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【書籍化】図書館の魔法は静かに始まる【一巻分完結済】  作者: はれはる
第四章 ノエル・リュクサール

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第二十話 温室の花と、天才軍師の魂

 翌日。王宮の大会議室には、重苦しい空気がよどんでいた。長机の上座には国王が座り、その左右に大臣たちが並ぶ。そして中央には、対照的な二人の王子が立っていた。

 一人は、太陽のように燃えるような黄金の髪と、自信に満ちた体躯を誇る第一王子、レオネル。そしてもう一人は


 ――第二王子、ノエル・リュクサール。

 

 彼の姿は、兄とはまるで対極にあった。肩にかかる髪は、月光を浴びた湖面のような銀灰色シルバーグレイ。肌は透けるように白く、色素の薄い深緑フォレストグリーンの瞳は、どこか遠くを見つめるように伏せられている。仕立ての良い濃紺の礼服に身を包んでいるが、その身体つきは細く、華奢だ。兄が太陽なら、彼は今にも消え入りそうな月だった。

 国王が重々しい声で会議を始める。

 

「ヴァルデンの要求は『竜骨鉱山』の全権譲渡だ。我が国の鉄資源の三割を産出する要所。これを渡すわけにはいかん」

 

 沈黙を破ったのは、第一王子レオネルだった。

 

「父上。ヴァルデンの横暴を許してはなりません。即刻、国境に王立騎士団を展開し、我らの意志を示威するべきです。弱腰はかえって侵略を招きます」

 

 サファイアのように鋭い瞳に、兵を率いる者の自信が宿る。その言葉に、上座に並ぶ武官や大臣たちの多くが「ごもっとも」と力強く頷いた。

 なかでも、最前列に陣取る軍部大臣ボドワンは、その恰幅のいい体躯を揺らし、満足げに口角を上げた。ボドワンは、軍事予算の拡大を目論む保守派の重鎮である。彼はレオネルを「覇道の王」に仕立て上げることで軍の地位を盤石にし、自身もまた、若き王子の後見人として華々しい軍功の分け前に与かろうと画策していた。

 

「殿下のおっしゃる通り!今こそ王家の獅子の牙を見せる時。ヴァルデンを完膚なきまでに叩き潰せば、王位継承者としての殿下の名声は、もはや揺るぎないものとなりましょう!」

 

 ボドワンの扇動的な言葉に、会議室の熱気は一気に沸騰する。ボドワンは、自信に満ちた発言を続けるレオネルの背中を眺め、傍らに控える腹心の部下にだけ聞こえる低い声でほくそ笑んだ。

 

「見たか。あのお姿こそ、私が丹精込めて作り上げた『覇王』の雛形よ」

 

 ボドワンは、手にした扇を口元に寄せ、ねっとりとした悦びに瞳を細める。

 

「幼少の頃より耳にタコができるほど言い聞かせてきたからな。『王族は強くあるべき』、そして『甘さは国を滅ぼす毒である』とな。……ふん、責務を重んじる真面目な性格が災いしたな。今やあの方は、自らの意志で強硬策を選んでいると思い込んでおられる。その実、私の敷いたレールの上を走っているに過ぎんというのにな」

 

 レオネルの凛々しい横顔には、国を背負う王族としての悲壮な決意が宿っている。しかし、それはボドワンという飼い主が、長い年月をかけてレオネルの心に嵌め込んだ「責任感」という名の見えない首輪がもたらしたものであった。

 ボドワンは満足げに喉を鳴らすと、再び会議の喧騒へと視線を戻した。

 だが、その熱狂の渦中で、ノエルは静かに一歩進み出た。

 

「兄上……戦は避けるべきです。ヴァルデンとはこれまで百年以上に渡り鉱石と食糧を分かち合う良好な交易関係を築いてきたではありませんか。彼らがいきなり強硬な態度に出たのには、何か理由があるはず。鉱山の利を分け合う協定を結べば、双方の民が傷つかずに済む道があるかもしれません。僕たちの使命は、民の命を守ることではないのですか?」

 

 鈴の音のように澄んだ、けれど震える声。室内が一瞬だけ、水を打ったように静まり返った。しかし、次の瞬間には、耐えきれないといった風の冷笑と囁きが広がった。

 

