第13話 元傭兵ガルド
男は、崩れた門の前に立っていた。
背は高く、肩幅も広い。傷だらけの革鎧は砂と血で汚れており、右頬には古い切り傷が走っている。無精ひげに覆われた顔は、どう見ても善良な旅人には見えなかった。
何より目を引くのは、肩に担いだ巨大な斧だった。
刃は大きく、柄も太い。普通の人間なら持ち上げるだけで精一杯だろう。
だが男は、それをまるで薪割り用の道具のように軽々と担いでいる。
レインは短剣を構えたまま、ミラを背に庇った。
「王国兵に追われていると言ったな」
「ああ」
男は息を吐き、村の中を見回した。
「こっちは三日まともに寝てねえ。水も切れた。あんたらに危害を加える気はない。水を一杯くれりゃ、それで出ていく」
「その言葉を信じろと?」
「信じなくてもいい。だが、俺が本気で奪うつもりなら、最初からそうしてる」
男は斧を軽く揺らした。
脅しではない。事実として言っているだけの声だった。
ミラがレインの背中に隠れながら、小さく言う。
「レイン……」
「下がっていて」
レインは男から目を離さなかった。
「名前は?」
「ガルド」
「職業は?」
「元傭兵だ」
「元?」
「今は逃亡者だな」
ガルドは皮肉げに笑った。
「王国軍の仕事を請けた。辺境の魔物退治だと聞いてな。だが現地に着いたら、魔物じゃなくて人間を追えと言われた」
「人間?」
「ああ。王国に逆らった流民だの、禁制区域に入り込んだ盗賊だの、そういう説明だった。だが実際は、武器も持たない連中だった」
レインの手に力が入る。
「それで?」
「俺は降りた。金はいらんと言ってな。そしたら今度は、俺が口封じの対象になった」
ガルドは肩をすくめる。
「笑えるだろ。昨日まで雇ってた傭兵を、今日は反逆者扱いだ」
軽い口調だった。
だが、その目は笑っていない。
レインは、彼の言葉をすぐには信じなかった。
この村には、すでに王国の命令書がある。生存者を処分せよという、冷たい命令。王国が人を人として扱わないことはわかっている。
それでも、この男が本当のことを言っている保証はない。
「水は渡す。だが、斧は置いてもらう」
レインが言うと、ガルドは片眉を上げた。
「こいつを?」
「そのまま近づかれたら、こちらが危険だ」
「正直でいいな」
ガルドは斧を地面に置いた。
どすん、と重い音が響く。
土がわずかに沈んだ。
レインは井戸へ向かい、木の器に水を汲んだ。昨日まで濁っていた井戸の水は、今は澄んでいる。念のため煮沸した水を冷ましておいたものを差し出す。
ガルドは器を受け取ると、一気に飲み干した。
「……うまい」
その一言は、飾り気がなかった。
ミラの顔が少しだけ緩む。
井戸の水を褒められたのが嬉しかったのかもしれない。
「もう一杯いるか?」
ミラが思わず尋ねると、ガルドは意外そうに彼女を見た。
「いいのか?」
「うん。井戸、レインが直したから」
「へえ」
ガルドの視線がレインに移る。
「あんた、修理屋か?」
「鑑定士だ」
「鑑定士が井戸を直すのか」
「成り行きで」
「妙な鑑定士だな」
「よく言われる」
レインは水をもう一杯渡した。
ガルドは今度はゆっくり飲み、息をつく。
その姿からは、確かに疲労がにじんでいた。肩の動きが重い。左腕には包帯が巻かれているが、血が滲んでいる。
「腕を見せてくれ」
レインが言うと、ガルドは警戒した。
「あ?」
「傷が開いている。このままだと悪化する」
「医者でもあるのか?」
「違う。状態を見るだけだ」
「便利だな、鑑定士ってのは」
「戦場では役に立たないらしいけどな」
レインが何気なく言うと、ガルドは少しだけ目を細めた。
「誰がそんなこと言った?」
「昔の仲間だ」
「見る目のねえ連中だな」
その言葉は、レインの胸に妙に引っかかった。
レインは包帯の上から傷を鑑定した。
刃物による浅い裂傷。毒はない。だが汚れが入り、熱を持ち始めている。
「洗って巻き直した方がいい。薬草も少しある」
「そこまで世話になる義理はねえ」
「放っておけば熱が出る。王国兵から逃げているなら、動けなくなる方が危険だ」
ガルドはしばらくレインを睨んでいたが、やがて諦めたように座り込んだ。
「好きにしろ」
ミラが布と水を持ってくる。
レインは傷口を洗い、薬草を当て、包帯を巻き直した。
その間、ガルドは何も言わなかった。
