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【書籍化】図書館の魔法は静かに始まる【一巻分完結済】  作者: はれはる
第七章 王国に忍び寄る闇

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第四十一話 因縁の墓標、そして帰るべき場所

 間近で見る領主の屋敷は、遠目から見るよりもずっと異様な空気を纏っていた。

 庭園の木々は枯れ果てて幽霊のように枝を伸ばし、かつては豪華だったであろう正門には醜い錆が浮いている。マチルダが重厚な扉を押し開けると錆びた門扉が亡霊のような悲鳴を上げる。二人は警戒しながら内部へと潜入した。

 

 「……これは、ひどいですね」

 

 屋敷の内部は、外観以上に荒廃しきっていた。

 手入れをする使用人が一人もいなくなったのか、贅沢な大理石の床は泥と埃で汚れ、高級そうな調度品は厚い埃を被っている。何より異様なのは、壁にかけられた歴代領主と思われる肖像画が、ことごとく鋭い刃物で無惨に切り裂かれていることだった。

 屋敷内には灯り一つなく、日中であるはずなのに、奥へ進むほど不気味な闇が深まっていく。

 かつて栄華を極めたであろう館は、今や没落した主の狂気と執着を閉じ込めた、巨大な墓標のようだった。

 闇に沈む廊下の奥から、キィ……キィ……と、不快な金属が擦れ合う音が響き渡った。

 

「文乃、下がって!」

 

 マチルダが鋭く叫ぶ。彼女はいつものメイドらしい柔和な空気を完全に消し去り、スカートの奥から一振りの短剣を引き抜き、逆手に持つ。

 闇を割り、ゆっくりと姿を現したのは、一人の騎士だった。

 返り血と埃で汚れ、光沢を失ったフルプレートアーマー。その奥にあるはずの瞳は見えず、ただ無機質な殺意だけが立ち込めている。騎士は無言で、重厚な長剣の先をマチルダへと向けた。

 刹那。

 

「――っ!」

 

 その巨躯からは想像もつかないほどの爆発的な踏み込み。騎士の長剣が、空気を断ち切る鋭い音を立ててマチルダに襲いかかる。マチルダは短剣でその一撃を必死にいなすが、衝撃を逃がしきれず大理石の床が小さく爆ぜた。

 先ほどの賊たちとは格が違う。

 無駄のない太刀筋、練り上げられた連撃。一分の隙もない研ぎ澄まされた剣技に、あのマチルダがみるみると防戦一方に追い詰められていく。

 

「くっ……!」

 

 激しい火花が散り、強烈な横薙ぎの一閃がマチルダの短剣を捉えた。凄まじい筋力によって弾き飛ばされた短剣が、廊下の隅で甲高い音を立てて転がる。

 騎士は容赦なく長剣を高く振り上げ、止めを刺さんと振り下ろした。

 死の影がマチルダを覆ったその瞬間、彼女は袖口から隠し持っていた最後の一投を繰り出した。超至近距離からの刺突。狙いは、兜と胴大袖のわずかな隙間――。

 勝負あった。

 そう確信した文乃の目が見たのは、何かに阻まれ動きを止めた一振りのナイフ。

 

「そんな……っ、効いてない!?」

 

 マチルダの渾身の反撃は騎士の喉を貫くことなく、逆に重い籠手ガントレットの一撃を食らったマチルダが、紙屑のように後方へと弾き飛ばされた。

 文乃の脳裏に、かつて読んだ古い歴史小説の一節が、浮かび上がる。

 ――重厚な板金鎧の下に、さらに細かな鋼を編み込んだ『チェインメイル(鎖帷子)』を纏う重装歩兵。隙間を狙った刃すら通さない、難攻不落の要塞。

 まともに戦えば勝機はない。文乃は恐怖で震えながらも、必死に周囲を見渡した。

 知恵だ。この絶望を覆すための、物語から得た「知識」を、今ここで引き出さなければならない。

 

(――落ち着け、私! 本の中に勝機はある。フルプレートアーマー(全身金属鎧)は確かに無敵の要塞だけど、完璧な兵器なんてこの世に存在しない……!)


