第二章 一年十一組 八
自身の口から漏れ出る白い息に時折目をやりながら、純は、オメガクラスまでの道を歩いた。手袋を着用していても、上着を身にまとっていても、それなりにさむけは感じた。手指にも足先にも冷えを感じた。
かつて、この星は、「温暖化」という気温上昇現象に見舞われていたらしい。だが、いち早くそれを察知した天祖および法術局の面々が、魔術を用いて惑星全域を冷やすことに成功した。
ゆえに、我が国は、世界各国から一目置かれる立場にあった。近年では、「日本のように魔術文化を取り入れてみよう」という動きも、異国の地で見られつつあった。
極東の小さな島国は、世界規模の危難を取り除けるほどの力を持っていた。だからこそ、純の暮らすこの国は、最大級の敬意を常に受けつづけていたのである。
現に、外国生まれの人々は、日本を「魔導先進国」と見なしていた。一度も姿を現したことのない天祖にも、強い関心を寄せていた。アニメや音楽などのサブカルチャーだけでなく、我が国独自の魔術産業にも興味を示していたのである。
純は歩いた。「すっげえ遠いな……」と時々ぼやきをこぼしながら、ひとりで歩いた。
予鈴はすでに過ぎていた。
けれど、オメガクラスのある特別棟は二十分以上歩いても、まだ見えなかった。
「遠い、めちゃくちゃ遠い……」
無関心に空を行き交う小鳥たちの鳴き声をぼんやりと聞き流しながら、純はセミナーハウスの真横を通った。真新しい塗料のにおいが、風に乗ってふわりと香ってくる。
そして、──純は、足を止めた。
「あった……!」
学習道具を入れた引き出しを持った体勢のまま、ひとり、小さな叫び声を放つ。
目的の場所ことオメガ棟は、三階建ての古びた建物だった。丈高い樹木に囲まれるようにして建つその建造物は、古ぼけたドールハウスのようにこぢんまりとしていた。
「当たり前といえば、当たり前なんだよな。絶対女性体の数って多くないしさ……」
しかし、ここ神苑は、定期的に完全男性体や絶対女性体が誕生する土地柄でもあった。
詳しい理由はわからない。「膨大な魔力を秘めているレガリアが上空にあるせいだろう」というのが世間一般における共通認識だったのだが、その意見はあくまで推測の域内にとどまっていた。
「ま、いいや。行こう」
力を込めて引き出しを持ち直すと、純は再び歩き出した。
学生カバンや勉強道具や教科書類を載せた引き出しは、いまの純にとってはかなり重いものであった。
「男の体なら、こんなものに重さを感じずに済むのにな」
無意識のうちに呟きをひとつ落としたのち、純は自嘲の笑みを漏らした。
もう元の体には戻れないのだ。性転換手術を受けぬ限り。あるいは、魔術的外科手術を施されぬ限り──。
「あーあ、女の子って大変だよなあ!」
わざと大声を出して、それから「あはは」と高い笑い声を上げた。そうでもしないと気持ちのやり場が見つからなかったから、あえてそうした。
空の上にはレガリアがある。いつものように、穏やかに、そしてゆるやかに回転しつづけている。
未知の世界に踏み込むのは怖い。
だけど、もはや後戻りなどできやしないのだ。
【続く】
次回の更新は本日15時以降になります。
【裏話】
このお話の元ネタは、『Tokyo Nobody』という写真集です。




