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『過労死百貨店マンの江戸商売無双 ~「お客様第一」の精神とドラッカーマネジメントで、天下の市場を買い占める~』  作者: 桐生宇優
第三章:日本列島ドミナント編

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第47話:おはらい町の熱気と、嵐の精進落とし

本作は、現代の経営理論で歴史を動かすビジネス思考実験フィクションです。

松阪を出発した越前屋一行は、ついに憧れの伊勢神宮のお膝元――「山田(外宮周辺)」へと到着した。


古来からの参拝の掟に従い、まずは衣食住の守り神とされる「外宮げくう」を参拝。


それから清流・五十鈴川いすずがわにかかる大きな宇治橋を渡り、皇室の御祖神を祀る「内宮ないくう」へと足を踏み入れた。


高くそびえる杉の巨木に囲まれた参道。凛とした神聖な空気が漂い、お春は自然と背筋を伸ばして手を合わせた。


「すごい……。なんだか、身も心も洗い流されるみたいです……」


「ふむ。この静寂と荘厳さこそが、全国の参拝客を惹きつける『ブランド価値(価値体験)』の源泉だな」


貞次郎も真摯な眼差しで鳥居を仰ぎ見た。


だが、境内を出て門前に広がる「おはらい町」へと足を踏み入れた途端、静寂は一変した。


「さあさあ! お伊勢参りの名物! 出来たての『赤福餅』だよッ!」


「お札にお守り、伊勢の白粉はいかがですかー!」


参道の両側に立ち並ぶ旅籠やお土産屋から威勢のいい声が飛ぶ。全国から集まった参拝客が押し合いへし合い、熱気はまさに狂乱の祭りそのものだった。


「わあぁっ! 若旦那、赤福餅です! 赤福餅!」


お春は目を輝かせ、出来立ての赤福餅をパクリ。


「んん〜っ! お餅が赤ちゃんの耳たぶみたいに柔らかくて、餡子の甘さが上品で……美味しすぎます〜っ!」


お艶もくすりと笑い、五十鈴川のせせらぎを背景に赤福餅を味わった。


「ふふ、清らかなお参りの後に、この甘いお餅。参拝客の心理をよく分かっているじゃないかい」


十分に参道の熱気を体感した一行は、桑名の伊勢屋から託された最高ランクのVIP通行手形を手に、おはらい町で最も巨大な権力を持つ御師おんしの館――藤波太夫ふじなみたゆうの屋敷を訪ねた。


通された大広間は、まるで大名の館かと見紛うばかりの豪華絢爛さであった。


上座にどっかと座るのは、鋭い眼光と豪快な体躯を持つ男、藤波太夫その人である。


「ほう……。桑名の伊勢屋から話は聞いておる。江戸の呉服屋・越前屋の若旦那か。……して、神聖な伊勢の門前町で、このわしに何の商談だ?」


威圧感たっぷりに睨みを効かせる藤波太夫。


だが、貞次郎は怯むことなく、冷静に大福帳を開いて図面を提示した。


「藤波様。我々はただの参拝に来たのではありません。年間数百万人もの参拝客が故郷へ持ち帰る『軽くて、安くて、最高に縁起が良いお配り物』の事業計画を携えてまいりました」


「お配り物……? 手ぬぐいだの巾着だのか?」


「左様です。参拝客が本当に欲しいのは、我々が扱う反物ではなく、故郷で旅費を出資してくれた『伊勢講』の仲間へ配る、軽くて縁起の良いお土産(おかげ手ぬぐい等)です。

我々が江戸と大阪で培い、そして今回の旅で目にした技術でこれを製造・供給しますが……その販売窓口と流通の管理、そして上がった利益の半分(手数料)は、すべて藤波様とこちらの御師仲間に進呈いたします」


「……なに!?」


藤波太夫の目が見開かれた。


「あなた方は一切の在庫リスクを負わず、全国の信者ネットワークへこの商品を流すだけで、従来の祈祷料とは別に莫大な『ロイヤリティ収入』が転がり込みます。……いかがでしょう、藤波様?」


静寂が静まり返る大広間。


次の瞬間――ドカンッ! と藤波太夫が自分の膝を叩いた。


「ガハハハハッ! 素晴らしい! 素晴らしいぞッ、越前屋の若旦那!」


藤波太夫は大笑いし、豪快に身を乗り出してきた。


「反物を押し売りするのではなく、参拝客の欲しい『お配り物』を作り、我ら御師の流通に乗せて利益を分かち合う……! 敵に回せば恐ろしいが、味方にすればこれほど心強い商人もいない! よし、その『おかげ手ぬぐい』の構想、このおはらい町での販売を、わしが全面協力して引き受けよう!」


