第十五話 すれ違う運命の女神、気づかない親友
午後の柔らかな陽射しが差し込む静寂の空間。高い書架に囲まれた定位置で、文乃はいつものように古びた羊皮紙と格闘していた。黒縁眼鏡が微かに光を反射し、華奢な肩にお下げ髪が揺れている。その姿を見た瞬間、私の胸に安堵が広がった。煌びやかなドレス姿も美しかったが、やはりこの静かな姿こそが彼女らしい。
「やあ! ここが噂の大図書館か!」
カイルの場違いな大声が、静寂を破った。文乃は眉ひとつ動かさず、魔法の万年筆を置いて淡々と注意する。
「……図書館ではお静かにお願いします」
普段私に見せる素の表情では無く、あくまで来客に対する司書としての冷静な対応をする文乃に、私の胸のざわめきが少しだけ静まる。カイルは一瞬目を瞬かせた後、素直にシュッと姿勢を正した。
「おっと、これは失礼。申し訳ない、レディ」
「……」
文乃の眼鏡の奥の瞳が、少しだけ緩んだのを私は見逃さなかった。育ちの良さを隠せないカイルの素直さは、誰からも好感を持たれる。今はそれが少し面白くない。
「私はカイル・グランバート!よろしく、賢き司書さん!」
カイルは机越しに文乃を見つめ、人懐っこい笑みを浮かべた。
「いやあ、君って本当に知的で芯の強い顔立ちをしているな。こんな素敵な女性が図書館に隠れていたとは」
さらりと口説き文句を吐くカイルを横目に、私は胸の奥がチリチリと焼けるような、得体の知れない不快感を覚えていた。カイルは気づいていない。目の前にいるこの地味な司書こそが、彼が血眼になって探している「運命の女神」その人だということに。ドレスを脱ぎ、魔法を解けば、あれほど眩しかった少女がここまで気配を消せるものなのかと、私自身も驚きを隠せない。
……だが、同時に身勝手な安堵が胸をかすめた。 気づかないでくれ、と願う自分がいる。彼女の本当の姿、その魅力、そしてあの夜の秘密を共有しているのは、世界で私一人だけでいい。
親友に嘘をつき続ける罪悪感よりも、彼女を誰の目にも触れさせたくないという、名前のつかない想いが勝ってしまう。なぜ私は、これほどまでに彼女を隠したがっているのか。自分自身の心の乱れに戸惑いながらも、私はこれ以上カイルに真実を悟られる前に、この茶番劇を終わらせてほしいと切に願っていた。
「お世辞は結構です。それに、私は仕事がありますので」
文乃の素っ気ない対応に、カイルの笑みがしぼむ。 私は少し溜飲を下げつつ、冷ややかに口を挟んだ。
「お前、何しにこの国へ来たんだ?」
「――あ! そうだ、俺は赤髪の女性を探しに来たんだった!」
カイルは再び「赤髪の女神」への熱烈な愛を語り始めた。文乃が呆れたようにため息をつく。
「名前も知らない相手を妻に?」と正論をぶつける彼女に対し、カイルは言い放った。
「問題ない! もし彼女がとんでもない悪女でも、俺はそのまま受け入れる覚悟がある。すべてを受け止めて愛する。それが俺の流儀だ」
その言葉の重みに、文乃が息を呑むのがわかった。 馬鹿正直で、一直線。それがカイルという男だ。その熱量は、どんな堅牢な扉でもこじ開けてしまう。
ふと見れば、文乃が言葉を失って立ち尽くしていた。黒縁眼鏡の奥の瞳が、僅かに揺れている。彼女は自分のペンを握る指をぎゅっと強め、何かを言いかけようとして口を噤んだ。その表情には、明らかな「逡巡」が浮かんでいる。
(まさか……正体を明かすつもりか?)
私の心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
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