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公爵と王女  作者: くま
12/12

終わり

 眩い光にあふれた庭園。

 咲き誇る花々は、すべて同じではないけれど。

 あのころと同じく、言葉に表せないほど美しかった。



 ―――――あの古い貴族の邸宅から救出された後。

 公爵家の屋敷に戻り、夫から今回の首謀者と顛末について聞かされた。

 すべては王女が引き起こしたことであり、さらにはその背後には王女の計画を阻止するために動いていた王妃の存在があったことを。

 王女がなぜこんな行動に走ったのか、それは自分に原因があると夫は苦しげに吐き出した。

 幼いころのこと、成人してからのこと、そして――――祝宴の夜のこととすべてを包み隠さず話す夫に少し胸が痛んだ。

 初めて言葉として聞く、夫の想い。

 分かってはいたことであり、王女の口からも聞かされたことであっても実際に夫の口から王女への想いを聞くのは辛かった。

 それでも政略でもって迎えた自分に対して真実を話す、誠実な夫に惹かれずにはいられなかった。

 愚かだと頭で分かってはいても、心は止まらない。

 最早手遅れなのだろう。

 そして夫は最後に、


「王女殿下は、今後はウェイオス伯爵に降嫁されます」


 と淡々と言った。

 感情が籠らない声にそっと顔色を窺うも、こちらも特に何の感情も浮かんでいなかった。

 その顔を見上げながら無意識のうちに問うていた。

 それでいいのですか、と。

 自分でもどうしてこんな言葉を投げかけたのか分からない。

 けれど気が付くと、その言葉が口から零れていた。

 夫は僅かに驚いたように紫の目を見開いた。

 だがすぐに緩く首を振った。

「王家の決定に否などありません」

 模範的な答えだった。

 だがそれが本心とは限らない。

 本当の想いは、どこにあるのか。

 あくまで臣下であることを貫く夫にそれ以上は聞けなかった。

 そうですか、と頷くだけに留めた。

 自分も内心はどうであれ夫がそれでいいと言うなら、従うまでだ。

 自分が口を出していいことではない。

 沈黙した夫に、もう話は終わりだろう、と冷めた葉茶に伸ばそうとして、けれどその手を止める。

 それに、と夫が小さく呟く声が耳に入ったからだ。

 え、と空耳かと思いながら目の前の茶器に向けていた視線を上げる。

 夫は目を伏せたまま、


「私にはあなたがいます」


 と静かに、けれどはっきりとそう口にした。

 初めは何を言われたのか、分からなかった。

 つい癖でぱちぱちと瞬いた。

 見つめた夫は、白い面を僅かに赤くし、紫色の瞳を伏せている。

 その気恥ずかしげな様子に、どきりと胸が音を立てた。

 宙に浮いた手が震える前に、胸元へと引き寄せる。

 どきどきと音を立てる胸の中には、あたたかいものが沸き起こり、止まらない。

 何と言葉を返せばいいか考えるのに、頭がぼうっとして回らない。

 だから、ただただ

『ありがとうございます』

 と呟いた。

 頬が、熱い。

 きっと自分の顔も真っ赤になっているに違いない。

 嫌われている、とは思ってはいなかったけれど、夫が自分を持て余しているのは分かっていた。

 王に命じられて娶ってくれただけなのだから、仕方ないと思っていた。

 だからこそあの己の身がどうにか分からない不安の中で、救いに来てくれたことが。

 そして今も、こうして妻として共に居られることが、認めてもらえることが。

 本当に、嬉しかった。





 ―――――ふわりふわりと弱い風に吹かれて、色とりどりの花びらが宙を舞う。

 美しい光景にしばし見惚れていると、ざりと砂を践む音が聞こえた。

 振り返れば、そこには王妃の私室の前で別れた夫の姿があった。

 今日は近衛の制服ではなく、フェイアン貴族らしい服装だった。

 もうすでに見た姿だというのに、眩い光の下で見る夫の姿が美しく、思わず見惚れた。


「王妃陛下からこちらに居るとお聞きしました」


 そのため少し夫の言葉に反応するのが遅れてしまった。

 瞬きをした後、はっと我に返ると小さく頭を下げる。

「お待たせして申し訳ありませんでした」

 いいえ、と夫は緩く首を振った。

 それから隣に並んで同じように庭園を眺める。

 王妃とどんな言葉を交わしたのか、何も聞く気はないのだと、横顔を見上げながら思った。

 ―――――王妃からの招待があったのは、あれから半月後のことだった。

 王妃が開く私的な茶会に、と最初に公爵家の当主として招待状を受け取った夫は、困惑した様子はなかった。

 いずれは、と予期していたに違いない。

 逆に自分は戸惑いを隠せないまま夫から招待状を受け取った。

 恐らく、というよりもまず間違いなく王妃が自分を呼び出すのは、王女絡みだろう。

 王妃が自分にどのような感情を抱いているのか分からないが、辞退するという選択肢はなかった。

 王女が王命で辺境へと降嫁することとなった原因である自分を、王妃は責めるかもしれないとも思ったが、仕方がないことだと覚悟を決めた。

 そして、あれ以来、自分の外出には必ずと言っていいほど付き添う夫は、この日も同じだった。

 さっさと休暇を申請して受理されると、当日は当然のように付き添ってくれた。

 中央宮にある王妃の私室の前まで自分を送り届けると、用意されていた別室で待つといってそこで別れた。

 侍女の案内で一人で通された王妃の部屋は、自分があの故国で与えられた部屋とは比べものにならないほど、質のいい家具が揃えられ、華美に飾り立てるのではなく品がよいものだった。

