第二十五話 昭和の精神論への反逆、一ヶ月の決闘の約束
翌日。
再び文乃の耳に飛び込んできたのは、昨日よりも激しい怒号と悲鳴だった。恐る恐る窓を覗くと――。
「うぉぉぉぉおおお! 足を止めるな! “ジエイタイ”に負けるな!」
「ひぃ……団長、もう限界ですぅ……死にますぅ……!」
昨日よりもさらに重そうな荷を背負い、ふらふらと行軍する騎士団員たちの姿があった。背嚢には石や砂袋まで追加され、見ているだけで肩が外れそうだ。文乃は窓枠に額を押し付け、深いため息を吐く。
(……やっぱり私のせいじゃん……!)
胃がキリキリと痛む。背後に積み上げられた愛しい本の山も、この巨大な罪悪感までは隠してくれない。
「自分で蒔いた種なんだから、自分で何とかしないと……」
暗い表情で腰を上げた文乃は、重い足取りで広場へ向かった。その背中は、処刑台へ向かう囚人のように丸まっていた。
広場に出た瞬間、文乃は息を呑んだ。そこには、あまりに残酷な対比があった。
ひとつは――鋼鉄のような肉体を躍動させ、生き生きとした顔で檄を飛ばすガルド・シュタインベルク。
「歩け! まだ歩けるだろう! その程度で音を上げるなァ!」
もうひとつは――生気を完全に抜かれ、土気色の顔でよろめく騎士団員たち。足取りは千鳥足で、口からは言葉にならない空気の漏れる音だけが響く。
その光景が、文乃の脳裏にある記憶をフラッシュバックさせた。現代日本、高校時代。野球部の顧問が振り翳した、根拠も理屈もない精神論。
『水を飲むな! 根性があれば夏の炎天下でも耐えられる!』 『千本ノックだ! 倒れるまでやれ!』
汗まみれで吐き気を堪える選手たち。無意味な練習に体力を削られ、怪我人が続出しても、顧問は「心が弱いからだ」と切り捨てた。
――それと、今のこの光景が、完全に重なった。
(……同じだ。くだらない精神論で、人を潰して……!)
握った拳が震える。逃げていた昨日の自分とは違う。文乃の中で、何かがパチンと弾けた。彼女は大きく息を吸い込み、鬼のような形相のガルドの前に立ちはだかった。猫背だった背筋をピンと伸ばし、眼鏡の奥の瞳を燃え上がらせる。
「いい加減にしてください、ガルド団長!」
よく通る声が広場に響き渡った。ゾンビのように歩き続ける騎士たちの足が、一瞬だけ止まる。
「こんなくだらない訓練、今すぐやめろ! 非効率で、無意味で……ただの拷問じゃないですか!」
言葉を吐き出すたび、胸のつかえが取れていく。 ガルドの鋭い視線が文乃に突き刺さる。
「拷問だと!?」
怒声が空気を震わせた。
「これは国を守るための立派な鍛錬だ! そもそも――その『ジエイタイ』の素晴らしい鍛錬を教えたのは、他ならぬお前だろう!」
その言葉に、文乃は唇を噛みしめた。確かに言った。けれど、今目の前にあるのは鍛錬ではない。
「だったら……よく見てくださいよ」
文乃はゆっくりと、一番近くにいた騎士の一人に歩み寄った。彼は虚ろな目で宙を見つめ、立っているのがやっとの状態だ。
(…ごめんなさいっ!)
文乃はその大男の脇腹を、軽く触れる程度の力で蹴り倒した。
ドサッ。
鈍い音とともに、騎士は受け身をとることすらできず、枯れ木のように倒れ伏した。
土煙の中、指一本動かせない団員を見て、文乃は再びガルドへ向き直る。
「見ましたか、団長」
その声は怒りに震えていた。
「私はただのひ弱な女です! 剣も持たない、本ばかり読んでいた私にすら……この人たちは手も足も出ない!」
「そんなボロボロの状態で、誰がこの国を守れるんですか!?」
広場に重苦しい沈黙が落ちた。ガルドの顔は怒りに紅潮しているが、反論できない事実に拳を握りしめている。倒れた仲間を見下ろす騎士団員たちは、心の奥底で「よく言ってくれた」と文乃に感謝の視線を送っていた。
「話になりませんね……」
文乃は冷たく言い放つと、眼鏡の位置を直し、ガルドを真っ直ぐに見据えた。
「では、こうしましょう。あなたがやっているその訓練と、私が考えた訓練――どちらが正しいか比べるんです」
「比べる、だと?」
「ええ。一ヶ月後後、それぞれの訓練を終えた騎士を戦わせましょう。その結果が、あなたのやり方が間違っていることの証明になるはずです!」
堂々とした啖呵に、広場の空気が凍りついた。 ガルドの鋭い視線が騎士団を薙ぐ。
「俺に異を唱える者がいるなら、今ここで声を上げろ!文乃に付いていくという命知らずは誰だ!?」
ガルドの言葉に誰一人として口を開かない。恐ろしすぎて声が出ないのだ。
「……フン、臆病者どもが」
ガルドは鼻で笑い、血走った瞳で文乃を睨み返した。
「いいだろう。ならば俺が直々に出てやる。俺一人で、貴様ら全員を叩き潰して見せる!」
そう言い放つと、怒りを噛み殺すように大股で去っていった。残された騎士団員たちは安堵のため息をついた――が、直後にさらなる絶望に気づく。
「一ヶ月後、あの化け物と戦わねばならない」と。彼らの顔は再び青ざめ、死刑囚のように項垂れた。
そんな彼らを見回し、文乃は腕を組んだ。
「ねえ、ちょっと不思議なんだけど。普段訓練してるのはあなたたちでしょ? 団長は指示してるだけに見えるんだけど、多勢に無勢だし勝てるんじゃない?」
その甘い考えを否定するように、若い騎士が震える声で告げた。
「……あなたはご存じないのです。我らが団長――ガルド様は戦場で《鬼のガルド》と呼ばれた御方」
「お、鬼……?」
「はい。敵兵数十をたった一騎で蹴散らし、鎧を素手で引き裂くその姿……。あれを目にした者は皆、震え上がって逃げ出すのです」
「だから……俺たちに勝ち目なんて、ありません」
「剣を交える前から、もう負けているんです」
そのあまりの弱気さに、文乃は頭を抱えた。
「はぁ……ほんと、めんどくさいことになった」
だが、曇った瞳で自分を見つめる男たちを見捨てられなかった。
(元はと言えば、私が口を滑らせたせいだし……)
ぐっと拳を握りしめ、文乃は顔を上げた。
「でも、団長の考え方には同意できません!あの脳筋団長のやり方が間違っているって、絶対に証明してやるんだから!」
文乃の言葉に、騎士たちの間にわずかな希望の光が差し込む。
「今日はもう休んでください。今のままじゃ立ってるだけで精一杯でしょ」
文乃は腰に手を当てて宣言する。
「でも――安心してください。秘策は考えていますから」
その言葉に、騎士たちの顔に生気が戻った。だが文乃の内心は冷や汗でびっしょりだった。
(あーあ、言っちゃった。秘策なんて、これっぽっちもないのに……!)
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