第十三話 伝説の王女の正体、そして幻滅の王子
席へ戻る途中、レオネルの視線は自然と自分の手へ落ちる。そこにはもう、さきほどまで確かにあった温もりはない。気がつけば、赤い髪の王女の姿は煙のように消えていた。レオネルは焦燥に駆られ、人波を縫うように歩き回った。
「どこだ……どこに行った……?」
やがて、月明かりの射すバルコニーに、鮮烈な赤髪が揺れるのを見つける。
「……!」
レオネルは迷わずバルコニーへ飛び出した。 夜風に吹かれる彼女の背中を見つけ、声をかける。
「……あ、あの……!」
ところが、それ以上言葉が出てこない。胸の鼓動ばかりがうるさく響き、頭は真っ白になる。王子としての威厳も、さっきまでの優雅なダンスの余韻も、すべて霧散してしまった。
気まずい沈黙に耐えかねたそのとき。
「――あ~っ、疲れたぁ~……」
赤髪の王女は、突如としておっさんのような低い声をあげ、優雅さの欠片もなく両腕をぐいと伸ばした。
「……え?」
目を丸くするレオネルの前で、王女は猫背になり、懐から見慣れた黒縁眼鏡を取り出すと、カチリと耳にかけた。そして、その手には淡く光る「魔法の万年筆」が握られていた。次の瞬間、燃えるように鮮やかだった赤髪が、淡い光の粒となって揺らぎ、インクの雫となって万年筆の中へと吸い込まれていく。
現れたのは――見慣れた、背中まで届く長いお下げ髪と、漆黒の髪色。
「なっ……!」
レオネルは息を呑んだ。驚愕に固まる表情を見て、彼女はようやく気づいたように肩をすくめる。
「……ああ、髪のことですか。びっくりしました?」
どこか気の抜けた、いつもの文乃の声音で、彼女は説明を始めた。
「私の能力は“読み書き”すること。この万年筆で、髪の色を一時的に『赤』に上書きしてただけなんです」
レオネルは目を瞬かせ、しばし黙り込む。そして、やっとの思いで言葉を搾り出した。
「……お前は、今後城内で化粧を禁ずる」
「は?」
文乃は面倒くさそうに眉を寄せる。
「何ですかそれ。化粧なんて、あんなめんどくさいこと、言われなくてもやりませんよ」
ぶっきらぼうに言い放ち、眼鏡を指で直す彼女に、レオネルはただ唖然とするしかなかった。先ほどの舞踏会で人々を魅了した「伝説の赤髪の王女」と、目の前の猫背で眼鏡の文系少女。そのあまりの落差に、レオネルは夢と現実を行き来するような心地よい目眩を覚えるのだった。
***
夢のような舞踏が終わり、会場が割れんばかりの拍手と歓声に包まれてもなお、その男だけは時間が止まったかのように動けずにいた。
会場の隅、大柱の影。夏の日差しを思わせる金茶色の髪を揺らし、耳元のルビーを鈍く光らせた青年――カイル・グランバートは、手にしていたグラスを握りしめたまま、赤髪の残像を追って茫然と虚空を見つめていた。
商売柄、数多の「本物」を鑑定してきた彼だったが、今目の前で起きた幻想には、値をつけることさえ忘れていた。小麦色の肌を走る微かな戦慄。琥珀色の瞳は大きく見開かれ、その中心には、先ほどまでホールの中央で炎のように舞っていた少女の残像が、鮮烈な熱を持って焼き付いている。
人々が熱狂し、語らう喧騒さえも、今の彼の耳には届かない。カイルはただ、波打つ胸の鼓動を自覚しながら、彼女が消えたバルコニーの闇を、魂を奪われたかのような虚ろな、それでいて射抜くような眼差しで見つめ続けていた。
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