 床に倒れ込んだマチルダへ、騎士が冷酷な死神のように歩み寄る。

 長剣が鈍い光を放ちながら振り上げられたその時――睨み据えるマチルダの視界を、上空から舞い降りた巨大な「影」が遮った。

 それは、重厚なベルベットのカーテンだった。

 不意を突かれ、上半身をすっぽりと布に覆われた騎士がたじろぐ。視界を奪われ、もがく鉄塊。その一瞬の隙をマチルダが逃すはずもなかった。

 

「――っ!」

 

 マチルダは痛む体に鞭打って跳ね起きると、腰の鞭を解き放った。しなやかな蛇のごとき革紐が、カーテン越しに騎士の腕と胴体を幾重にも、そして強固に縛り上げる。自由を奪われた重装騎士は、自らの重みに耐えきれず、轟音とともに床に転倒した。

 マチルダが息を切らしながら吹き抜けの上階を仰ぎ見ると、そこには手すりから身を乗り出し、必死に手を振る文乃の姿があった。背後の窓からは、片方のカーテンが無残に剥ぎ取られている。

 

「……文乃。お見事な、機転です」

 

 マチルダは疲労困憊といった様子でその場に座り込み、小さく、けれど心からの称賛を口にした。

 ようやく訪れた安堵。だが、その静寂を切り裂くように、冷酷な男の声がエントランスに響き渡った。

 

「動くな。……それ以上一歩でも近づけば、この小娘の喉を掻き切るぞ」

 

 声の主は、二階の回廊に立っていた。

 無精髭を生やし、瞳に狂気の色を宿したやつれた男。彼が強引に抱きかかえ、その細い首元に鋭い剣を当てているのは――紛れもない、エマだった。

 

「エマ……っ!」

 

 文乃が叫ぶ。しかし、エマはひどく衰弱しており、虚ろな瞳は文乃の姿を捉えることさえできない。

 文乃は怒りに全身を震わせ、手すりを強く握りしめた。

 

「どうして……どうしてこんなにひどいことをするの!?」

 

「金だ。金がいるんだよ!」

 

 領主――バルタザールは、裏返った声で喚き散らした。

 

「すべてを注ぎ込んだ金鉱開発は失敗に終わった! あとに残ったのは、私の首を絞め続ける莫大な、あまりにも莫大な借金だけだ! このままでは、我が領地は切り売りされ、私は爵位も名誉も失って路頭に迷うことになる……没落だ! 我が名門バルタザール家が、みすぼらしい平民どもと同類に落ちるのだぞ!?」

 

 彼は血走った瞳を文乃たちに向け、ハハハと狂ったように笑った。


「それがエマと何の関係があるの!? 彼女は関係ないでしょ!」

 

「関係は大有りだ! ある商人から聞いたのだ。王立図書館に眠る古文書は、あまりに巨大すぎる力ゆえに一部の巻が引き離され、かつて『守り人』と呼ばれた者たちの手で世界各地に隠されたのだという。そして――その古文書はすべて特殊な古代の文字で書かれており、解読できるのは、その文字を後世へと密かに伝えている『守り人の一族』の血を引く者だけなのだと!」

 

 バルタザールは歪んだ笑みを浮かべ、思い出すように天を仰いだ。

 

「それを聞いた瞬間、私の脳裏にある記憶が閃いた。……かつてこの領地に住んでいた、エマの父親の言葉だ。あいつは昔、私に話したのだよ。我が家系には、一族の者しか読めない不思議な文字で書かれた古い本がある、とな。繋がったのだ! エマの一家こそが、その伝説の『守り人の一族』なのだと!」

 

 彼はギリ、と奥歯を噛み締め、忌々しそうに顔をしかめる。

 

「だから私はエマの父親に、最高の提案をしてやったのだ。私と一緒にリュクサールに潜入し、莫大な富と力が手に入るあの古文書を盗み出そう、とな。あいつが解読し、私がその力を使えば、共に世界の頂点に立てると。だが、あの男は何と言ったと思う? 『本は金や力を得るための道具ではない』だと……! あの恩知らずが!俺の父が雇ってやった恩を忘れたか!」

 

 狂った領主の刃が、エマの白い肌をわずかにかすめる。文乃は絶望的な怒りの中で、エマの両親が守り抜こうとした「英知」の重みを、そしてそれを踏みにじろうとする男の浅ましさを、呪うように見つめていた。

 絶望の叫びと共に、死の刃がエマに向かって振り下ろされた。

 振り下ろされた死の刃。その瞬間、時間は止まった。

 

 「……え?」

 

 バルタザールが呆然と声を漏らす。剣の切っ先は、エマの喉元わずか数センチのところで、固定されたかのように静止していた。

 領主が顔を上げると、必死の形相で剣の身を掴み取った文乃が立っていた。

 手に幾重にも巻き付けたのは、先ほど引きちぎった厚手のベルベット・カーテン。

 それでも鋭い刃を防ぎきることはできず、布の隙間から赤い血がじわりと滲み出し、彼女の指を濡らしていく。

 文乃の額には苦痛と恐怖の汗が浮かんでいた。膝はガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうだ。それでも、彼女の目はバルタザールを真っ向から射抜いていた。