 主人の性質を表しているのかもしれない、と思いながら中へと進む。

 天井から差し込む光が、眩しいほどだった。


「―――――よく来たね、エリーザ」


 見上げた天井に窓があることに驚き、その存在にすぐに気付けなかった。

 はっと顔を戻すと、目の前に自分よりもすらりと背の高い、女性が立っていた。

 結い上げることなく背中に流された、艶やかな黒髪が日の光の下ではっきりと輝き美しい。

 黒髪と同じく夜の気配を纏った黒色の瞳を細め、微笑む女性は、


『エリーザは随分大人しいね。レイナなんてお転婆過ぎて困ってるのに』


 幼い日、そう言って笑った姿と、記憶の中にあるそれとほとんど変わらないほど、美しいままだった。

「レティシアさま……」

 思わず呟くと、王妃は微笑んだまま手招きをした。

「こちらへおいで。口上はいいから」

 その言葉に、挨拶すらまだだったとようやく気づく。

 何という無礼を、と目の前が暗くなりかけたが、王妃は気にした様子もなく中央に設けられたテーブルに着くよう言う。

 迷いながらもどうにか王妃の正面に座ると、すぐに侍女がやってきて茶器などの準備を進めていく。

 その間にも王妃の黒い瞳が自分から逸らされることなく、落ち着かない。

 値踏みされているというよりも、何かを見定めるような眼差しだった。

 侍女らが部屋から退出していくと、勧められるまま花茶を口に含む。

 けれど味が分からないのは、王妃の視線があるためか。

 その王妃は、じっと自分を見つめていたかと思うと、小さく息をついた。


「――――本当に、ローザに生き写しだね」


 唐突に王妃の唇からもれた母の名に、動きが止まる。

 幼いころ、母とともにこの国を訪れたのだから、王妃が母を知っているのは当然だ。

 特別に仲がいいとは思わなかったが、それでもいくらか交流があったことは知っていた。

 黒い瞳は、自分を通して母を見ているかのように細められる。

 陛下に聞いていた、と呟き、王妃は静かに細めていた目を伏せた。

 凛とした王妃がそうすると、ひどく儚げに見えた。

 母の死を悼んでくれているのかもしれない。

 もう何年も前のことで、薄情にも娘である自分ですら自分のことで精いっぱいで気にかけることができなかったというのに。

 目を伏せる王妃の姿に口を開いていいか分からず、沈黙を守る。

 それはどれくらいの時間だっただろうか。

 小さくため息をつくと、再び王妃が目を開けた。

 そこにはもう儚げなものはなく、凛とした気配を纏っていた。

 がらりと変わる雰囲気に思わず呑まれる。

 王妃は、ゆっくりと椅子から立ち上がると、自分へと向き直った。

 自分が立ち上がろうとするのを制し、静かに口を開く。

