を伸ばしかけ、途中で止めた。
「誰かに手を引かれて、ここを降りた気がする」
レインは何も言わなかった。
子どもの靴に残っていた記憶。
倉庫から地下道へ逃がされた子どもたち。
その中に、ミラという名の少女がいた。
百年前の少女と、今ここにいるミラ。
その関係はまだわからない。
だが、この地下はミラを知っている。
階段を下りきると、石造りの小さな広間に出た。
正面には、重厚な扉があった。
扉は金属と石を組み合わせたような材質で作られている。
表面には、白い花を囲む三本の光の紋章。
ミラの首飾りと同じ紋章が刻まれていた。
「行き止まりか」
ガルドが扉を睨む。
「ぶち破れるか?」
「やめて」
セラが即座に止めた。
「こういう古代魔導扉を力任せに叩くと、封印反応で周囲ごと吹き飛ぶことがあるわ」
「物騒だな」
「古代人は侵入者に優しくないのよ」
レインは扉に近づいた。
手を触れる前に、鑑定を発動する。
「鑑定」
だが、情報はほとんど読めなかった。
名称、不明。
用途、封印門。
状態、休眠。
開放条件、血統照合。
照合対象――
その先が、白く霞む。
レインは眉をひそめた。
「血統照合……」
セラの表情が険しくなる。
「やっぱりね」
「知っているのか?」
「王国研究機関でも似た記録を見たことがある。ルミナリアの遺構は、特定の血筋にしか反応しない。だから王国は、その血筋を探していた」
レインはミラを見た。
ミラは首飾りを握りしめ、扉を見つめている。
「私……?」
「無理に触らなくていい」
レインはすぐに言った。
「ここで引き返してもいい。扉の場所がわかっただけでも十分だ」
ミラは小さく首を振った。
「怖いよ」
「うん」
「でも、ここまで来て、逃げたら……たぶん、ずっとこの扉のことを考える」
彼女の声は震えていた。
だが、その足は下がらなかった。
「私が何なのか、少しでも知りたい」
ミラは扉の前に立った。
レインは横に並ぶ。
「何かあったら、すぐ手を離せ」
「うん」
ミラが扉の紋章に手を触れた。
瞬間、首飾りの青い石が強く光った。
扉の紋章にも光が走る。
三本の線が白く輝き、花の形が浮かび上がる。
低い音が、地下広間全体に響いた。
レインの視界に、文字が浮かぶ。
「血統照合、開始」
ミラの顔が苦しげに歪む。
「ミラ!」
「だ、大丈夫……」
光は彼女の手から腕へ、首飾りへと流れていく。
まるで、扉がミラの中にある何かを確かめているようだった。
やがて、文字が変わる。
「照合、一致」
「登録名――」
レインは息を呑んだ。
今度こそ読めるかもしれない。
だが、次の瞬間、扉の奥から強い風が吹いた。
文字は掻き消え、重厚な扉がゆっくりと左右に開き始める。
長い眠りから目覚めるように、石と金属が軋む。
扉の向こうには、広い地下通路が続いていた。
壁には魔石灯が並び、ミラの首飾りに呼応するように一つずつ灯っていく。
闇の奥へ、青白い光の道が伸びた。
ガルドが低く口笛を吹く。
「こいつは……ただの地下室じゃねえな」
セラは表情をこわばらせた。
「保存施設。いえ、避難施設かもしれない」
レインは扉の向こうへ一歩踏み出しかけた。
その時、広間の奥から声が聞こえた。
古い、ざらついた声。
「ようやく、鍵が戻ったか」
全員が動きを止めた。
声は人間のものではなかった。
どこか金属的で、乾いた響きが混じっている。
ミラがレインの袖を掴む。
「今の……誰?」
魔石灯の光が、通路の奥を照らしていく。
そこには、小さな石板のようなものが浮かんでいた。
表面に刻まれた文字が、淡く輝いている。
石板は、偉そうな声で言った。
「誰とは失礼な。わしはルミナリア北方守護施設管理補助人格、第七号。もっとも、長いのでノルと呼べ」
ガルドが顔をしかめる。
「石が喋ったぞ」
セラが呟く。
「古代魔導具……まさか、まだ稼働しているなんて」
レインは浮かぶ石板を見つめた。
地下への扉は開いた。
そしてその奥には、百年以上眠っていたはずの声が待っていた。
エルネ村の地下に隠されていたものは、ただの遺跡ではなかった。




