あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな
身寄りのない孤独な人間の、大切な人になってくれる人を求めた旅路です。
災害時などでは強い絆で結ばれた人たちのドラマが輝きますが、大切な人がいない人は空虚に彷徨うばかりです。
悲しんでくれる人もなく、嫌な仕事ばかりをこなしてきた男の結末は……。
助けてと言いながら、逃げていく。
親や恋人、友人を呼びながら、必死で走っていく。
皆、死にたくないのだ、生きていたいのだ。死んでしまったら、もう大切な人に会えないし、その人と過ごす幸せな時間もなくなってしまうから。
自分のためと、その大切な人のため。
幾重にも重なった想いを無駄にしないために、全身の力を振り絞って逃げる。
じゃあ、俺は誰のためにこの命を守ればいいんだ?
親も愛し合う人も、仲の良い友もいない。
誰からも必要とされていない俺に、生きる意味はあるんだろうか。
気が付けば、人の群れは散り散りになって消えていた。
近くの店舗に身を隠していた俺がのそりと姿を現しても、寄ってくる者はいない。
目の前にあるのは動く者のいない、がらんとした大通りだ。散乱した荷物や乗り捨てられた車が、そこに人がいた空気だけを漂わせている。
いつも人があふれている時と同じように店は開き、所狭しと並べられた商品を見せているのに、そこに人はいない。
物ばかりであふれる荒廃した通りは、俺の心をそのまま映したようだ。
不意に、視界の中で何かが動いた。
アスファルトの上に内臓の破片をぶちまけて、手足を片方ずつもがれて体中の肉を無残に抉られた死体……さっきまでは、ぴくりとも動かなかった。
それが、残った手足をずるりと動かし、白く濁った目を開いて俺を見た。
蘇ったのではなく、動き出したのだ。人間ではなく、人を食う化け物として。
俺は俺に噛みつこうともがくそいつに自ら近づき、金属バットを振り下ろした。陥没した頭から脳漿が広がり、そいつはまた動かなくなった。
だが、同じような死体がまだ何体も倒れている。動き出すのは時間の問題だろう。
俺は少し迷ってから、その場を後にした。
あれらの死体を処分してやる義理はないし、今死ぬ理由もない。
俺に生きて欲しいと願う人はいないが、この先もそうではないかもしれないと信じたがっている俺がいる。
だからここは、囲まれる前に逃げておこうと思う。
歩いている途中、横から声をかけられた。
「もし、そこの人……」
見れば、そこには年配の女性が座り込んでいた。
女性は俺と目が合うと、言いづらそうに少し口ごもり、それからすがるように言った。
「どうか、私を殺してください……。
このままでは、私もあいつらと同じに……それだけは……。私を探しに来た子供たちを、食い殺したくないんです……!」
女性の足を覆うストッキングは破れ、赤い肉色の傷口が見てとれた。
顔は蒼白で冷や汗が流れ、胸から腹にかけては吐しゃ物と思しきもので汚れている。息は浅く、目はどこかうつろになりかけている。
かわいそうに、噛まれたのか。そして発症し、今まさに死にゆくところだ。
死ねば化け物となって起き上がり、誰彼かまわず食い殺すようになる。そうなった自分が大切な人を襲ってしまう恐怖は、それは耐えがたいものだろう。
俺はうなずき、祈るように目を閉じた女性に金属バットを振り下ろした。
化け物を殺し、生きた人間も殺す。
生きてはみたものの、出会うのは大切な人になってくれそうもない奴らばかりだ。
それどころか、俺に嫌な仕事ばかりを押し付けてくる。
死んでいても生きていても、人を殺すのは気持ちのいいもんじゃない。相手にも大切に思ってくれる人がいて、そいつらから大切な人を奪う訳だから、恨まれて当然なのだ。
だが、たとえ俺が恨みを買ってもそれを悲しんでくれる人はいない。
だからそれを知っているように、嫌な仕事が集まってくるのかもしれない。
ああ、これまでと何も変わらないじゃないか。
誰からも顧みられなかった人生を自分で振り返って、苦笑した。
両親は痴情のもつれで事件を起こして死に、その後面倒を見てくれた親戚も俺を大切にはしなかった。その親戚もだいぶ前に死んだ。
家庭がこんなだから生活にも余裕がなくて、付き合いの悪さからか俺自身が人を信用しないからか、友人も恋人もできなかった。
そのうえ身寄りのない俺はまともに進学できず、まともな職に就けなかった。
生きるための仕事は、裏の仕事ばかり。俺が死んでも気にする奴はいないから、人が嫌がる、恨まれるような仕事や危険な仕事ばかりが寄ってきた。
ヤミ金の取り立て、違法な店の用心棒、ヤクザと関わったこともあった。
そんな生活の中で、絆を結べる人間などいなかった。俺は、ずっと一人だった。
世界が変われば俺も何か変わるのではないかと、期待した事もある。
だが、結局世界がどうなろうと、変わる事はなかった。
学生時代も、社会人になってからも、職を変えても住処を変えても、人の形をした化け物が歩き回るようになっても……。
俺の大切に思う人はいない。俺が死んでも誰も悲しまない。
どこの誰ともつながらない、空虚な人生。
こういう非情時につきものの、絆から生まれる人間ドラマも俺には縁のない話だ。別れの悲しみも再会の喜びも、心を支える人への想いも何もない。
俺は一体、何のために生きればいいのだろう。
気が付けば、俺は見知ったクラブの前にいた。
思わず、苦笑する。
俺には絆を結んだ人間はいない、だが結びたいと思った人間ならいる。用心棒だった頃に知り合った、ホステスの一人。
もしあいつが生きていたら、俺の大切な人になってくれるだろうか。俺を大切に思ってくれる仲になれるだろうか。
そんな無意識の期待が、俺をここまで連れてきたらしい。
店の中は荒らされて、ひどい有様だった。
動く者は誰もいない、無残に食い荒らされた死体ばかり転がっている。
俺は女の死体を爪先で転がして顔を確認してみたが、どうやらあいつはいないようだ。どこかで生きているのか、ならばまた会えるチャンスがあるのか……。
思考は、何かが動く気配に遮られた。
はっと見れば、つい今まで転がっていた死体が次々と起き上っていた。そうだ、死体は化け物になるんだった。
まずい、これでは逃げ場が……!
どうやら俺は、最後まで嫌な仕事ばかり押し付けられる運命らしい。
可愛いあいつの同僚や仲間のなれはてを処分するなんて、最悪じゃないか。
あいつは俺を恨むだろうか。もし感謝してくれたら、儲けものだ。こんな俺の命と引き換えにあいつを襲う顔見知りが減るなら、悪くないかもしれない。
だからこれはきっと、無駄ではないと信じて、俺は笑って金属バットを構えた。




