恋すてふ我が名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひ初めしか
不器用で人見知りな女の子の、初めての恋です。
要領が悪くて生きづらい人ほど、災害時には支えが必要になります。そして支えてくれる唯一の人に恋に落ちてしまうのも、仕方のないことかもしれません。
しかし、本人の知らないところで周りの人が迷惑に思うこともある訳です。
気が付いたら、始まったばかりの恋は本人を置き去りに難路に突入していました。
初めての、恋をした。
生まれて初めて男の人を心から好きになったのだと気付いて、胸が打ち震えた。
だけどそれを教えてくれたのは、私ではない他の人。私を見つめる好奇心に満ちた、詮索欲にまみれた視線が突き刺さる。
「ほらぁ、やっぱりそうなんじゃん」
「で、どうするの?あいつに告るの?」
周りの口が、次々と心の奥を抉ろうとしている。
どうして、そんなに知っているの?
私だってまだ、自分のこの気持ちが何だかよく分かっていなかったのに。
何をそんなに知りたいというの?
私はまだ、これからこの気持ちをどうするかとか、彼とどうなっていきたいのかなんて、何も考えていないのに。
始まったばかりなのに、この展開の速さは何?
この恋が始まったのは、つい数日前のことだった。
私がいつものように家族と朝食を食べていると、いきなり家のドアが叩かれた。誰だろうと思って父さんがドアを開けると、目の前に立っていたのは口から大量の血を流した人だった。
私たち家族は、一瞬訳が分からず硬直した。
どうしてこんな急病人が我が家に来るの?しかも、全然知らない人なのに?
もしかして家の前で急に具合がおかしくなって、助けを求めるために適当に近い家に来たんだろうか……。
要領の悪い私が納得できる答えを弾きだすまでに、数秒かかった。
そしてその数秒のうちに、事件は先に進んでいた。
気が付いたら、その人が父さんに倒れ込むようにのしかかっていた。
慌てた母さんが、父さんを助け起こそうと走り寄る。
だけど次の瞬間には、父さんの聞いたこともない絶叫が響き渡り、見たこともない量の鮮やかな血しぶきが上がっていた。
何が起こったのか、分からなかった。
どうして助けを求めてきた人が父さんを傷つけるの?私は、どうすればいいの?
あまりに唐突で予想だにしないできごとに、私は立ち尽くすばかりだった。要領の悪い頭は必死で答えを出そうと計算するけれど、時間ばかりかかって答えは出なくて。
「逃げなさい!!」
母さんの声で我に返った時には、もう父さんは動かなくなっていて、母さんが必死で血まみれの人を押さえつけていた。
母さんの手からぼたぼたと血が流れていて、どうしてだか分からなくて……。
再び思考に意識をとばしかけた私を、母さんの金切り声が叩き起こした。
「逃げろって言ってんのよ!この人は普通じゃない、あんただけでも逃げなさい!!」
その声があまりにも激しくて切羽詰っていたので、私はとりあえず逃げ出した。どうしてこうなったのか全く分からない……その猛烈な気持ち悪さを胸に抱えたまま。
でも、家から出ても状況を整理する時間なんてなかった。
街は、家に来たようなおかしい人で一杯だった。
同じように口の辺りを血で染め、うつろな目をして歩いている人。腕や足がもげたり内臓がこぼれたりしているのに、全く気にせず他の人に噛みついている人。
いくら考えても、どうしてこんな事になっているのか全然分からなかった。
分からないのに、考える時間もくれないで事態はどんどん加速していく。
向かってくるおかしい人たち、制御を失って突っ込んでくる車……訳が分からない、考えないといけない事ばかりが山のように積もっていく。
ついさっき始まったばかりなのに、展開が速すぎて追いつかない。
どこへ行けばいいのか、何をしたらいいのかも分からなくて、逃げる足さえうまく動かない。
……昔から私は要領が悪かった。
自信がなくて、何かを考えるには必ず根拠が欲しくて、間違ったことをしたくないから何かあるたびに懸命に原因を考えていた。
そのせいで周りからのろいとか鈍いとか言われて、それが嫌でもっと必死に考えるようになっていた。
そんな私でも、父さんと母さんは優しく接してくれたから、私は生きてこられたのだ。その父さんと母さんがいなくなって、私を導いてくれる人はもういない。
気が付いたら足が止まって、おかしい人がすぐ近くに迫っていた。
なのに私はショートするばかりの頭に全力を割いていて、声すら出せない。
どうして私は、こんな所で殺されそうになっているの?何で私が狙われるの?この人たちは一体何なの?