「―――――今回のことでは、本当にレイナが迷惑をかけた。それに僕はエリーザが巻き込まれると分かっていながら止めなかった」

「……いいえ」

「謝って済むことではないけれど………僕から、そしてあの子の代わりに『母親として』謝罪を申し上げる。申し訳ありませんでした」

 さらりと黒髪が揺れ、この国で王の次に権力を持つ人が、頭を垂れた。

 その姿に硬直する。

 『母親として』という言葉の裏には、『王妃としてはできない』という想いが込められている。

 だからこの謝罪は、王妃ではなく個人としてのものだろう。

 今回のことは、王女が起こしたことだと聞いている。

 けれど表向きは、王家に背く『レイビア・フェイアン』たちが起こしたことになっている。

 だからこそ、王家が人質となった自分に謝罪することは有り得ない。

 それでも『個人として』、『母親として』なら、と頭を下げる王妃の姿に動揺を隠せなかった。

 自分には頭を下げる価値などなく、王妃が気に掛けるべき存在でもない。

 硬直から一転、ようやく立ち上がる。

「頭を上げてください、私などに頭を下げられる必要などありません。どうか……」

 必死に言い募るが、王妃は頑なだった。

「いいや、本当なら這い蹲ってでも謝らないといけないぐらいだし、馬鹿娘にも謝罪させなければならないだろう」

「私は、それを望みません。ですから、どうか頭を上げてください。お願いします」

 懇願のように言って、ようやく王妃は頭を上げた。

 その顔は、罪悪感と申し訳なさでいっぱいだった。

 この部屋に迎え入れてくれたときの自信にあふれた姿はどこへ、と思うほど深く反省している様子にきりきりと胸が痛んだ。

 さらに、

「謝罪の意を表すために、僕は……王妃の座を退こうと思う」

「え」

「守らなければならない民を利用する計画を立てたときから、それは決めていた。娘を諌め切れなった僕は、その座に相応しくない」

 真剣な面持ちで言う王妃を見ながら、頭と心がひやりと冷えていくのを感じた。

 この方は何を言っているのか、と思いながら同時に本気だ、と思う。

 決してその場しのぎの嘘ではない。

 きっぱりと言い切る姿は、凛として美しい。美しいのだが。

 自分のために、退位するという。

 フェイアン人から絶大な支持を得て、他の追随を許さないどころか『唯一の妃』と王に言わしめた人が。

 自分の所為で。


「やめてください。退位されるなど、絶対にやめてください」


 考えるまでもなかった。

 これほどまでに自分の主張を通したい、と思ったことはないと言い切れるほど、その言葉を繰り返す。

「でも」

「レティシアさまが私の所為で退位されるなど、私は望みません。そんなことになれば、すべてのフェイアン国の方に顔向けできなくなります。謝罪であれば、さきほど受け取りました。それ以上は必要ございません」

