第五章 ひとつの結末 十五
驚きの目を向ける純に向かって、月世が言った。
「未来視の魔法を使える術者は、この世界にはほとんどいない。いたらそいつは、即行で法術局の支部長に任命されるだろうな」
「そんなに少ないのか? 未来を視ることができる人って」
「少ないな。……とても少ない」
純は月世の顔へと目を動かした。
彼の向こうにある小窓に、回るレガリアの姿が映り込んでいるのがはっきりと見える。
「月」と名づけられし天体のように輝くそれは、突然の告白に惑う心をいくらか鎮めてくれた。
「純がまだ生まれていなかった春の日のある朝、皆方さんは視てしまったんだ。俺と純が結ばれる未来を。運命のつがいとして契りを交わす未来を──」
「え……」
口に手をやりつつ、月世の目を見つめる。
彼は視線を逸らさずに、優しい表情で純を見下ろしてくる。
「つがいに関する情報は、法術局でもほとんど把握できていない。データも十分に揃っていない。だから、皆方さんは、みずから選んだ局員とチームを組んで、あるプロジェクトを極秘裡に進めることにしたんだ。つがいに関連するデータを収集するために」
──あるプロジェクト?
目顔で問うたところ、月世が返事を返してきた。
「未来視の力を利用して、皆方さんたちは、俺と純を引き合わせようとしたんだ。そして、プロジェクトは図らずも成功してしまったんだよ」
「えっと……。それってつまり、おれたちの出逢いはすべて、皆方さんのせいってことかよ」
「ああ。俺たちは、あの人の掌の上で転がされていたわけだ」
純は固く口を閉ざした。
自分と月世との出逢いが他人の手で仕組まれていたと知り、すっかり驚いてしまったのである。
「それと、千晴もこの計画に関係している」
「ハルさんも?」
「そうだ」
月世が浅くうなずいた。
「千晴は皆方さんの命を受けて、内密に俺たちの動きを監視しているんだ。そして、俺たちの動向を彼に逐一報告している。だから俺はあいつが嫌いなんだ。『個人的に興味を持ったから』というそれだけの理由で、俺たちの動きをこそこそと監視しつづけてきたのだからな……」
そして、彼は一度大きく息を吸うと、肺に溜めた空気をゆっくりと吐き出し、さらなる告白をした。
「皆方さん主導で進められた一連のプロジェクトの名前──、その名前は、『オメガファンクション』という。どうやらあの人が造った造語らしいが」
「意味は? 『オメガファンクション』という言葉の意味はなんなのさ」
「意味などない」強い口調で、月世が言った。
「たまたま目についた単語を適当にくっつけて、プロジェクト名にしたそうだ。だから、オメガファンクションという名称には、深い意味がない」
「すまん」と、月世が詫び言葉を呟く。硬く張った声、緊張に満ちた声で。
静寂が過ぎる。
机の上の置時計が秒針を正確に動かしていく。
「へえ、そんなことがあったのか」
い草の香り漂う和室にて、純は一言だけ呟いた。「もっと大変なことを言ってくるかと思ってた」
「十分大変なことだと、俺は思うのだが……」
惑いの表情で、月世が口ごもる。
だが、純は頬の力を意図的にゆるめると、
「いいじゃん、別に。出逢いの仕方がどうであれ、おれたち、お互いのことが大好きになったんだからさ。オメガファンクションのプロジェクトメンバーの皆さんって、おれたちからしたら、キューピッドみたいなものじゃんか」
「しかし、」
「安心しろよ、月世」純は言った。
「おれは少しも嫌な思いをしていない。それどころか、おまえに出逢えて楽しい思いばかりしている。おまえのおかげで、毎日幸せな気持ちを味わっているんだ」
そうして、純はわずかに声量を落とすと、
「……こないだのキス、すっげえよかったしさ」
と言った。月世の胸に細い体を預けながら、そう告げた。
「いいのか? そんな発言をしたら、元の関係に戻れなくなるぞ」
