第15話 逃亡薬師セラ
王国兵たちを縛り上げた後、レインは彼らの荷物を一つずつ調べた。
剣、槍、弩。
携帯食。
火打ち石。
簡易方位盤。
それから、折り畳まれた地図。
地図には、エルネ村が赤い印で囲まれていた。
その横に書かれていた文字が、レインの胸を重くする。
「ルミナリア反応、再確認」
ガルドは倒れた王国兵たちを見張りながら、低く唸った。
「つまり、俺を追ってきたついでじゃねえってことか」
「ああ。この村も目的だった」
「厄介だな」
「厄介どころじゃない」
レインは地図を広げたまま、眉を寄せた。
王国はエルネ村の異変に気づいている。
井戸が戻ったことか。
地下への入口が開いたことか。
それとも、ミラの首飾りの反応か。
わからない。
だが、王国がこの村を見逃すつもりがないことだけは確かだった。
ミラは井戸のそばで、落ち着かない様子で立っている。
先ほどの戦いでは、石を投げてレインを助けてくれた。だが、王国兵たちを見てから顔色が悪い。
「兵たちは、どうする?」
ガルドが尋ねた。
「殺すわけにはいかない」
「そりゃそうだ。だが、放せば戻って報告するぞ」
「報告される前提で動いた方がいい」
レインは縛られた兵たちを見た。
彼らの一人がこちらを睨んでいる。
恐怖よりも怒りが強い。命令に従っていただけだと思っている顔だった。
「今は、村の防備を整える方が先だ」
「防備ねえ。柵は腐ってる。見張り台は半分折れてる。兵は俺一人。鑑定士が一人。嬢ちゃんが一人」
「絶望的に聞こえるな」
「実際そうだろ」
ガルドはそう言いながらも、どこか楽しそうだった。
その時だった。
村の南側、森へ続く細い道の方で、草が揺れた。
ガルドが即座に斧を構える。
レインも短剣に手をかけ、ミラを背に庇った。
「また兵か?」
ガルドが低く言う。
レインは森の方を見た。
現れたのは、兵士ではなかった。
旅装束の女だった。
年は二十代半ばくらい。
灰色の外套を羽織り、肩から大きな革鞄を提げている。長い黒髪は後ろで雑に束ねられ、顔には疲労の色が濃い。だが、その目だけは鋭かった。
女は村の入口で足を止めた。
そして、縛られた王国兵たちと、斧を構えるガルドと、短剣を握るレインを順番に見た。
「……入る村を間違えたかしら」
落ち着いた声だった。
ガルドが眉をひそめる。
「あんた、何者だ」
「それはこちらの台詞よ。廃村だと聞いて来たら、王国兵が転がっていて、大男が斧を構えている。まともな歓迎とは言えないわね」
「答えろ」
ガルドが一歩踏み出す。
女は動じなかった。
ただ、彼の腕に巻かれた包帯を見て、目を細めた。
「その傷、洗い方が甘いわ。薬草は当てているけれど、熱が残っている。明日には腫れるわよ」
ガルドの表情が固まる。
「……薬師か?」
「そう。名はセラ。水と休む場所を探していただけ」
レインは女の鞄に目を向けた。
革鞄の口から、薬瓶が数本覗いている。
乾燥薬草の匂いもする。確かに薬師の持ち物だ。
だが、それだけではない。
鞄の留め具に、小さな王国製の封印金具が使われている。
一般の薬師が持つには、少し高価すぎる品だった。
「王都から来たのか?」
レインが尋ねると、セラの視線がこちらに向いた。
「どうして?」
「鞄の金具が王都製だ。辺境ではあまり流通していない」
「よく見ているのね」
「職業柄」
「あなたは?」
「レイン。鑑定士だ」
セラの目が一瞬だけ鋭くなった。
「鑑定士」
その反応を、レインは見逃さなかった。
「鑑定士が珍しいか?」
「便利な職業だとは思うわ。使い方を間違えなければ」
含みのある言い方だった。
ガルドが割って入る。
「で、その薬師さんは何をしに来た。水が欲しいだけか?」
「水。できれば食料。あと、夜まで身を隠せる場所」
「追われてるのか?」
「見ればわかるでしょう」
セラは縛られた王国兵たちを一瞥した。
「あなたたちも、似たようなものでは?」
レインは彼女を観察した。
外套の裾に焦げ跡。
靴に王都近郊の赤土。
袖口に薬品の染み。
右手の指先には、小さな火傷がいくつもある。
薬師というより、研究室で薬品を扱っていた者の手だ。
「王国から逃げてきたのか?」