 強く言い切る。

 王妃はそれでも何か言おうとしたが、譲らないという想いを込めた目に、やがて諦めたように息をついた。

 王妃は、ごめん、と小さく呟いた。

 その姿にふっと、


『とても聡明な人なのだけれど、ときどき突拍子もないことをして驚かせてくれるの』


 ころころと笑っていた母の言葉を思わず思い出した。

 こんな突拍子もないことなどいらない、と思った。

 見上げた王妃は、目を伏せながら、

「エリーザがそう望むのなら、退位はやめることにする」

「そうしてください。それが私の望みです」

「……けれど、レイナについては……フレイヴィアスから聞いてるかな」

 と尋ねてきた。

 小さく頷き、肯定する。

「……降嫁されるとお聞きしています」

「そう。これはもう覆らない。もっと重い処分を、と思うかもしれないけれど」

 王妃の言葉に内心首を振る。

 本当は、降嫁も望みはしない。

 確かに危害を加えられたとは、思う。

 恐ろしいあの状況の中、どうしてと王女を恨みたくなる気持ちもあった。

 だからといって、重い処分や不幸になることなど望みはしなかった。

 ただ夫に恋をして、結ばれるはずだった王女を――――哀れに思う、などと言ったら憤慨するだろうが、思わずにはいられなかった。

 自分さえいなければ、と考える王女が分からないでもないのだ。 

 けれど今回のことで、決定的に王女と夫は道を違えた。

 ―――――辺境の地への降嫁。

 自分に対する謝罪として王家がそれを決めたのなら、意を唱えることはできない。

 重くしてほしい、とも軽くしてほしい、とも。

「……私は、もう気にしておりません。だからこれ以上のことは、望みません」

 王家の決定に従う、それだけだ。

 その考えを読み取ったのだろう。

 王妃が声に出さず、けれど小さく『ありがとう』と唇を動かした。

 それから呆れたように、微笑む。

「それだけで済ませるなんて、本当にフレイヴィアスもエリーザも人が善すぎるよ」

 だけど、と呟き、そっと手を伸ばして頬を撫でられる。


「君たちはお似合いだね」


 ――――幸せにおなり。

 まるで、母に言われたようだった。





「……フレイヴィアスさま」


 そっと呼びかけると、庭園に向けられていた紫の瞳がこちらを向く。

「王妃陛下が―――――離縁したいなら手を貸すと言ってくださいました」

「………」

 紫色の瞳が、驚いたように見開かれる。

 脇に下された手が、僅かに動いたのが視界の端に映る。

 だが、目は夫を真っ直ぐに見上げる。


「けれど、私は……あなたのそばにいたい。あなたと生きたいと申し上げました」


 初めて、かもしれない。

 これほど自分の望みを口にするのは。

 今までは決して考えられなかった。

 迷惑をかけないようにしようとするので精いっぱいいで、望みを口にするなど許されないと思っていた。

 だが、今日は初めてそれをした。

 怒るだろうか、と思って見上げた夫は、瞬きすらせず自分を見下ろしていたが、ふっと紫色の瞳が和らいだ。

 手が、頬へと伸ばされる。

 王妃が撫でてくれた場所と、同じ場所。


「―――――言ったはずです。あなたに私の隣以外に生きる場所はないと」


 あたたかい掌を、自分も包むように握る。

 大きくて、自分を守る手。

 この手だけをずっと覚えていたい。この手だけに、触れられていたい。


「もう一度言います。私の妻として生きてください」


 あのときと同じその言葉。

 生きる意味となった言葉。

 呆れられるかもしれない、と思うのにいつだって涙は止まらない。

 自分でも呆れるほど簡単に涙がこぼれる。

 はい、とうなずくので精いっぱいだった。

 それでも夫は、白い面に笑みを浮かべてくれた。

 眩い光を遮るように、影が差す。

 そっと重なる唇に、目を閉じた。




『幸せにおなり。もしも何かあれば……離縁したいと思うようなことがあればいつでもおいで。ローザの代わりに僕が守ってあげるから』









 エリーザ。

 ――――――イーデン最後の王女。





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― 新着の感想 ―
[一言] 良かったです。 うるうるしてしまいました。 きちんと皆が役割をこなしているところが好みです。 王妃様推しかも。 ステキなお話でした。
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