「うん、いい。──月世は?」
「俺もかまわん。おまえのことはもう、年の離れた弟みたいな存在でなく、世界でいちばん大事なつがいとして愛するようになったんでな」
「その選択に後悔はしていないか?」
「いいや」
大きな、それでいて形の整った美しい手で、二、三度頭を撫でられる。子どもの頃に帰ったような、ひどく幸福な感覚に純は笑い、そして、右頬を月世の胸にくっつけた。
とくとくと音が聴こえる。
流れゆく小川のように少しも休みを挟まぬその響きこそ、愛する完全男性体の心音だ。いとしいつがいだけがもたらすことのできる、大切な音だ──。
生きている。
月世ともに、この世界で生きている。
世界の実質的な広さなんて、いまの純にはまったく説明できないけれど、──これからも語れぬのかもしれないけれど、それでも、月世への愛情だけははっきりと理解できた。
運命とか本能とか、どうでもよかった。
月世といられれば、どうでもよかった。
「純……。おまえはかつて俺にとって、弟のようなものだった」
月世が言った。すがりついてくる純の身をきつく抱きしめたままで。
「だが、女の子になったおまえを見て、心が──強く高鳴った。性転換したおまえがあまりにも愛くるしかったものだから」
純は月世の胸から耳を離すと、彼の顔をそっと見上げた。人工の光に照らされた彼は、神々しさすら感じさせるほどに美麗な笑みを浮かべていた。綺麗な、それでいて嫌味のない微笑みであった。
「しかし、おまえが仮に男に戻ったとしても、俺は受け入れるつもりでいる。おまえ以外の人間を愛したくない。おまえのことだけが欲しい。俺たちは本能という不思議なものに支配されている関係だが、それでも俺は、おまえの傍にいたいんだ。……ずっとな」
月世の指が顎先に触れてくる。遠慮がちなそのしぐさに、
「もっと強引に触れてきてもいいのに……」
と思いつつ、純は顔を上げた。抵抗するつもりなんて、さらさらなかった。むしろ愛撫を与えられる予感に、心を弾ませた。全身が悦びにわななくのを強く感じた。
無言のまま、唇を月世に差し出す。彼からの愛を求めていると、暗に行動で示す。
月世が再度、頭を撫でてくる。それから、純の髪をしばし指でもてあそぶと、
「……、っ……、……」
──性急な調子で、口唇を塞いできた。
目を閉じて、唇粘膜から流れ込んでくる体温を味わう。呼吸が浅くなる。浅ましい熱が体の奥底にてずくずくと疼き、いや増す興奮をさらに煽り立ててゆく。
たった一度のキス、ほんの少しの触れ合いが若い女体に、とめどない快感を教え込んだ。
だが、悪い感覚ではなかった。むしろ好ましい感覚であると断言しえた。
純は愛していた。月世との絆に溺れていた。彼から接触を受けることに、彼からしっかり愛されることに、絶大なときめきを感じていた。
「……、ぁ……、っ……」
角度を変えて、何回も何回もキスをされる。呼吸すら奪うような激しいキスに純は両の瞳を潤ませて、月世の体にしっかりとしがみついた。
庇護欲と情欲を併せ持ったくちづけは、執拗なまでに続いた。唇を一度、また一度与えられるごとに、心が熱く燃えた。体は火照った。
──これが欲しかった。月世のことを意識するようになってからずっと、彼の唇、そしてそれがもたらすぬくもりをずっと欲しがっていた。
「……ん、………」
長いくちづけに、純は両目をとろんとさせる。全身から力が抜けていく。
夜の静けさの中、唇同士を静かに合わせる。
二人分の吐息が隙間なく重なって、箱のように閉じられた空間に艶めいた響きを添えてゆく──。
【終章に続く】
【裏話】
キスシーンは書いていて楽しかったです。
もう少し長く書いてもよかったかも。
※次回より終章に入ります(終章は明日以降に投稿します)
※2026 4/4 加筆修正しました。
※2026 4/17 誤字訂正しました。