だが、時折ミラの首飾りを見ていることにレインは気づいた。
「それを知っているのか?」
レインが尋ねると、ガルドは視線を逸らした。
「いや。ただ、似た紋章を見たことがある気がした」
「どこで?」
「覚えてねえ。昔の戦場か、古い砦か……いや」
ガルドは自分の斧を見た。
「こいつだったかもしれん」
レインは地面に置かれた斧へ目を向けた。
巨大な斧。
傷だらけで、刃こぼれも多い。だが、ただの古い武器にしては、妙に存在感がある。
「鑑定してもいいか?」
「人の得物を勝手に見る趣味があるのか?」
「聞いてから見てる」
「ならいい。壊すなよ」
レインは斧の柄に触れた。
「鑑定」
次の瞬間、いつもの武器情報が流れ込んできた。
材質、黒鋼。
重量、過大。
刃部損傷、中。
魔力伝導、低下。
製造、ルミナリア王国守護騎士団工房。
レインは息を止めた。
ルミナリア。
さらに奥へ意識が引き込まれる。
視界に、古い戦場が浮かんだ。
炎の夜ではない。
青い旗が風に揺れている。白い花を囲む三本の光の紋章。
鎧をまとった大柄な騎士が、同じ斧を握りしめている。
騎士は傷だらけだった。
背後には、逃げ惑う村人たちがいる。
「ここから先へは行かせん」
騎士が叫ぶ。
「この村は、我らが守る!」
映像はそこで途切れた。
レインは斧から手を離した。
心臓が早鐘を打っている。
この斧にも、記憶が残っていた。
「どうした?」
ガルドが低く尋ねる。
「この斧は、ルミナリア王国の守護騎士団が作ったものだ」
ガルドの表情が変わった。
「ルミナリア……」
「知ってるのか?」
「知らん。だが、その名前を聞くと妙に胸がざわつく」
ミラも同じように胸元を押さえていた。
レインは続けた。
「この斧の前の持ち主は、エルネ村を守ろうとしていた。王国兵を相手に、村人を逃がすために戦っていた」
ガルドは黙った。
荒々しかった目つきが、少しだけ揺れる。
「守れたのか?」
レインは答えに詰まった。
映像は途中で途切れた。
結末までは見えなかった。
「わからない」
「そうか」
ガルドは斧を見下ろした。
その大きな手が、ゆっくりと柄に触れる。
まるで初めてその重さを知ったような手つきだった。
「俺はこいつを、北の古戦場で拾った。ずいぶん昔だ。誰のものかも知らずに使ってきた」
「その斧は、ただの武器じゃない」
「ああ。今、そう思った」
ガルドは顔を上げた。
「この村は、王国に狙われてるんだな?」
レインは一瞬迷い、頷いた。
「おそらく」
「そこの嬢ちゃんもか」
ミラがびくりとする。
レインは彼女の前に立った。
「そうだ」
ガルドは舌打ちした。
「嫌な話だ。王国ってやつは、どこまで腐ってやがる」
「ここを出ていくなら、今のうちだ。王国兵が来るかもしれない」
レインが言うと、ガルドは低く笑った。
「追われてる俺に、逃げ場があると思うか?」
彼は斧を担ぎ直した。
「それに、水と手当ての借りがある。俺は借りを踏み倒すのが嫌いでね」
「まさか、残るつもりか?」
「しばらくだ」
ガルドは村の入口を見た。
「王国兵が来るなら、見張りくらいはしてやる」
ミラが小さく呟いた。
「本当に?」
「俺は子どもを斬る仕事を断って追われてる。今さら、狙われてる子どもを見捨てたら笑い話にもならねえ」
「子どもじゃない」
ミラがむっとして言うと、ガルドは初めて少し笑った。
「そうかい。じゃあ、小さい嬢ちゃん」
「それも違う」
「注文が多いな」
ほんの少しだけ、空気が緩んだ。
だが、その直後だった。
村の外、森の方から鳥が一斉に飛び立つ音がした。
ガルドの表情が一瞬で変わる。
斧を握る手に力が入った。
「来やがった」
「王国兵か?」
「たぶんな。俺を追ってきた連中だ」
レインは村の入口へ目を向けた。
遠くから、複数の足音が近づいてくる。
金属鎧が擦れる音。
馬の鼻息。
低い怒声。
水の戻ったばかりの村に、また王国の影が差し込もうとしていた。
ガルドは斧を肩から下ろし、にやりと笑う。
「鑑定士。あんた、戦えねえんだったな」
「残念ながら」
「なら、俺の後ろにいろ」
レインは短剣を握り直した。
「いや。俺は俺のやり方で戦う」
ガルドは一瞬だけ目を丸くし、それから愉快そうに笑った。
「いいねえ。そういう奴は嫌いじゃない」
王国兵の足音が、崩れた門へ近づいていた。




