88 あなたの瞳におちて
「夢みたい。ハルとおそろいの食器にカップ。カーテンもクッションも、どれもみんな素敵!」
食器や調理器具、日用品などなど、これから二人で生活するために街で買いそろえてきたものをテーブルに広げ、それらを手にとってサラは機嫌よくはしゃいでいる。
街で買い物もそうだが、好みのものを選んで自分で買うのはサラにとっては初めてで、よほど楽しかったのか、始終、嬉しそうににこにこと笑っていた。
「お花の苗もたくさん買ったから、明日さっそく鉢植えに植えかえてみようと思うの。うまくできるかしら」
「俺も手伝うよ」
「ハルも? ほんとう?」
目を輝かせるサラにハルは笑ってうなずく。
「それに、可愛いお洋服や靴とか小物までたくさん。ありがとう、ハル」
サラは膝に置いていた白いうさぎのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。これも今日、街でハルに買ってもらったものだ。
「サラが喜んでくれて俺も嬉しいよ」
「でも、こんなにいっぺんにたくさん買ってもらって……その……」
サラは言いにくそうに言葉を濁して、ぬいぐるみの頭をなでる。
どうやら、お金の心配をしているようだ。大貴族の令嬢だったとはいえ、サラには自由になるお金はなかった。当然のことながら、屋敷を出たときも無一文。
ファルクとの結婚式に身につけていた宝石類は小箱に入れて衣装箱の奥深くにしまった。そんなものに未練はなかったから、これらを売ってお金に換えようと思ったのだが、ハルがそうした方がいいと言ったからだ。
「そのことだけどね。ちゃんと言わなければって、思っていたんだ」
ハルは一拍おいて続けた。
「お金はたくさんあるんだ。組織を抜けるときに、レイがあらかじめ根回ししていてくれて、アルガリタのとある教会に預けてくれた。俺がアルガリタについて訪ねてきたら、渡すようにと」
「ハルのお師匠さまが?」
「一部だけど今まで俺が働いてきた分だって。全部は持ちきれないし、使う予定もまったくないから、今はその教会にそのまま預かってもらっている。ほんとうは寄付をしてしまおうと思ったけど、受け取って貰えなかった。すでにレイからじゅうぶんな寄付と報酬を貰っているからと言われて……だけど、こんな汚れたお金、サラは嫌がるのではないかと思って」
人殺しで稼いだお金など……とハルは言葉を濁し、最後につけ加えた。
サラは慌てて首を振る。
「そんなこと、少しも思わない」
「こうしてサラと一緒に暮らしていくことになったし、俺もいつまでもふらふらしてるわけにはいかないから、働くことにしたよ」
「ハルが働くの?」
「俺はこの国の人間じゃないから、仕事を探すのも大変かなと覚悟していたけど」
「ううん、ハルならすぐに決まると思うの。だって、語学が堪能だもの。それって強みだわ。アルガリタは他国からやって来る人も多いし、言葉が通じる人がいれば助かるはずよね。きっと重宝がられるわ。それで、いったい、ハルは何カ国語喋れるの?」
「さあ、仕事でいろんな国に行っていたからね。そのために、子どもの頃から無理矢理、覚えさせられた」
「私もレザンの言葉を覚えたいから参考までに聞いていいかしら? どんなふうに覚えていったの? こつは?」
「こつ? もちろん、ちゃんと言葉を教える教師もいたし、あと、手っ取り早く覚えさせるためにって、何も持たされず、身体一つでその国に一人放り出されたこともあったかな。与えられた期限内に覚えろってね」
「……」
何でもないことのようにハルは答えるが、やはり普通のやり方ではなかった。
「以前にも話したけど、命じられたことはすべて期待通りにこなしていかなければ、使えない人間として殺されることもあったから必死だったよ。だから、たいていの国の言葉は話せるかな」
「そ、そうだったのね……」
