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第一章 渡良瀬純とそのつがい 三

木枯らしの吹く通い慣れた石畳の道を、純は歩いた。隣にはやはり、親切がいる。

左右に喬木きょうぼくや植え込みの並ぶこの道は、正門までまっすぐ続いている。空に向かうように大枝小枝おおえだこえだをのばしているそれらは、風に揺られることなく、ひそやかに落ち葉を散らしていた。

放課後が来たせいだろう。通路沿いに歩く生徒たちの姿がそこかしこに見受けられる。油断するとぶつかってしまいそうになる。

純は門へと向かう生徒たちが作る人波ひとなみを器用に避けながら、前に進んだ。混雑はしているが、通い慣れた道だ。勝手知ってるなんとやらというべきか、──とにかく、純たちはこけむす正門まで行き着いた。

風が止む。

静けさが一瞬、大きくせり出す。

──と。

そこで、純は立ち止まった。門のすぐ傍で直立している野袴のばかま姿の男を発見したからだ。

「あっ。あの人は純の……、」

親切の呟き声にかぶせるようにして、純は男に、

月世つきよ

と呼びかけた。天宮月世あまみやつきよ──それが彼の本名なのである。

純は、真顔でこちらを見つめてくる男にそっと視線を合わせた。

「待っていたぞ」

と、親しげに告げてきた彼は、名工めいこうが総力を結集して創り上げた彫刻作品のように美しい容姿をしていた。

肩口までのびた黒髪は、上質な絹糸のように艶めかしい。涼しげな二重ふたえの瞳は、黒真珠のように高貴な輝きを絶えず放ちつづけている。百八十センチを越える肉体は、衣服の上からでもそうと判断がつくほどに、綺麗に引き締まっている。

彼の顔と体を構成するすべてに、至上しじょうの美が凝縮されていた。「歩く芸術作品」と表現しても過言にはならぬほどであった。

美しく、それでいて面差しの優しい月世は、ただそこにいるだけで人目を惹いた。どこにいても、なにをしていても、女性化を終えた人々に熱い視線を投げかけられた。

いまだってそうだ。正門を過ぎる女子生徒たちがこぞって、月世の顔を盗み見ている。

こういうとき、純は、「完全男性体アルファっていいなあ」と思った。優れた美質びしつに恵まれている彼らのことが、生まれてから死ぬまで美々しい男として生きていける彼らのことが、心底羨ましくなった。

だって、純は絶対女性体オメガなのだ。秀でた能力を持たぬしゅに属している身なのだ……。

だから月世に、自身の婚約者である彼に、強烈な羨望と憧憬を抱いていた。なれるものなら、おれだって完全男性体アルファになりたい──そう願った回数なら数え切れないほどある。

けれど、純はそんな本音をあえて出さずに、月世のもとへと歩みを進めた。後ろから親切がついてきているのが、足音でわかった。

「わざわざ迎えに来てくれたのか」

笑顔で問いを吹っかけると、彼もまた笑って、

「妻を護るのは夫の責務だからな」

と言った。顔立ちと同様、これまた優しい声だった。深みのあるいい声でもあった。

「おれ、先月で誕生日を迎えたんだぜ? 子どもじゃあるまいし、別に送り迎えなんかすることないのに……」

「おまえのことが心配なんだ。許せ」

純は月世の顔を見上げた。彼はやはり、あたたかな笑みを口許に宿していた。それは微笑と呼ぶにはやや足りぬ表情ではあったが、純の目にはそうと映らなかった。

もともと、月世は表情に乏しい男だ。

だが、十年くらい付き合いのある純には、彼の微細な顔つきの変化がおおよそ把握できた。

(だって、おれはこいつの婚約者なんだからな……)

──と、人知れず思いを巡らせたそのときだった。

「純」

月世が呼びかけてきた。高くも低くもないなだらかな声、だけど落ち着きを感じさせる声であった。

それに純はへらりと笑い返しながら、

「なんだよ。抑制剤よくせいざいなら持ってるぞ。減少剤げんしょうざいもな」

と答えた。月世の意図を読んだうえで組み立てた返答だった。

本来ならば、いまの純が抑制剤や減少剤を所持しておく必要はない。まだ性転換が完了していないからだ。

これらの薬剤やくざいは、女性化した絶対女性体オメガのために開発されたものだった。女性になった絶対女性体オメガは、ある日突然、動物のように発情することがあるのだ。

抑制剤はそういった生理現象を抑え込むために使うのだが、それでも鎮め切れぬほど発情の度合いがひどい場合は、性欲減少剤(通称「減少剤」)を用いる。

しかし、この二つの薬は先に述べたように、あくまで女性化した絶対女性体オメガが使用するものである。だから、現時点において、純が持ち歩く必要はまったくないのだ──。

だが、月世はそれを許さなかった。「いつ何時なんどき、性転換するかわからんからな。ちゃんと薬は持っておけ」と、彼は何度も念を押してくるのだった。

純はおとなしく、その言いつけに従った。「月世の言い分はもっともだ」と心の底から納得していたし、それに──「自分は天宮の家に育てられている」という負い目を感じているせいもあった。

また、純は月世のことを大層好んでいた。まるで本物の兄のように慕っていた。女性化していないこの時点では、まだ恋愛感情は一片いっぺんも持っていないけれど、しかし、もしかすると、月世のことを将来愛するようになるかもしれなかった。

純当人は、「きょうだいみたいに心地よいこの関係が、ずっとずっと続けばいい」とひそかに願っていたのだが、その希望は絶対叶わないということも、胸のどこかで承知していた。

──遠い未来か近い未来か予測はつかないけれど、君は将来、女の子になるんだよ。

遠い過去に受けた宣告を思い出す。

ふとしたときに脳裏に浮かんでくるその言葉は、純の心に耐え難い苦痛と絶望を刻み込んだ。

いまの関係が続くように一生懸命頑張っても、その努力が報われることはない。

どんなにあがいたとしても、もがいたとしても、月世との関係性はいつか必ず変わってしまう。

体の性が逆転したからといって、心がそれにすぐについてゆけるとは限らない。「みずから命を絶つような真似はしない」ということだけは誓って言えるけれど、だけど、おれは、──おれはきっとものすごく戸惑うだろう。変化を遂げてしまった自分の体に。

「……純? どうした。忘れ物でもしたのか」

寒風がわずかに吹きつけてきた瞬間、月世の顔がぬっと迫ってきた。

腰をかがめてまでして問われ、純はやっと我に返った。それから胸に浮かんだいくつもの想念を払拭するかのごとく、また笑顔を作って、

「あ、ああ。なんでもないよ」

と言った。

盗み見てくる女子生徒たちの視線には目もくれないまま、月世が腰の位置を元に戻した。その顔は訝るような表情を示している。

しかし、彼はそれ以上、追及してこなかった。

「わかった。おまえがそう言うのなら俺はなにも詮索しない」とだけ告げ、くるりときびすを返したのである。

「あっ……。待てよ、月世!」

純は半ばほっとしつつ、背後を振り返って、

「親切! またな!」

と、大きく手を振った。

「うん。また学校で会おうね」

親切がにこりと笑みつつ、手を振り返してくる。

親友の反応を目で確認すると、純は再び前に向きなおり、正門から離れんとしている婚約者の後を追った。


日がまた少し、斜めにかしいだ。


【続く】

【裏話】

ミセスでいちばん好きな歌は『天国』です。

あと、私はサカナクションとエースコンバットの楽曲も好きです。

最近は、シヴィライゼーションの曲も好きです。

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