誰か、答えをちょうだい……!
「おい、大丈夫か!?」
いきなり、誰かが私の腕を掴んだ。
「何やってるんだ、走れ!止まったらやられるぞ!」
強引に引っ張られて、私は男の人に手を引かれているのだと知った。その人が走れ走れと言うから、私は夢中で走った。
そしてこの避難所に連れてきてもらい、九死に一生を得た。
その時、私は私が生きる解答を得たように感じた。
きっとこれが、この恋の始まりだったんだ。
私を連れて行ってくれた男の人は、優しかった。
泣きながら分からない事を次々とぶつける私に、嫌な顔をせず答えてくれた。答えがない事でも、やるべき事と理由を説明して私に生きる道を示してくれた。
彼の側にいるだけで、ものすごく安心できた。
きっと彼の側でなら、私は生きていける……不思議に根拠のない確信が、私の中に生まれた。
父さんと母さんのいない世界で、彼は唯一の私の居場所のように思えた。
それから、私は何かあると彼の姿を求めるようになっていた。
何かを聞きたいと思った時、怖い事があった時、周りの人たちが分からない時……私は避難所の中を彼を探し歩いた。
他の人が何度か声をかけてくれたけど、彼以外とは話す気になれなかった。彼が外に出ている時は、何時間でも彼を待った。危険な街から帰って来た彼を、一番に迎えた。
だって彼以外の人は、私をどう思っているか分からない。要領が悪くてのろまな私を馬鹿にするかもしれないから、怖い。
彼だけが、無性に安心できる唯一の人だった。
そんな彼が他の女の子と話していると、なぜだか胸の奥がもやもやして苦しくなった。
彼が私を置いていってしまったらどうしようと思うと、怖くて居ても立ってもいられなくて、ますます彼について回った。
彼は他の子と話す理由を、きちんと説明してくれた。近しい人を失ったり不便な生活で支えを必要としている人はたくさんいるから、自分は避難所全体を支えるためにその人たちに対応しなければならないと。
筋道の立った、根拠のある理由、のはずなのに……なぜだか納得できなかった。
自分の気持ちが、分からなかった。
相手にも理由があって、それが頭では理解できるのに、受け入れるのを拒む自分がいる。
こんな事は、初めてだった。
どうしてだろうって考えても、その不条理の理由は分からなくて……考えても考えても、余計に苦しくなるばかりで……。
そんなある日、私は数人の女の子たちに呼び出された。
人気のない所に私を呼び出して、舐め回すように遠慮のない目でじろじろと見つめてくる。
怖い……私は何か悪い事をしたのだろうか。どうして呼び出されるのか、何でこんな目で見られるのか全然わからない。
怯える私を囲んでいた一人が、俯こうとした私の顔を強引に覗き込んで言った。
「アンタ、あいつに恋してるんだって?」
瞬間、体中が熱くなった。
今までもやもやばかりだった頭の中が、一気に晴れた。
そうか、私は彼のことを好きになっていたのか。
だから他の人じゃダメなのに彼だけは良くて、彼が女性と話していると正当な理由があっても不快だったのか。
これが、全ての答えだったんだ。
……でも、どうしてそれをこの人たちが知っているの?
私はこの気持ちを人に伝えたことはないし、そもそも自分で気づいてもいなかったのに。
それに、この恋はまだ始まったばかりで……なぜこんなに早く分かったの?
心底不思議そうな顔の私に、女の子たちは笑って告げた。
「知らないの、アンタもう避難所中で噂になってるよ!」
「だって、ねえ……あれだけあいつのストーカーしてたら誰でも気づくって。
ついでに、今上の方の人たちがあんたをどうするか検討中だってさ。こういう状況でこういう場所で色恋沙汰のトラブルとか、マジで勘弁らしいわ」
即座に頭の中がショートして、世界が私を置き去りにした。
ねえ、ちょっと待って……じゃあ今まで私の恋に気づかなかったのは、私だけ?
他の人はもうとっくに私の恋に気づいて、私を要注意人物として対応まで考えてたの?何それ、私知らない……ついていけないよ!
このままじゃ、私の恋は他の人に潰されてしまうかもしれないのに。いくら考えても、どうしたらいいのか、何を言ったらいいのか分からなくて……体が石のように動かなくて……。
彼がいないと……ダメなのに……!
不安と恐怖に固まったまま、私は周りの女の子たちの声の向こうに彼の声を探し続けていた。