こつを教えて欲しいと思ったが、まるで参考にならなかった。
「それにね、ハルは何でもそつなくこなしてしまうし、頭もいいから」
「そう? 俺、普通だと思っていたけど」
「……」
ハルの普通がわからない、とサラは緩く首を振る。
「……仕事とはいえ、難関といわれているアルガリタの学問所にも入ったのでしょう? それって、普通とはいわないのよ。入学試験難しかったでしょう?」
しかし、サラの問いかけにハルはそうだったかな? というように首を傾げるだけであった。
「……だから、ハルならすぐにお仕事見つかるわ」
自分で言葉を覚えるこつを教えてと聞いておきながら、そのことはすでにどっかにいってしまった。結論として、どうやら、地道に覚えていくしかない、ということはわかった。
「実はもう決まっているんだ」
「え? ええ! いつの間に……それで、ええと、どんなお仕事なの?」
「イゼル通りの〝月見亭〟という食堂で給士として雇ってもらえることになった」
「ハルが給士?」
「意外?」
「うん……少し驚いた。ハルがお客さん相手にお仕事するなんて」
そっか、給士のお仕事か。それなら、すぐに決まるわよ。だって、それこそ外国のお客さんが来てもハルなら問題なく対応できるし、何より、ハル目当てにお客さんがたくさん集まってくると思うの。
特に、女性のお客さんが……。
そう思った途端、胸がざわついた。
ちょっと心配だわ。
ううん! 私ってほんとやきもち妬き。こんなんじゃだめね。それに、ハルはしっかりとこれから先の考えているのだもの。
私だって。
「私も……」
仕事を見つけて働こうかしら、と言いかけたサラの前に、すかさず、ハルは何やら分厚い紙の束を差し出してきた。
「この紙の束は何かしら」
「見てもいいよ」
何か、嫌な予感しかしないのだけれど、と呟いて、サラはちらりと紙の束をめくり顔をしかめた。
「俺が作った問題集。明日から毎日一枚ずつ解いてね」
「ええ!」
予想通りの反応だとばかりのハルの顔は、至極満足そうだった。
「同じものをキリクにも与えたから、明日から二人で勉強をすること。いいね」
「お屋敷を出たらお勉強から解放されると思ったのに……」
だいたい、いつの間にこれを作ったというの? そんなことしている暇、全然なかったように思ったけれど。
「残念だったね」
「やらなければだめ?」
「だめ」
「……明日からでいいのね」
「今やりたかったらどうそ。つき合うよ」
サラは顔をしかめて宿題の束を遠くへと押しやった。せっかくハルが作ってくれたものだけど、これは正直あまりありがたくない。
「明日から頑張るわ……」
「勉強にレザン語にお料理、お菓子作り。お裁縫とレース編みも覚えるんだっけ? テーブルクロスは自分で刺繍をいれたいって買い物の時に言っていたね。馬にも乗ってみたいとも? やることがたくさんあって、一日があっという間だ」
サラはうう……と声をもらす。
それらのことを覚えつつ、これからは家のこともこなしていかなければならない。つまり、働きに行く暇なんてないってことである。
「焦らなくても、ゆっくり覚えていけばいいよ。時間はたくさんあるからね」
「うん。私、ハルのために頑張る。お勉強はいやだけど……」
ふと、サラは窓の外に視線をやる。もう、すでに深夜。外は真っ暗で、明かり一つない。いつもなら、とうに眠っている時間だが、今日はあまりにも楽しいことがありすぎて、まだ気持ちが興奮していた。
それに、今夜は初めてハルと一緒に過ごす夜。
不意に、胸がとくんと鳴る。
寝室に置かれたベッドは一つのみ。まさか、別々に眠るなんてことはないはず。そう考えた途端、サラは身体を強ばらせ、顔を赤くする。
や、やだ……意識しすぎだわ。ハルはそんなつもり、まったくないかもしれないのに。
「今日はたくさん買い物につき合ってくれて、歩き疲れたでしょう?」
わ、私、何言ってるのかしら!
