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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
90/103

ながらへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき

 お正月といえば、かるたですね。皆さんは家で百人一首をやりますか?

 ついに90首まで来ました、継続は力です。


 悪くなる状況の中、前は良かったと戻らぬ時を懐かしむ話。

 ゾンビの世界では時間が経つにつれて状況が絶望的になっていくのが定番ですね。

 落ちていく夕日を見送りながら、僕はビスケットをつまむ。

 何とか今日も、生き延びた。そしてきっと、明日も生き延びる。

 明日は、このビスケット以外の食べ物が手に入るだろうか。温かくてしっとりした、食事らしい食事がとれる日が、いつかやって来るだろうか。

 ぱさぱさして味気ないビスケットを口に詰め込みながら、僕はまた一日を過ごした。


 手持無沙汰で何もやる事がなくて、無意識にキッチンに向かっていた。

 反射的に冷蔵庫に目をやるが、手が伸びることはない。

 分かっているのだ、もう冷蔵庫の中にまともに食べられるものはないと。電気が止まって久しく、冷蔵庫の中のものはとっくに腐って汚泥の塊になっている。

 残っているのは、菓子か保存食くらいだ。

 それすら、もう略奪されていない所を見つけられることは少なく、手持ちの食糧はだいぶ心もとなくなりつつある。

 探しに行こうにも、こんな死者ばかりがうろつく街を、どうやって一人で生き残れというのか。


 暗い部屋の中、明るい昔の思い出ばかりが頭の中に浮かぶ。

 ちょっと前までは、こんなんじゃなかった。あの頃はまだ、希望も仲間もあった。

 陰鬱な現実から目を背けるように、僕はかつての楽しかった時に思いを馳せた。


 あの頃、僕は数人の仲間と共に行動していた。

 そのうち半分は同級生で、もう半分は街で新たに出会った仲間だった。僕たちは途中ではぐれた仲間の身を案じながらも、新しい出会いと自分たちの無事を祝って祝杯を挙げていた。

「さあ、どんどん食べてね!お肉はまだまだあるから」

 カセットコンロで鍋にお湯を沸かして、豪勢なしゃぶしゃぶパーティー。

 解凍されて肉汁に浸った肉を、次々と鍋に放り込む。

「食べれるだけ食べなさい!置いといたら、すぐ食べれなくなちゃうから」

 そうだ、あれは電気が止まったばかりの頃だ。

 冷蔵庫と冷凍庫が使えなくなったから、生鮮食品を急いで食べていたんだっけ。


 思えばあの時も、できるだけ食べるのが義務のように思えて、急き立てられるように食べるのが内心少し嫌だったっけ。

 でも、今思えばあの時はまだ生鮮食品が食べられた。

 冷蔵庫や冷凍庫を開ければ、それなりにいろいろな食べ物にありつけた。

 カセットコンロだってガス缶だって、今よりずっと簡単に手に入った。仲間がいたから、死者のうろつく街の中でもお互いを守り合って進めたんだ。

 たとえ少し前までは見知らぬ人だったとしても、一人よりはずっと安心だった。


 それでも、あの頃僕が幸せだと思っていたかといえば、そうではなかった。

 今まで使えていた電気が使えなくなって、水道ももうすぐ使えなくなることは目に見えていて、今の不自由と明日への不安で心が一杯だった。

 仲間だって、前はもっとたくさんいたのに、こんなに減ってしまったとショックを受けていた。

 日常で慣れた場所からも追い出されて、その途中で以前いた仲間が次々と死者に引き裂かれていくのを見て、だいぶ参っていたように思う。

 街を逃げ回っても生きている人はほとんど見かけなくなって、死者の群れは至る所で待ち受けていた。

 どんどん状況が悪くなるのを身に染みて感じて、過酷な現実を呪っていた。


 ちょっと前までは、こんなんじゃなかった。あの頃はまだいつも慣れ親しんだ学校にいられて、気心知れた同級生に囲まれていた。

 寂しさと悲痛に耐えかねて、僕はかつての温かかった時の思い出にすがっていた。


 あの日、僕は多くの同級生や先輩後輩とともに学校にたてこもっていた。

 突如破壊された日常に戸惑い、怯えながら外の地獄を見つめていた。見慣れた街のあちこちから火の手が上がり、人でなくなったモノが人に食らいつくのを、見ていることしかできなかった。

 あの日僕が学校まで辿り着けたのは幸運だったのだと、思い知らされた。

 教室内には既に空席がいくつもあり、彼らは学校まで来られなかったのだから。

「嫌だ、もう、帰りたいよ……!」

「ダメだ、今出たらアイツらに食われるぞ!」

 その時はまだ、学校ないに死者はいなかった。だから僕たちはひとまず学校内で安全を確保して、どうにか事態が収まらないかと待っていたんだ。


 思えばあの時は、パニックに振り回されて、これからどうなるかなんて考えていなかった。

 明日も生きているのが当たり前の平和な日常がみるみる崩壊していくのを目の当たりにして、初めて味わう恐怖に耐えるのが精いっぱいだった。

 グロテスクな死者が泣き叫ぶ人を食い殺すのを遠目に見て、思わず足が震えた。

 あんなものがこの世に現れるなんて、人生で最悪の日だと毒づいた。

 そして校門やフェンスにまとわりつく死者がどんどん増えていくのを見ながら、死神の足音を聞いているような気になっていた。


 ちょっと前までは、こんなんじゃなかった。昨日までは街は平和で、何もしなくても安穏に時が流れていたのに。

 壊れていく日常が今さらながら恋しくて、僕はこれまでの学校生活を思い返していた。


 宿題と試験に追われながら、何となくだらだら過ごしていた日常。

 家族がいて友人がいて、家に帰ったら毎日ご飯ができていて、コンビニでいつでも好きなものが買えて……そんな当たり前の日常。

 今思えば、何て優しく安楽な日々だっただろう。

 だが、そんな日々でさえ僕は、退屈だとかやる事が多いとか言っていやいやのような顔をして過ごしていたのだ。


 不毛な回想から戻ってくると、軽く自己嫌悪に陥った。

 結局、僕はいつも今この時の幸せに気づかないままだ。過ごしている時は不満ばかりを吐いて、その時恵まれていた事は後にならないと気付かない。

 そして、失ってしまってから美しい思い出に浸るのだ。

 僕は日常が壊れて死者が歩き出す前から、それを繰り返していた。


 それでも、今より過去の方がいい暮らしをしていたのは確かだ。

 今の僕は本当に、孤立無援の八方ふさがりだ。

 共に苦難の中を駆けた仲間は離れ離れになり、あるいは死者の仲間になった。生活を支えていた電気もガスも水道も止まり、生きるための手段はどんどん減っていく。手持ちの食糧は、非常用のビスケットが数袋あるだけだ。

 死者はいつまで経っても動いていて、一向に減らない。そして自分以外の生きた人間は、数日前から見ていない。


 確実に、状況は悪くなる一方だ。

 今までの人生の中では、間違いなくここが最悪だ。

 こんな苦しみしかない現実の、どこに希望を見出せと言うのか。


 しかし、これから先の人生はきっと今より辛くなっていくのだろう。

 今この時を、あの頃は良かったとしみじみと思い出す時は、きっと来る。

 あの時は見知らぬ家でも、身を守れる場所があった。味気ないビスケットでも、食べる物はあったじゃないかと。

 この家の窓や扉が死者に破られた時、食糧が尽きた時、それを探して外に出た時……どうあがいても、その時は必ずやってくるだろう。

 そう思うと、急に今が愛しく思えて……僕は限りあるビスケットをまた一枚噛みしめた。

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