「感謝いたします、藤波様」


貞次郎が静かに頭を下げると、藤波太夫は満足そうに何度も頷き、ニヤリと不敵で豪快な笑みを浮かべた。


「いやあ、気に入ったぞ若旦那! お前さんのようなキレる男は大好きだ! ……よーし、無事にお参りも商談も済んだことだ! 今夜はわしが【最高の精進落とし】に連れて行ってやるぞッ!」


「しょうじんおとし……? 参拝後の精進料理の宴会ですか?」


貞次郎が首をかしげた瞬間、藤波太夫はガハハと鼻で笑った。


「カッカッカ! 違う違う! 伊勢参りの仕上げと言えば、江戸の吉原にも負けぬ日本五大遊郭の一つ――【古市ふるいち】での大酒宴よ! 名物の伊勢音頭と、極上の遊女たちをズラリと揃えてもてなしてやるからな!」


――ピキッ。


部屋の温度が、一瞬で氷点下まで下がりかけた。


藤波太夫の後ろで控えていたお春とお艶の眉間が、同時に跳ね上がったのだ。


お春が顔をひくひくと引きつらせ、貞次郎の背中に迫る。


「(ピキピキ……)ちょっと若旦那……! 精進落としって……そういうお店に行くことだったんですか!?」


お艶も煙管の煙をふぅーっと長く吐き出し、眉をひそめて微笑んだ。


「ふふ……古市かい。吉原の元トップの私の前で、伊勢の遊郭でもてなしてくれるって言うんだねぇ。貞さん……存分に楽しんできたらどうだい……?(目が全く笑っていない)」


「い、いや、私は地域の娯楽産業の収益構造と、消費行動を現地視察したいだけで……」


貞次郎が弁明しようとするが、時すでに遅し。


「さあ行くぞ若旦那! 男の精進落としだあッ!」


「あ、ちょっと藤波殿……! 押さないでくれ!」


豪快な藤波太夫に肩を組まれ、強引に屋敷の外へと引っ張られていく貞次郎!


お春とお艶は顔を見合わせ、恐ろしい笑顔で頷き合った。


「お艶さん……絶対に行きますよね?」


「当たり前じゃないかい、お春ちゃん。貞さんが変な狐に化かされないよう、しっかり特等席で見張ってあげなきゃねぇ」


お春とお艶の「女の勘(と嫉妬の追撃宣言)」が炸裂する中、一行は伊勢参りの夜の真骨頂――日本屈指の大歓楽街「古市遊郭」へと連行されていくのだった。


(第48話へ続く)




三井貞治のビジネス指南と歴史考証

1. ビジネス指南:地域のハブ(権力者)を味方につけるトップダウン営業の極意

第47話で描かれたのは、新規エリア開拓における最も効果的な手法「地域のハブ(権力者・インフルエンサー)を狙ったトップダウン営業」です。

参宮街道や参道(おはらい町)で個別に店舗を開拓していくのは莫大な時間がかかります。しかし、その地域の流通と信者ネットワークを完全に握っているトップ(御師の藤波太夫)に直接アプローチし、「相手の既存アセットを活用した Win-Win の事業計画」を提示することで、一瞬でおはらい町全体の独占販売網を獲得しました。

「相手の利権を奪うのではなく、自社のアイデアで相手の市場価値を何倍にも膨らませる」という提案こそが、保守的な既存業界のトップを一発で陥落させる最大の武器なのです。

2. 歴史考証:外宮先参げくうさきまいりのルールと「赤福餅」の歴史

作中に登場したお伊勢参りの伝統的な風習とグルメについて解説します。

外宮先参げくうさきまいり」の正しいルール:

伊勢神宮を参拝する際、古来より「外宮(豊受大御神:食と産業の神様)」を先に参拝し、その後に「内宮(天照大御神:皇室の御祖神)」を参拝するのが正しい順序(外宮先参)とされていました。貞次郎たちが外宮から参拝したのは、この史実に基づく参拝手順に忠実だったからです。

おかげ参りで爆発した「赤福餅」の史実:

お春が大喜びで食べた「赤福餅」は、宝永四年(1707年)に伊勢のおはらい町で創業した超老舗です。江戸時代中期からの「おかげ参り」の爆発的ブームとともに、参拝客の絶大な人気を集めました。餅の形に施された三本の波線は、内宮の脇を流れる「五十鈴川の清流」を表しており、赤餡は川底の小石を表しています。長旅で疲れた参拝客にとって、五十鈴川の清流を眺めながら食べる甘い赤福餅は、最高の癒やしとエネルギー補給だったのです。

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