疲れたでしょうなんてハルに聞いてしまって、これでは、まるで……。
意識していることを意識しないようにと、慌てて話題を振ったけれど、ますます深みにはまっていくばかりであった。
「疲れてなんていないよ。楽しかった」
「ほんとう?」
「ああ」
その後の言葉が続かず、サラは黙りこくってしまう。
疲れてないとハルは言ったが、今日は朝から日が落ちるまでずっと街を歩き回っていたのだ。買い物をしている間は楽しすぎて気づかなかったが、サラ自身もかなり足が張ってしまって棒のようだった。
「サラ」
「は、はい!」
突然声をかけられ、サラはびくりと肩を跳ねあげた。
視線をあげるとテーブルに頬杖をついてハルがこちらを見ている。その真剣な目にサラの胸が再びとくりと音をたてる。ハルの瞳に、テーブルに置かれた燭台の炎がちらちらと揺れるのが映り込む。
視線をそらすことができなかった。
「な、何かしら……?」
ふっと笑ってハルが静かに立ち上がる。歩み寄ってきたハルにサラは胸をどきどきとさせた。背後から回ってきたハルの手にそっと抱きしめられる。ハルの吐息が首筋に落ち、サラはふるっと身体を震わせた。そして、ハルの手によって椅子から立たされ、くるりと正面を向かされる。
「サラ、左手を出して」
「左手?」
言われるがまま、サラは左手を持ち上げた。その手をハルにとられ、サラは驚きに目を見開く。
ハルの手にきらりと光る銀色の指輪。その指輪が左の薬指にはめられた。
「これは……」
「サラに内緒で、こっそりとね」
薬指の根元に細身の指輪がぴたりと馴染む。
「あらためて。俺と一緒になって欲しい」
みるみるサラの目に涙の粒が盛り上がる。
「ハル……」
「俺と結婚して」
「ほんとうに? ほんとうに、ハルのお嫁さんにしてくれるの?」
何を今さらと笑って、ハルは指輪のはめられたサラの薬指に口づけをする。
「二人で幸せになろう」
「……はい」
口許に手をあてうなずいた途端、サラの目にたまった涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
サラの手をとったまま、ハルはその場に片膝をついて頭を垂れる。その仕草は流れるように優雅であった。まるで、おとぎ話で読んだ、王子様がお姫様に求婚を申し込むような、そんな一幕。最高の結末。
「この命にかえてもサラを守り、一生、サラを愛し、大切にすると誓う」
涙がとまらない。
カーナの森で初めてハルと出会ってからこれまでの数ヶ月の出来事が、脳裏を駆け巡っていく。短い間にたくさんのことがあった。
多分、最初は嫌われていたと思う。
好きと告白した途端、無理矢理、押し倒されたこともあった。冷たくされても、あきらめずにしつこいくらいハルを追い続けて、ようやくハルの心を手に入れることができた。
ハルがレザンの国の暗殺者だったと聞かされた時は本当に驚いた。それでも、ハルを好きという気持ちにかわりはない。
遠出をした先で突然雨に降られ、誰も住んでいない小屋で初めて結ばれた。あの時の幸せな気持ちは今でも忘れられない。あんな満たされた思いは初めてだった。大切な思い出として心に残っている。
それから、ファルクの企み……。
ハルは自分がいた暗殺組織に、自分の存在がばれてしまうのを覚悟で窮地を救ってくれた。
本当に、いろいろなことがあった。
「私も、一生……ハルに……一生、ついていきます」
と、サラは泣きじゃくりながら答えた。落ちる涙を手の甲で拭うが、それでもとどまることを知らない涙がサラの白い頬を濡らす。
小刻みに震えるサラの細い肩にハルの手がかかり抱き寄せられた。
ハルの指先がサラの涙を拭い目元にキスをする。恥ずかしそうにうつむきかけたサラのあごをハルの指先がすくい上向かせる。涙に濡れたサラの瞳とまぶたを落としたその奥に妖しく揺れるハルの瞳が間近で絡みあう。
ああ……捕らわれていく……。
そう、私はこの瞳に捕らわれた。
ハルの不思議な藍色の瞳に。
おちていく……。
ふっと笑ったハルの腕に抱きすくめられ身体を押され、サラはテーブルの上に軽く腰を落とす。後ろに倒れそうになったサラの背をハルの手が支える。小さな、悲鳴にも似た声を上げるサラの唇にハルの唇が近づく。軽く唇をついばむようなキス。何度も何度も。
「愛してる、サラ」
そう、ささやいて、ハルはサラの唇をふさいだ。
目もくらむような情熱的なキス。息ができないくらい苦しい。ハルの背に腕を回し、サラはきゅっとハルにしがみつく。唇が離れてサラは熱い吐息をこぼす。サラの耳朶にハルの唇が寄せられた。
「サラを抱きたい。抱いてもいい?」
甘くささやくハルの言葉にサラは頬を赤く染め、泣きながら小さくうなずいた。