セラは少しだけ笑った。
「初対面で踏み込みすぎ」
「この村には王国兵が来ている。事情を隠したまま入れるわけにはいかない」
「それは正しい判断ね」
セラは革鞄を地面に置き、両手を上げた。
「武器は持っていない。薬ならある。あなたたちに害を与えるつもりもない。少なくとも、今は」
「今は?」
「信頼は段階を踏むものでしょう」
ガルドが鼻を鳴らした。
「ひねくれた女だな」
「斧を持った逃亡者に言われたくないわ」
「気に入った」
「私は気に入らないでほしい」
ミラが、レインの後ろで小さく笑った。
少しだけ場の緊張が緩む。
レインは井戸の水を木の器に注ぎ、セラへ渡した。
「煮沸済みだ」
「助かるわ」
セラは器を受け取り、匂いを確かめてから口をつけた。
飲んだ瞬間、彼女の表情が変わった。
「この水……」
「何か問題があるのか?」
「問題どころか、逆よ」
セラは器の中の水を見つめた。
「魔力濃度が異常に安定している。普通の井戸水じゃないわ。古い浄化魔導具を通した?」
レインは警戒を強めた。
「どうしてわかる」
「薬師だから」
「薬師は水を一口飲んだだけで、浄化魔導具の種類までわかるのか?」
セラは黙った。
その沈黙が、答えだった。
レインは彼女の鞄に触れた。
「鑑定してもいいか?」
「嫌だと言ったら?」
「この村には入れられない」
セラはしばらくレインを見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「中身を勝手に荒らさないなら」
「約束する」
レインは鞄の表面に手を置いた。
「鑑定」
情報が流れ込む。
革鞄。
王都製。
内部に薬瓶二十七本。
乾燥薬草。
包帯。
解毒剤。
魔力安定剤。
王国研究機関支給品。
レインの目が止まった。
王国研究機関。
さらに深く見ようとした瞬間、鞄の奥で何かが弾けた。
防鑑定の術式。
レインはすぐに手を離した。
「研究機関のものだな」
セラの表情から、わずかに余裕が消えた。
ガルドが斧を構え直す。
「研究機関だと?」
「元よ」
セラは低く言った。
「今は違う。逃げてきた」
「なぜ」
レインが尋ねると、セラはミラを見た。
ミラの首飾りを見た瞬間、彼女の顔色が変わった。
「あなた、その首飾り……」
ミラが反射的に胸元を押さえる。
レインが前に出た。
「知っているのか?」
セラは答えなかった。
ただ、村の中央にある井戸と、開いたままの地下階段の入口を順に見た。
そして、ひどく苦い顔をした。
「なるほど。そういうこと」
「何がだ」
「この村、ただの廃村じゃないのね」
「それはもう知っている」
「いいえ。たぶん、あなたたちが思っているよりずっと危険よ」
セラは鞄を拾い上げた。
「王国が探しているのは、遺跡だけじゃない。血筋よ」
ミラの指が首飾りを握りしめる。
「血筋……?」
セラは言いにくそうに視線を逸らした。
「詳しく話すには、私にも安全が必要。交渉しましょう。私はあなたたちの怪我を診る。薬も作れる。井戸の水も、正しく処理すれば強力な回復薬にできる」
「その代わり?」
「今夜だけ、ここに匿って」
レインはガルドを見た。
ガルドは肩をすくめる。
「薬師は必要だ。俺の腕も痛え」
「正直だな」
「痛いもんは痛い」
レインはミラを見た。
ミラは少し不安そうだったが、やがて小さく頷いた。
「怪我してる人、治せるなら……いてもいいと思う」
レインはセラに向き直る。
「今夜だけだ。だが、嘘をついていたら出ていってもらう」
「嘘はつかないわ」
セラは薄く笑った。
「全部を話すとは言っていないけれど」
「やっぱりひねくれてるな」
ガルドが言うと、セラは即座に返した。
「斧を振り回すよりは上品よ」
レインは小さく息を吐いた。
水が戻った村に、元傭兵が流れ着き、今度は逃亡薬師が現れた。
偶然にしては、出来すぎている。
エルネ村は、失われたものだけでなく、行き場を失った者まで引き寄せているのかもしれない。
その夜、セラはガルドの傷を診ながら、ぽつりと言った。
「王国研究機関は、ルミナリアの血を探していたわ」
レインは顔を上げた。
ミラの首飾りが、焚き火の光を受けて淡く光っていた。