 

「……本は、金や力を得るための道具じゃないって、エマのお父さんは言ったんでしょ!」

 

 文乃は叫んだ。

 

「物語は、誰かを傷つけるためのものじゃない! 誰かを守って、勇気づけるためにあるのよ!」

 

 文乃は、全身の力をその一点に集約させた。

 本を握り、ページをめくり、未知の世界を旅してきたその体。彼女は喉が張り裂けんばかりの気合とともに、領主の顔面へ向けて渾身の「頭突き」を叩き込んだ。

 鈍い衝撃音が響き、鼻を押さえたバルタザールが仰向けにのけ反る。

 

 「がはっ……!?」

 

 支えを失った男の体は、そのまま重力に引かれ、長い階段を無様に転げ落ちていった。

 階段の下では、体勢を立て直していたマチルダが待ち構えていた。

 

 「……これで終わりです」

 

 落ちてきた男の首筋を一突きで打ち据え、瞬く間にその手首を縛り上げる。もはやバルタザールに抵抗する力は残っていなかった。

 静寂が、埃の舞うホールに戻ってくる。

 

「……文乃。無事ですか」

 

 階段を駆け上がってきたマチルダの声を聞いた瞬間、文乃の張り詰めていた糸がぷつりと切れた。

 彼女はその場にへたり込み、子供のように顔をくしゃくしゃにして声を上げた。

 

「マ、マチルダさぁん……! 怖かった、本当に、すっごく怖かったよぉ……!」

 

 溢れ出す大粒の涙。マチルダは慈愛に満ちた仕草で、震える文乃と意識が朦朧としているエマを同時に引き寄せ、優しく抱きしめた。

 

「ええ、ええ。よく頑張りましたね。お二人とも、本当にお見事でした」

 

 母のような温もりの中で、文乃の泣き声が屋敷の闇を溶かすように響き渡っていた。彼女が守り抜いた「物語」の結末は、血の滲む手のひらの中に、確かな温かさとして残っていた。


 ***


 遠くの方から、懐かしく、そして何よりも優しい母の声が聞こえてくる。

 それはエマが幼い頃から大好きだった物語――。

 黒いローブを身にまとった一人の魔女が、世界を支配しようとする魔王に立ち向かう英雄譚。魔女は古の魔導書を紐解き、そこに眠る英霊たちの知恵と力を借りて、ついに魔王を打ち倒す。敗れた魔王は小さな黒猫の姿に変えられ、それからは魔女のお供として、共に世界を旅する仲間になる……。

 温かく柔らかな手が、エマの髪をそっと撫でていた。

 まどろみの中でエマがゆっくりと目を開くと、そこにいたのは愛する母ではなく――涙で顔を濡らしながらも、必死に微笑もうとしている黒縁眼鏡の少女。そしてここは王立図書館にある柔らかなソファの上だった。

 

「……文乃……」

 

 その瞬間、エマの心に現実が濁流のように押し寄せた。

 自分を慈しんでくれた両親は、もうこの世にはいない。帰るべき「あの頃」は、どこにも存在しないのだという痛切な事実。エマは文乃の胸に顔を埋め、幼子のように声を上げて泣き叫んだ。

 文乃は何も言わず、ただ、折れそうなほど細くなったエマの体を、壊れ物を扱うように強く、優しく抱きしめ続けた。

 やがてエマが落ち着きを取り戻し、泣き疲れて小さく息を吐いた時。文乃は彼女の顔を覗き込み、耳元でささやくように告げた。

 

「……おかえり、エマ」

 

 その言葉は、自分を待っていてくれる誰かがいる、温かな居場所への招待状だった。

 エマは震える唇を噛み、囁くような声で、けれど確かに答えた。

 

「……ただいま……文乃」

 

 文乃は心底ほっとしたような表情を浮かべ、エマの顔色を窺いながら尋ねた。

 

「気分はどう? どこか、痛いところはない?」

 

「……うん。少し疲れてるけど、もう大丈夫。きっと助けに来てくれるって信じてた」

 

 弱々しくも、いつものエマらしい丁寧な口調。それを聞いて、文乃はようやく心の底から安堵することができた。

 

「よかった。……ねえ、エマ。あなたに渡したいものがあるの」

 

 文乃は、傍らに置いていたカバンから大切そうに二冊の本を取り出し、エマの手元へ差し出した。

 

