第三章 悪意 二
学生なのだから勉学に集中しなければいけない。体に不調をきたさない限り、一日だって休んではいけない。それはわかっている。「逢いたいから」という自分勝手な理由を振りかざして月世のいる大阪に行くなんて、それこそ愚行だと思う。
だけど、「すぐにでも逢いたい」「逢って話がしたい」「あの低い、優しい声で、おれの名前を呼んでほしい」と願う気持ちはしぼむどころか、日が経つにつれて際限なく膨らんでゆくのだ。
純はふと、「寄り道でもしようか」と考えた。
しかし、頭を軽く打ち振ると、頭に現れ出た思考をしっかりと消し去った。わずか一秒にも満たない出来事であった。
「寄り道なんかしたら、月世の奴、絶対自分を責めちゃうもんな……」
天宮の家に引き取られてから、一度だけいたずらをした経験があるのだが、その際、彼は純を叱らなかった。ただただ悲しそうに微笑んでいた。そして、いつもよりも随分遠慮がちな声で、
「俺の監督不行届きだな」
と言った。
当時まだ十歳だった純にとって、彼の発言はいささか難解なものであった。学校の先生も友達も、「監督不行届き」などという言い回しを使ったことはなかったから……。
しかし、純は月世同様、自分を責めた。興味本位でいたずらなんかをしでかしてしまった我が身を、少しばかり呪った。それは、「二度といたずらなんかしない」という強い決意を運んできた。あの日も確か、月とレガリアが見える冬の晩だったと記憶している。
どんないたずらをしたのか、すでに記憶の彼方に飛んでしまっているため、もはや思い出せない。なにをきっかけに、誰と行動したのかすら記憶に残っていない。
でもあの夜味わった罪悪感は、十六歳になったいまでも鮮明に思い出せる。月世に──兄のように見守ってくれる優しい人に迷惑をかけてしまった気まずさもまた、胸の底に鮮やかに息づいている……。
と。
「ん……?」
曲がり角を越え、そのまま百メートルほど進んだところで、純は立ち止まった。
「門のところに誰かいる……」
月世や家の者が不在である間は、数名の家政婦が家に来て、身の回りの世話をしてくれる。さすがはプロと賞賛すべきであろう。掃除も料理もその他の雑事も依頼通り、きっちり果たしてくれるのだ。
屋敷には現在、月世と純の二人のみしかいないため、彼女たちに来てもらうことはたびたびあった。月世が家を留守にしているいまもまた、家政婦らが屋敷を訪れている。
しかし、──しかし、彼女たちが表門から出入りすることなど、これまでになかった。家政婦たちが利用するのは、あくまで、家の裏手にもうけられている勝手口だけなのである。
それに、門扉の前に座っているのは、女でなく、青年だった。ちょうど「少年」と「成人男性」の端境期にいるような、ひとりの青年がぼうっと空を見上げていたのである。
純は彼の視線の先を追った。雲も星も月もないその地点には、悠然と回るレガリアのみがあった。
青年は立ち上がることなく、無表情でレガリアを見つめている。
純は青年を見、強く警戒した。
というのも、彼の風貌が異様すぎたためであった。
無造作にのばされた黒髪は、後ろでひとつに束ねられている。角張った五指の爪もまた、真っ黒なマニキュアらしきもので色変えされている。
しかし、なにより目を引くのは、彼の着ている衣服だ──深紅のライダースーツが、青年の華奢なボディラインをはっきりと浮き立たせている。
純は警戒の念を強めた。
月世をはじめとする天宮家の面々は、だいたいが着物やスーツを愛用している。彼らの親類縁者とて似たようなものだ。彼ら彼女らの中にバイク乗りがいるなんて、聞いたことがない。
だが、ここで相手の動きをじっとうかがいつづけたところで、事態は変わらない。家に入ることだってできないのだ。
学生カバンを両腕できつく抱くと、純は前へと歩きはじめた。
青年は、しかし、そのまま動かずに回るレガリアを空虚なまなざしで眺めわたしている。
【続く】
【裏話】
「バイクを乗りこなせる人ってすごいな。素敵だな」と思います。




