第11話 水の戻った村
村の中央にある石柱は、苔と泥に覆われていた。
レインは膝をつき、工具袋を広げる。
森の奥の旧倉庫で見つけた制御魔石、錆びた金具、細い魔導線。そのどれもが古く、完全な状態ではない。
だが、使える。
鑑定で一つずつ状態を確かめながら、レインは石柱の欠けた部分を修復していった。
「ミラ、その細い金具を取ってくれ」
「これ?」
「ああ。曲がってるけど、まだ魔力を通せる」
ミラは両手で大事そうに金具を渡した。
石柱の中には、細かな魔力回路が張り巡らされていた。
普通の人間が見れば、ただの古い石の塊だろう。けれどレインの目には、途切れた線、焦げた回路、詰まった魔力の流れが見えている。
まるで、病んだ血管をつなぎ直しているようだった。
「これ、昔の人が作ったんだよね」
ミラが石柱を見つめながら言った。
「ああ。ルミナリア王国北方工房って鑑定に出た」
「ルミナリア……」
その名を口にしても、今度のミラは倒れなかった。
ただ、胸元の首飾りに触れ、少しだけ不安そうに目を伏せる。
「怖いか?」
「怖い。でも、知らないままの方がもっと怖い気がする」
「なら、少しずつだ」
「うん」
レインは最後に、青緑色の制御魔石を石柱の窪みにはめ込んだ。
魔石は一瞬沈黙した。
それから、淡い光を灯す。
石柱の表面に刻まれていた紋様が、下から上へ順番に輝き始めた。細い光の筋は地面へ流れ、井戸へ向かって伸びていく。
レインは息を止めた。
うまくいくかどうかは、賭けだった。
部品は古い。回路も完全ではない。少しでも魔力の流れを読み違えれば、石柱は沈黙したままだ。
井戸の底から、低い音が響いた。
ごぼり、と水が動く。
ミラがレインの袖を掴んだ。
「レイン……」
「大丈夫。たぶん、動いてる」
「たぶん?」
「こういう時は、たぶんが一番正直だ」
井戸の中で濁った水が渦を巻いた。
茶色く濁っていた水面に、淡い光が広がっていく。まるで誰かが底から月明かりを溶かしているようだった。
しばらくすると、渦は静まった。
レインは井戸の縁に近づき、慎重に鑑定する。
「水質、改善。魔力汚染、許容範囲内。飲用……可能」
最後の言葉を口にした瞬間、ミラの顔がぱっと明るくなった。
「飲めるの?」
「ああ。念のため最初は煮沸した方がいいけど、もう雨水だけに頼らなくていい」
ミラは井戸を見つめたまま、しばらく動かなかった。
そして、ぽろりと涙をこぼした。
「ミラ?」
「ごめん。変だよね。水が飲めるだけなのに」
「変じゃない」
レインは静かに言った。
「水が飲めるって、大事なことだ」
ミラは何度も頷いた。
壊れた桶の代わりに、レインは持っていた革袋に水を汲んだ。
小さな鍋に移し、火にかける。湯気が立つまで待ってから、少し冷まして木の器に注いだ。
ミラは両手で器を受け取る。
まるで宝物を持つように。
そして一口飲んだ。
「……甘い」
「水だぞ」
「でも、甘い」
ミラは笑った。
今まで見た中で、一番自然な笑顔だった。
その笑顔を見て、レインの胸の奥に、言葉にしづらい温かさが広がった。
勇者パーティーにいた頃、彼の鑑定はいつも「戦うための準備」だった。危険を避けるため。失敗を防ぐため。誰かに文句を言われながら、それでも必要だと思って続けてきた。
だが今、目の前にあるのは戦いではない。
一杯の水。
それを飲んで笑う少女。
自分の力は、こういうもののためにも使えるのだ。
その後、二人は井戸の周りを片づけた。
雑草を抜き、崩れた石をどけ、壊れた桶を修理する。
日が傾く頃には、村の中央だけが少し明るくなったように見えた。
「村が、息をしたみたい」
ミラがぽつりと言った。
「息?」
「うん。ずっと止まってたのが、少し戻ったみたい」
レインは井戸を見た。
確かに、昨日までの井戸とは違う。
泣いているような気配はまだ完全には消えていない。けれど、濁った沈黙の奥に、かすかな流れが戻っていた。
水が戻った。
なら、次は食料。住む場所。安全。
やるべきことはいくらでもある。
その前に、確認しなければならないことがあった。
レインは村の広場の端に立つ古い石碑へ向かった。
昨日、井戸を調べた時には見落としていた。
石碑は腰ほどの高さで、半分土に埋もれている。表面には苔がびっしりつき、文字は読めない。
ミラも隣に来る。
「それ、何?」
「村の名前か、何かの記録かもしれない」
レインは苔を払い、石碑に手を置いた。
「鑑定」
石の情報が流れ込む。
材質。
年代。
破損。
そして、刻まれていた文字の意味。
レインは声に出して読んだ。
「ルミナリア王国北方守護村、エルネ」
ミラが息を呑んだ。
「北方守護村……」
「ここは、ただの村じゃなかったみたいだ」
石碑の下に、さらに魔力反応があった。
レインは眉をひそめる。
石碑は目印にすぎない。
本体は、その下にある。
「ミラ、少し離れて」
「え?」
「この下に何かある」
レインは石碑の周囲の土を工具で掘った。
硬い土を削ると、やがて平たい石板が現れる。
石板には、ミラの首飾りと同じ紋章が刻まれていた。
白い花を囲む、三本の光の線。
ミラの首飾りが淡く光る。
同時に、石板の紋章も光った。
地面の下で、重い何かが動く音がする。
ごとん、と村全体に響くような低い音。
レインとミラの前で、石碑の背後の地面に細い亀裂が走った。
土が左右にずれ、隠されていた石段が姿を現す。
地下へ続く階段だった。
冷たい空気が、下から吹き上がってくる。
ミラは真っ青な顔で、レインの袖を掴んだ。
「ここ……」
「知ってるのか?」
「わからない。でも、夢で見たことがある」
ミラの声が震える。
「ここに行っちゃだめって、誰かが言ってた」
レインは地下への階段を見下ろした。
井戸の水は戻った。
だが、村が本当に隠していたものは、まだ地面の下に眠っている。
ルミナリア王国北方守護村、エルネ。
その名が示す意味を知るには、いつかこの階段を下りなければならない。
階段の奥から、かすかな風が吹いた。
その風に混じって、レインにはまた声が聞こえた気がした。
――まだ、開けてはいけない。
それが警告なのか、願いなのか。
今のレインには、まだわからなかった。