「分け合う?甘い、甘すぎる」

 

「敵に塩を送るような真似を、王族が口にするとは」

 

「やはり第二王子殿下は、戦も政治も知らぬ『温室の花』だ……」

 

 突き刺さるような蔑みの視線。軍部大臣ボドワンは、わざとらしく大きなため息をつき、ノエルを鼻で笑った。

 

「ノエル殿下、理想だけでは飯は食えぬのです。あなたの言う『優しさ』は、兵たちにとっては『死への招待状』に過ぎません。軍務を解されているお身の上で、余計な口出しは控えていただきたい」

 

「……っ」

 

 ノエルは唇を白くなるほど結び、俯いた。長い銀灰色の髪が、屈辱に歪む彼の表情を隠すように垂れ下がる。

武芸に秀で、周囲を熱狂させるカリスマを持つ兄。そして、そんな兄を担ぎ上げ、戦へと突き進む大人たち。自分一人がどれほど声を上げても、その言葉は彼らの耳に届く前に、軍靴の足音にかき消されてしまう。

 

(……やはり、僕は兄さんには及ばない。僕の言葉には、誰も救う力なんてないんだ……)

 

 胸の奥で、ドロドロとした劣等感が黒く渦巻く。 結局、会議はレオネルを総大将とする強硬策へと完全に傾いた。ノエルの懸命な訴えは、波紋一つ残すことなく、血生臭い開戦の準備の中に飲み込まれていった。

 沸き立つ会議室。拍手と歓喜の声に包まれる兄。その背中を見つめながら、ノエルは自分の無力さに打ちひしがれ、ただ拳を震わせることしかできなかった。

 

 ***

 

 会議室を支配していた重苦しい沈黙が、ノエルの耳の奥でいつまでも鳴り響いていた。大臣たちの嘲笑、兄の背中、そして自分の無力さ。逃げるようにして辿り着いたのは、夜の帳が下り始めた王立図書館だった。

 静謐な書架の隙間に、ランプの灯りが揺れている。その光の主――文乃は、山積みの古文書を前に、相変わらず不機嫌そうな顔でペンを走らせていた。

 

「……あの、夜分にすみません」

 

そこに立っていたのは、兄のレオネルとはまるで対極にあるような、繊細な佇まいの少年だった。肩にかかる髪は、月光を浴びた湖面のような銀灰色シルバーグレイ。肌は透けるように白く、色素の薄い深緑フォレストグリーンの瞳には、消え入りそうな灯火のような不安が宿っている。レオネルが燃え盛る太陽なら、彼は今にも雲に隠れてしまいそうな、儚い月そのものだった。

 文乃は、先ほどレオネルが語っていた「庭師の横で土をいじっていた弟」の姿を思い出し、確信を持って椅子から立ち上がった。

 

「あなたは、もしかしてノエル様?こんな時間に、何かご用ですか?」

 

 文乃が眼鏡を指で押し上げながら顔を上げると、ノエルの顔色は、月明かりの下でさらに蒼白に見えた。彼は震える手で机の端を握り、意を決したように口を開いた。

 

「兄上から……レオネル兄上から聞いたんです。以前、この国の農村を救った、凄腕の司書がいると。……不躾なのは承知しています。でも、教えてください。この争いを、武力以外で解決できる策はないでしょうか」

 

 文乃は魔法の万年筆を置き、椅子の背もたれに体を預けた。黒縁眼鏡の奥の瞳が、観察するように少年王子を射抜く。

 

「ノエル様。一つ伺っても? 王族として、この国が領土を奪われようとしている時、力でねじ伏せるのが最も早い解決方法かもしれません。なぜ、あなたはそれを望まないのですか?」

 

 文乃の静かな問いが、夜の図書館に波紋のように広がった。ノエルは視線を落とし、自らの白く細い手を見つめた。その掌には、王族としての気品こそあれど、つわものの証である分厚い皮膚はどこにもない。

 

「……そう、かもしれません。でも」

 

