第十ニ話 煌めく生誕祭と、炎を纏う赤髪の王女
その夜、リュクサール王国の王城は、星空を地上に降ろしたかのような煌びやかな光に包まれていた。 巨大なクリスタルのシャンデリアが燦然と輝き、楽師たちが奏でる優雅な音楽がホールに満ちる。 ――第一王子レオネルの十八歳を祝う、盛大な誕生パーティーが始まったのだ。
開始直前まで、レオネルは隙を見ては何度も脱走を試みていた。だが、そのたびに鋭い眼光を光らせる老執事アルノルトが、壁のように行く手を塞ぐ。
「主役がいなければ宴は始まりませんぞ、殿下」
「……ちっ、わかっているさ」
王子は不満を噛みしめつつも、結局は観念するしかなかった。王座の横に設けられた席に腰掛け、両親である国王と王妃の隣で「完璧な王子」の微笑みを張り付ける。一見すれば絵画のように優雅な姿。だが、ほんの合間に浮かぶ疲労の色を、アルノルトだけは見逃さない。
「……ゴホン」
控えめな咳払いで注意を促す執事に、レオネルは渋々笑顔の輝度を上げる。やがてパーティーが本格的に始まると、各地の名家や大商家の令嬢たちが、我先にと挨拶に訪れた。
「おめでとうございます、殿下。私のドレス、見ていただけましたか?」
「殿下、今宵のお姿も凛々しく……ぜひ我が家のワインを……」
レオネルは最初こそ、余裕の笑みを浮かべて愛想よく応じていた。だが、数が十を越え、二十を越え、三十を超えるころには――。
「(……帰りたい)」
ついに心の声が漏れそうになった。笑顔は崩さずとも、目の奥は死んでいる。それでも欲望と計算に満ちた令嬢たちの列は、途切れることなく続いていく。レオネルは長蛇の列から視線を外し、ふと会場を巡回している一人の騎士を見つけた。――ガルド。 これ幸いとばかりに立ち上がり、足早に彼のもとへ向かう。
「ガルド! 警備ご苦労!」
わざとらしく肩を叩き、親しげに労いの言葉をかけるレオネル。だがガルドは眉をひそめ、呆れを含んだ声で返した。
「……殿下。俺をパーティーを抜け出すための口実に使わないでくれ。後で俺が国王陛下に叱られる羽目になるだろうが」
「なっ……ば、ばれていたか」
レオネルが気まずく笑ったその瞬間、オーケストラの調べが一気に華やかさを増した。
「……ほら、ダンスの時間だぞ」
ガルドが顎でホール中央を指し示す。そこには、煌めくドレスの娘たちが「私を選んで」と言わんばかりに待ち構える舞踏の輪があった。そこへ主役が戻らねばどうなるか――地獄絵図は容易に想像できた。
「……父上の小言ならまだしも、アルノルトの説教はごめんだな」
小さくうなだれ、処刑台に向かう足取りでホールへと向けるレオネル。背中を見送りながら、ガルドは肩を竦めた。
「……十八になっても、手のかかるお坊ちゃまだ」
レオネルが会場へ戻ろうとすると、空気がどこかざわついていた。煌びやかな笑い声と楽団の演奏の裏で、驚嘆の囁き声がさざ波のように広がっていく。
「……何事だ?」
レオネルは近くの従者を呼び止め、小声で尋ねた。
「殿下、先ほど異国の王女様が到着されまして……その、あまりにお美しく、会場中の視線をさらっておられます」
その一言に、王子の興味が引き寄せられる。 人垣をかき分けながら近づくと、ざわめきの中心を囲んでいた令嬢や貴族たちが、まるで王子の到来を察したかのように左右へ退いた。海が割れるように道ができる。
そこに――彼女はいた。
燃えるような赤い髪が、キャンドルの光を受けて本物の炎のように揺らめいている。雪のように透き通る白い肌は、遠目にも息を呑むほど滑らかだ。 そして、炎のように紅く揺らめく瞳が、まっすぐにレオネルを見つめ返していた。
一瞬、時が止まった。会場の空気が、彼女一人によって支配されている。レオネルは吸い寄せられるように、彼女の前まで歩み出た。胸を張り、右手を差し出す。
「――もしよろしければ、この一曲を私に」
その声が響いた瞬間、会場全体にさらなるどよめきが広がった。赤い髪の王女は、ふわりと優雅に微笑み、その手を取った。
流れる音楽が、一層優雅に旋律を変える。レオネルと赤髪の王女が踏み出した一歩は、まるで予め魂で繋がっていたかのように、完璧な調和を見せた。 王女の純白のドレスの裾が白銀の波のように舞い、レオネルの堂々としたリードに導かれる。二人が織り成す舞は、光と影が交わる幻想そのもの。見る者は息を呑み、誰もが夢幻の世界に迷い込んだような錯覚に陥っていた。ざわめきは止み、音楽と二人の衣擦れの音だけが響く。
――その光景を、会場の片隅から見つめる影がある。
メイド長マチルダ。ミッドナイトブルーの髪を揺らし、鋭い眼光で王子の背筋から足運び、そしてパートナーの所作までを見逃さずチェックする。きらりと光る細身の眼鏡の位置を指先で直す。
「……素晴らしい」
その声音は冷静だが、その奥に確かな誇りが滲んでいた。
一方、王子の幼少から仕えてきた執事アルノルトは、観客の列の中でハンカチを取り出し、ひそやかに目頭を押さえていた。
「……あのやんちゃだった殿下が、ここまで立派に……」
老いた声でそう呟き、すぐに咳払いをして表情を引き締める。だが、こみ上げる涙は隠しきれなかった。
幻想の舞に酔いしれる人々の視線の中心で、レオネルと王女はただ静かに、互いの鼓動を感じながら踊り続けていた。レオネルは不思議な感覚を覚えていた。初めて会うはずの王女なのに、なぜかこの手の温もりを、この安心感を知っている気がしたのだ。
華やかな音楽が終わると同時に、会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。赤い髪の王女とレオネル王子は、互いに優雅に一礼し、舞踏の中央から身を引いていく。その光景は、誰の記憶にも鮮烈に焼きつくほど美しく――まるで夢の断片のようだった。
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