第三章 悪意 九
日が暮れて、神苑の町に夜が来た。
食事と入浴を終えた純は、障子を閉め切った畳敷きの自室にて、本日出された宿題に取り組んでいた。時田や剣崎と過ごした自習時間から得た学びを思い返しながら、ノートにペンを走らせ、沈思黙考していたのである。
(今日はとんでもない体験をしちまったな……)
胸の中で言葉を繰る。
それと同時に、ノートのページも繰る。
想像をはるかに超越した衝撃的事実は、純の精神に大打撃を与えた。「確かにおれは、温室育ちの絶対女性体だな」と、心のうちで星来の発言に同意を示したほどだった。
「花嫁修業」という名目で、六歳の頃からこの家の世話になっているのだが、天宮星来の存在など誰も教えてくれなかった。月世も千晴も、この家の主にして現在、屋敷を留守にしている天宮家第十七代当主・正絹氏も、彼のことを語ってくれなかった。むろん、天宮側の親族たちも……。
天宮星来。
彼は自嘲気味に笑いながら、「俺は捨てられたんだ」と言った。「だから天宮家も神苑町もぶっ潰す。全部破壊する」とも言った。
シャーペンを動かしながら、純は星来の過去に思いを馳せた。
実の家族に捨てられるって、どんな気持ちだろう。赤の他人であるおれが家にいるのを知ったとき、どれほど絶望しただろう。星来のしたことは犯罪に等しい、いや、犯罪そのものだったけれど、果たしておれにあいつをなじる権利はあるんだろうか。
「もしも、おれがあいつと同じ立場に立たされたら、やっぱり……、少しは恨んじゃうかもなあ」
「完全男性体でないから」というたったそれだけの理由で、森の中に捨てられただなんてさぞかし辛かったろう。悲しかったろう。もしかすると、家族を求めて、ひとりきりで泣いたかもしれない──冬の夜、迷子になって泣きじゃくった自分のように。
「あいつに情けをかけるな」と、月世は言うかもしれない。それも難しい顔をして。
だが、どうしても、星来に対する同情心を捨て切れなかった。彼が見てきた地獄と絶望を思うと、狂おしいまでの歯がゆさを感じた。
純は思った。「どうして、皆で仲良くできないんだろう」と。「どうして、皆同時に幸せになれないんだろう」と。「どうして、いつも誰かが幸せな世界からはみ出してしまうんだろう」と──。
(いっそ友達になりゃいいのかな。あいつと)
しかしそれは、かなり難易度の高いことのように純には思えた。敵意をあらわにしている人物と友達になろうとするなんて、自分でも頭がいかれちまってるんじゃないかと思う。
なのに、──なのに、星来のことを考えると、胸の底が抜けるほどの重苦しさを身うちに感じてしまうのだ。彼が経験した数々の苦難を思うと、ひどく後ろめたい気持ちにすらなる。
もしかすると、最近この町で発生している神隠しは、星来が率先して行なっていることなのかもしれない。先日、教室の窓がひとりでに開いたのも、星来が仕組んだことなのかもしれない。
「やっぱり無理なのかなあ……。あいつの怒りを鎮めることなんて、できっこないのかなあ」
そこでようやく、純は心着いた。そしていつしか、シャーペンを動かす手を止めていたことに気づく。
「駄目だなあ。全然、宿題に身が入らないや」
椅子に座った体勢のまま、大きく反り返る。女物の純白のパジャマが、ぱさりと乾いた音を立て、背もたれに擦れる。
と。
「ごめん、純くん」
木造りの引き戸をガラリと開ける者がいた。
黒いシルクの寝間着に着替えた千晴が、扉の先に立っているのが見えた。
【続く】
【裏話】
「渡良瀬純」というキャラクターと私は、性格があまり似ていません。
でも書きやすいです。
ていうか、書いていてとても楽しい。
※2026 4/4 文章を一部手直ししました。