ノエルの意識は、遠い過去へ遡る――月明かりの下で独り、重すぎる木剣を振るっていた幼い日へと沈んでいった。

 ザッ、と湿った土を蹴る音が響く。幼いノエルは、兄レオネルの流麗な一撃をなぞろうと、必死に木剣を振り下ろした。だが、剣が空を切る衝撃に細い体が耐えきれず、足がもつれて無様に地面に這いつくばる。手のひらはすでに、何度もマメが潰れて血が滲んでいた。痛みを堪え、泥を噛む思いで何度も立ち上がった。けれど、何百回、何千回振ろうとも、彼の皮は硬くなることを拒み、指は重さに 震えるばかり。

 まるで、剣そのものに「お前など主として認めぬ」と拒絶され、傷つけられているようだった。

 

(兄上は、剣に愛されている。……けれど、僕は剣に嫌われているんだ)

 

 その決定的な絶望が希望に変わったのは、ある年の剣術大会だった。当時、まだ少年だったレオネルは準決勝で強敵と当たり、額に深い傷を負った。溢れ出す鮮血が片目を塞ぎ、周囲は「決勝の辞退」を促した。誇り高い兄が悔しさに唇を噛んだその時、震える手で前に出たのがノエルだった。

 

『兄上、動かないで……!』

 

 ノエルは、古い薬草誌で学んだ、城の裏庭に生える目立たない草を、あらかじめ磨り潰して持ち歩いていた。それを兄の傷口に丁寧に塗る。周囲の騎士たちが「子供の気休めだ」と嘲笑する中、驚くべきことに、その緑の湿布は瞬く間に溢れる血を止めた。視界を取り戻したレオネルは、そのまま決勝戦を戦い抜き、見事な逆転優勝を飾ったのだ。

 試合の後、レオネルは数多の称賛を背に受けながら、ただ一人、客席の隅にいたノエルの元へ歩み寄った。そして、大きな手でノエルの頭を撫でた。

 

『お前の手は、私の命を救う手だな、ノエル。……ありがとう。お前の知恵がなければ、私は負けていた』

 

 その言葉が、ノエルの呪縛を解いた。武力で敵を倒す才能はなくても、自分には、戦う者の命を繋ぎ、王を影から支える「知恵」という戦い方があるはずだ。そう、確信した。

 ノエルは現在に意識を戻し、ゆっくりと文乃に向かって顔を上げ、絞り出すような声で言葉を紡いだ。その瞳には、先ほどの会議で見せた弱々しさはない。

 

「戦場に行く軍人たちも、僕にとっては等しく、守るべき我が国の民なんです。彼らには帰りを待つ家族がいる。明日を生きる権利がある。それを……そんな尊い命を、無駄に捨ててほしくないんだ!一滴の血も流さずに、誰もが笑っていられる道が、どこかにあるはずなんです!」

 

 その瞬間、文乃の脳裏に、かつていた戦国時代の歴史書に刻まれていた一人の英傑の姿が閃光のように走り抜けた。

 

(……この瞳。この、青臭いほどに純粋な慈悲の心)

 

 文乃の心拍数が、跳ね上がった。戦国という狂乱の時代を駆け抜け、知略の限りを尽くして「戦わずにして勝つ」ことを信条とした天才軍師、黒田官兵衛。彼が遺した、あの苛烈なまでに優しい生き方が、ノエルの叫びと重なった

 

(……ああ、まさか。この異世界で、あの軍師と同じ魂の言葉を耳にするなんて!私は今!この異世界で歴史書と同じ体験をしている!)

 

 文乃の頬が紅潮し、口角が抑えきれずに吊り上がる。彼女の「オタク的探究心」と「司書としての矜持」に、一気に火がついた。

 

「分かりました、私に手伝わせてください。ノエル様、あなたのその甘すぎる『理想』を、誰もが跪く最強の『戦略』へと編み直してみせます」

 

 文乃は立ち上がり、机の天板を乱暴に、けれどどこか楽しげに叩いた。

 

「実は、私も試してみたいことがあったんです。古文書の記述と、あなたの知識。……それらが繋がれば、この国を救う『剣』以上の武器ができるはずです」

 

 文乃の眼鏡がランプの炎を反射して鋭く光る。絶望に沈んでいたノエルの瞳に、初めて小さな、けれど確かな希望の灯火が宿った。

 

ここまでお読みいただき、

本当にありがとうございます!

本作は6月末まで、

一気に完結に向かって毎日投稿予定です。


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