 一冊は、父が遺した日記。彼が何を想い、母と娘をどれだけ愛していたかが記された軌跡。

 

 そしてもう一冊は――母がいつも読み聞かせてくれた、あの古い羊皮紙の綴り。魔女と、元魔王の黒猫が旅をする、あの「物語」の古文書だった。

 

「これ……」

 

 エマはその二冊の本を胸に抱きしめ、今度は静かに、穏やかな涙を本の上にこぼした。

エマは震える手で一冊の古い日記帳を差し出す。

 

「文乃……お願い。一緒に、読んでくれる……?」

 

 不安げに揺れるエマの瞳に、文乃は黙って頷いた。二人は寄り添い、父が遺した言葉の一行一行を、指先でなぞるように読み進めていった。

 そこに綴られていたのは、領主が欲したような「強大な力」の記録ではなかった。

 母と出会い、恋に落ちた日の高揚。不器用なプロポーズの言葉。穏やかなデートの日々と、最高に幸せだった結婚式の記憶。そして――エマという新しい命がこの世に生を受けた日の、魂が震えるような喜び。

 ページをめくるたび、幼いエマが少しずつ成長していく記録が、父の温かな筆致で描かれていた。

 だが、物語の終盤、日記の色調は暗く塗り潰されていく。

 突如現れた学者の口車に乗り、無謀な鉱山採掘に乗り出した領主バルタザールの焦燥。積み重なる借金。父がいくら説得を試みても、すでに後に引けなくなっていた領主の耳には届かなかったこと。そして、ついに持ちかけられた、リュクサール王立図書館の古文書強奪の計画――。

 

「……こんなことのために」

 

 エマの唇から、乾いた声が漏れた。

 

「こんな、下らない欲のために……お父さんも、お母さんも、あんなに惨い目に遭わなきゃいけなかったの……?」

 行き場のない悲しみが、エマの小さな肩を震わせる。その時だった。

 古びた革製カバーと日記の本体の間から、カラン……と、硬い音がして何かが床に落ちた。

 それは、飾り気のないシンプルな銀の指輪だった。

 エマはそれを拾い上げると、文乃が首にかけてくれていたペンダントのロケットを開いた。そこには両親の肖像画の裏に、もう一つの、一回り小さな銀色の指輪が隠されていた。

 父の指輪と、母の指輪。

 エマは二つの輪を静かに重ね合わせた。重なり合った二つの指輪は、ぴったりと一つに寄り添い、ロケットの中へと収まった。

 それは、どれほど過酷な運命に翻弄されても、二人の愛だけは決して領主の魔手には届かなかったことの証明だった。

 エマの目から、今度は静かな涙が溢れ出した。

 その姿を見た文乃は、何も言わずに、再びエマをそっと抱きしめた。

 

「……温かいね。エマのご両親の想い、ちゃんとここにあるよ」

 

 その時、二人の体温が確かな灯火のように、優しく混じり合っていた。

 静かな涙を流し合う少女たちの姿を、少し離れた図書館の巨大な石柱の陰から、じっと見つめる二つの影があった。

 黄金の髪を揺らしたレオネルと、腕を組んで佇む騎士団長ガルドだ。

 

「……終わったな」

 

 ガルドが低い声で呟く。その強面には、いつもの厳格さはなく、どこか父親のような温かい眼差しが浮かんでいた。

 

「ああ。本当に、無事で良かった……」

 

 レオネルはホッと胸を撫で下ろし、ふっといつもの穏やかな、けれど少しだけ寂しげな苦笑を漏らした。

 

「すぐに手続きを終えて二人の後を追うと言いながら、結局、最後まで彼女たちだけの戦いにさせてしまった。……王族の権力なんて、お堅い文官たちの書類一枚をひっくり返すのにも時間がかかる。無力なものだね。国境の壁に阻まれ、ただ待つことしかできなかった我が身が、これほど呪わしかったことはないよ」

 

 悔しげに自嘲する主君の肩を、ガルドが大きな掌で無造作に叩く。

 レオネルはもう一度、優しく混じり合う二人の温かな灯火を見つめた。

 エマが目を覚まし、涙を流す場所は、荒れ果てた故郷の地ではない。今、彼女たちが守り抜いた、この優しく穏やかな王立図書館こそが――エマの、そして文乃の『帰るべき場所』なのだと、二人の男は確信していた。

 

「おかえり、文乃。おかえり、エマ」

 

