第三章 悪意 八
反射的に顔を上げた純は、その瞬間、信じがたいものを見た。星来の右腕を覆っていた禍々しい光が、たちどころに消えていったのだ。
「なっ……、だ、誰だ! 俺の邪魔をする馬鹿はどこのどいつだよ!」
かさり、と葉擦れの音が鳴る。
と。
時同じくして、上から星来と純たち二人の間に割り込む影があった。第三者が異界に入り込んできたのだ。
華麗に着地を決めたあと、その人物は純に背中を向けたまま、
「星来兄さん。悪いけど、この子たちには手出しをさせないよ」
と告げた。月世のそれと同等に、低くて渋みのある声だった。
「もしかして、ハルさんなのか……?」
紫色のスーツを美しく着こなしたその男の後ろ姿めがけて、純は呟きを漏らす。
すると、男はこちらをゆっくりと振り向いて、
「当たり」
と言った。惚れ惚れするほどに頼もしい表情が、彼の顔を潮のように満たしている。
にこやかに笑みつつ純たちの前に現れたその男性こそ、月世の双子の兄である天宮千晴であった。
「てめえ、千晴っ……! 俺の世界になんで割り込んできやがった!?」
星来が猛犬のように低くうなる。
が、千晴はそれを意に介さない様子だ。普段と変わらぬ素振りで口を開いては、
「いやあ、愛する弟とそのつがいさんに死なれたら、僕が困るからさ。だから来ちゃった」
などとのたまう。
純は唖然とした。
星来も小さく口を開けたまま、ぽかんとしている。
月世に至っては、あきれ顔で、
「なんて緊張感のない奴だ……」
と、ひとりごとを漏らす始末だ。
敵地に押し入ったというのに、千晴の態度は平常時とまったく同じであった。飄然かつ堂々たる態度をいっときたりとも崩さない。というよりも、ここが敵の生み出した世界であることに、少しも臆しておらぬようだ。
純は声を上げて笑った。そうするだけの余裕がやっと出てきた。
「ハルさん、おれたちの居場所がよくわかったな。おれ、びっくりしちゃったよ」
「ああ、純くん。こんにちは」
白い歯を見せながら、千晴が笑う。
「曲がりなりにも、僕は君たちの兄だからね。ピンチになったらいつでもどこでも駆けつける気持ちを、いつも持っているんだよ。月世が攻撃魔法を不得手としているのも、僕は知っているからね」
「……貴様に助けられるのは癪だな」
月世がまたしてもひとりごとめいた呟きを漏らすと、
「駄目じゃないか、月世くん。お兄ちゃんにそんなことを言っちゃ」
千晴がたしなめた。
「僕は、兄としてもひとりの完全男性体としても、君のことを応援しているんだからね。敵対者相手でもないのに、ましてや身内相手なのに、そんな口を叩いちゃいけないよ」
「しかし……」
月世がなにか言いさしたのとほぼ同時、
「ハッ!」
と、高い嘲りの声が響いた。星来が自嘲めいた笑みをおもてに晒したのである。
「あーあ、ついてねえなあ。やっぱり千晴が来やがったか」
「うん、来ちゃった」
千晴がにこりと笑む。
「呼んでもねえのに来るんじゃねえよ。……あーあ、ここで二人とも殺すつもりだったのに、すっかり興を削がれたぜ。もう今日のところはどうでもいいや。千晴は攻撃魔法がめちゃくちゃ得意だしよ」
「そうそう、ここはおとなしく引き下がったほうがいいよ」
千晴が鷹揚に相槌を打つ。
「クソ……。千晴、月世、そして渡良瀬! 今日のところは一応見逃してやるけどよ、次はねえと思っておきな! じゃあな!」
そして、閃光が弾けるように散った。
目の前に、見慣れた門扉が──、天宮家の重厚な表門が現れる。
そこで純は、「やっと解放されたんだ」と悟った。
鬱蒼とした森の姿はどこにもない。
遅々たる速度で自転するレガリアのみが、青く澄んだ空に浮かんでいる──。
【続く】
【裏話】
千晴は基本的に明るいキャラなので、書いていてとても楽しいです。
※2026 4/4 文章を一部手直ししました。




