終章 この町で生きるということ
それからさらに数日後。
学校からの帰り道、公園内の足湯に寄った。
例のごとく、月世がコンビニで豚まんを買い与えてくれた。その際、純は、
「あんまり甘やかさないでくれよ」
と頼み込んだが、彼は聞き入れなかった。それどころか、「さも当然」と言わんばかりの顔をして、
「おまえを甘やかすことが俺の生き甲斐なんだ。許せ」
と言った。
心なしか、その表情が誇らしげなものに見えて、純は少々複雑な気分になった。男性だった頃から大事にされてきたが、女性化したあとは、それが一層ひどくなったような気がする──そう感じたからだ。
「この前の事件で出会った雌雄展開体女性の子たちは、法術局が保護することになった」
いとおしいものを見るような目で、もの食う純を見つめながら、月世が言った。
園内の足湯には二人しかおらず、そのせいか、彼の声はとてもよく響いた。
「そっか……。じゃあ、養護施設の子やさらわれた人たちは?」
「リーリアさんが全員返してくれたよ。……そのあと、病院に搬送されたとのことだが、彼ら彼女らの体に異状はなかったそうだ」
「それはよかった。星来の奴、ちゃんと皆の面倒を見ていたんだな」
「ああ」
話に少しの間ができる。
けれど、気まずい沈黙などではなかった。むしろ会話のない時間でさえも、好ましいものに思えた。
豚まんを食べ終える。
太陽が傾き、山際の向こうへと少しずつ落ちていく。その様子を見て、純は「綺麗だな」という思いを胸に抱いた。
いつも目にしているはずの景色なのに、強く心を動かされた。瞳に映るもの、肌に感じるもののひとつひとつが、ひどく尊いものに思える。
それもこれも、すべては恋をしたからだ。
「天宮月世」という運命のつがいに、比類なき愛情を捧げるようになったからだ──。
むろん、恋心は万能ではない。いつかは、二人にも別れのときは来るだろう。「死」という避けられない最期がある以上、いくら熱烈に愛を囁き合ったとしても、いつかはひとりに戻らなければならないのだから。
「だけど、そのときが来るまでは、月世のことをいっぱい愛そう」と決めた。「いつか来る別れの瞬間に怯えずに、ただただ無心に、月世を愛そう」と決意した。
だから言った。「なあ、月世。おれたち、これからたくさん一緒にいような。それで、自分たちだけが幸せになるんじゃなくて、周りの人たちも巻き込んで、皆で幸せになろう」と。
しかし、純は知っている。
いま、こうして幸福なひとときを満喫している間も、どこかで誰かが悲しみの底に沈んでいることを。深い嘆きにとらわれていることを。
だからそのうち、理想郷に向かおうとしていた雌雄展開体女性たちの連絡先を訊ねようと考えていた。
もちろん、却下される可能性もあるのだろうが、もしも連絡先を交換できたそのときは、彼女たちひとりひとりと話をして、彼女らの抱える孤独や辛さをちょっとだけでも忘れさせようと思った。
他人を救う力など自分にはない。
だけど、話を聞くことだけならできる。「君はひとりじゃないんだよ」「心配している人間がここにひとりいるんだよ」と伝えることならできる。
とにもかくにも、彼女たちの存在だけは無視できなかったのだ。どうしても。
なぜこうまで、彼女らに心を動かされるのか、自分でも説明はできないのだけれど……。
レガリアの回る空の彼方、太陽が徐々に沈みゆく。
その情景を潤んだ瞳で見つめていると、どこか懐かしいような、いとおしいような気分になった。「幸せ」という言葉の意味を初めて知ったような気がした。
ベンチに置いていた手に、手が重なってくる。月世の手だった。筋張った完全男性体の手だ。大好きなつがいだけが持つ、愛すべきぬくみであった。
純はそれを振り払わずに、されるがままに任せた。触れてくる体温を思うと、心が自然と晴れてきた。
純の住む神苑町は、おもちゃ箱のような場所だ。経験豊かな魔術師たちの住む土地、魔導産業の発達した土地、はるか上空にレガリアを戴く土地だ。
なんでもありなこの町は、純の愛する町でもある。月世がいる町でもある。友人たちや尊敬している人たちの住む町でもある。
だから、この町のことをもっと愛そうと思った。周りの人も巻き込んで、皆で幸せになろうと誓った。もしもいま、「幸せ」という言葉の意味がわからない人がいるのなら、根気よく教えていこうと思った。町の中にいる人だけでなく、町の外にいる人にも、幸せを伝えたいと思った。
重ねられたぬくもりをしかと感じながら、遠い空で回るレガリアを見据え、純は祈った。
どうか、すべての命あるもの、そして命なきものの上に、等しく「平穏」という名の幸福が降り注ぎますように。
日が沈む。
空が闇に染まりゆく。
一番星が空に瞬く。
神苑の町に夜が来る。
【了】
【お礼の言葉】
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
とても楽しく書けたのも、読者の皆さんのおかげです。
本当にありがとうございました。
※2026 4/4 加筆修正しました。
※2026 4/17 誤字修正しました。
次回作の構想はありますが、インプットしないと書けないので、これからインプット期間に入ります。
また連載を始めたときは、よろしくお願い致します。
では、失礼します。
ありがとうございました。