 届かないほどの小さな声で、レオネルは愛おしい友人たちへ、静かに安堵の言葉を紡いだ。




――そして数日後。


 事件の緊張が解けた文乃は、完全に“燃え尽き症候群”のような日々を過ごしていた。

 書庫の奥の部屋で、ふかふかのソファに寝転がり、分厚い本を手にして半眼のままページをめくる。

 そんなだらけきった文乃の視界に、スッと影が差した。少しずつ元気を取り戻し、以前のような凛とした仕草を見せるようになったエマが、両手を腰に当てて呆れたように文乃を見下ろしている。

「文乃、いつまでそうしているつもり? それは一応、王家から依頼されている『公務』なんだから。もう少し真面目にやってよね」

 エマの正論が、鋭い矢のように文乃の胸に突き刺さる。だが、今の文乃にはそれを受け止めるだけの精神的筋力が残っていなかった。

「むぅ……。やってるよぉ。これでも、必死に解読中なんだもん」

 文乃は子供のように頬を膨らませてむくれると、ソファの上でゴロリと寝返りを打った。

「いいじゃない。縦になって読んでも、横になって読んでも、文字は文字だもん。内容さえ頭に入れば、姿勢なんて関係ないはず……。今の私には、この『水平読書法』が一番効率的なのっ」


 そのやり取りを見ていたレオネルが、呆れたようにため息をつく。

 

「まったく……少しはしゃんとしろ。気を抜きすぎだぞ」


「だってぇ、頑張った後ぐらいは、ゆっくりしてもいいでしょ?」

「そう言って三日も寝転がってるやつがどこにいる」

 レオネルが呆れ混じりにぼやくと、文乃は悪びれもせず笑った。

「お願いだから、もうちょっとこの平穏を堪能させてよ〜」


 その無邪気な笑顔に、レオネルと一緒にいたノエルも思わず苦笑を漏らす。


 文乃は欠伸を噛み殺しながら、本を閉じた。

 

「それに仕事はちゃんとやってますよぉ。私の仕事は“古文書の解読”ですからね。動くより読む方が得意なんです」


「……態度が完全にサボってる奴のそれだな」


 レオネルが額を押さえながら、手を一つ叩いた。

 その音に呼応するように――ソファの背もたれの陰から、影がぬるりと立ち上がる。


「再教育の時間です、文乃さん」


「ひっ!? マ、マチルダさん!? ど、どこから出てきたの!?」

「監視しておりました」

「怖いよ! 騎士団の諜報部みたいなノリやめて!」


 しかしマチルダは容赦しない。

 

「文乃さん、怠惰は最大の敵です。参りますよ」

「え、どこに!?」

「訓練場です」

「絶対いやあああああ!」


 文乃の悲鳴も虚しく、屈強なマチルダによって腕を取られ、

 まるで猫のようにずるずると連行されていく。


――そして、騎士団訓練場。


「まだまだ! 足を止めたら追加十周!」

「これ以上無理ぃ!もう足が上がりませんー!!」

 その様子を見て、見学していたエマが目を輝かせた。

 

「マチルダさん、すっごい! 私もマチルダさんみたいに強い女性になりたいです!」


「……あら、素敵な心がけですね。では、あなたも一緒に走りますか?」

「はいっ!」


 エマが元気よく走り出し、その背中に負けじと文乃も必死に足を動かす。


「ふはは! 素晴らしい!やはり筋肉は全てを解決する!俺も走るぞーっ!」

 

 ガルドが上半身裸で参戦し、筋肉の波を揺らしながら豪快に駆け出した。


「……暑苦しい……だが、たまには私も体を動かすか」

 

 レオネルも剣を腰に下げたまま走り出す。


「に!兄さんが走るなら、僕も!」

 

 ノエルも笑顔で続き、あっという間に訓練場は小さなマラソン大会と化した。


「なんで私の周りは、こんなに体育会系ばっかりなのよ――!?」

 文乃が涙目で叫ぶ中、仲間たちの笑い声が青空に響く。


 息を切らせながらも、ふと横を見ると――エマが笑っている。

マチルダが満足げに腕を組んでいる。

 そして、レオネルとノエルが並んで朝日に照らされていた。


文乃は息を吐き、ふっと口元を緩めた。


「……まったく、みんな元気すぎ。

 でも……こうして走るのも、悪くないかもね」


その笑顔は、どこか穏やかで、確かな平和を映していた。


 

ここまでお読みいただき、

本当にありがとうございます!

本作は6月末まで、

一気に完結に向かって毎日投稿予定です。


「続きが気になる!」「一気読みしたい!」

と思ってくださった方は、下にある

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どうぞよろしくお願いいたします!

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