第二章 一年十一組 九
未知なるものへの恐怖は確かにあった。
けれど、「おれならやれる」という根拠のない自信もそれなりにあった。
時田奏がこの先にいるのだと思うと、気分が少々沈んだが、心のうちにある自信を削るまでには至らなかった。
古めかしい校舎の中に入っても、薄暗い廊下を通っても、気持ちが萎えることはなかった。むしろ、勇気と闘志が炎のようにめらめらと立ちのぼってきた。
しかし、意気揚々《いきようよう》と教室内に踏み入った瞬間、勇気も闘志も見事なまでに消滅した。とんでもないものを目撃してしまったがゆえ、きっかり五秒ほどその場に静止してしまったのである。
……キスしていたのだ。女同士で。
セーラー服を着た金髪の美少女と時田奏が、教室の中央で、堂々とくちづけを交わしていたのである。
「え……」
と言ったきり、純は沈黙した。どう続ければよいのか、適当な言葉を見つけることなどできなかったから、無言を通した。否、通さざるを得なかったというほうが正しかったのかもしれない。
とにかく、純は引き戸の傍に立ち止まって、少女たちのキスに見入った。一度も交際経験のない自分にとっては、少々刺激の強すぎる光景であった。
「……っ、……」
十数秒ほど唇を合わせたあとで、金髪の少女がようやく口を離した。
「『舌は入れないで』と言ったはずよ」
唇に付着した唾液の跡を右手でぬぐいながら、時田が少女をきつい目でにらみつけた。「非難のまなざし」という表現がしっくりするような険のこもった瞳を、金髪の少女に向けたのである。
対する少女は、しかし、悪びれた様子を少しも示さなかった。それどころか、どことなく得意げな様子で、
「いいじゃん、いいじゃん! 毎日キスしている仲なんだからさ!」
などと言い張る。
「毎日キスする仲って……。おまえら、どういう関係なんだよ」
ドアの手前に突っ立ったまま、──ショックで寒さを忘れたまま、純はぼそりと呟いた。
二人がようやく振り返った。
「あ、君が新しく入ってきた子かぁ」金髪の娘が言った。
「ボク、剣崎明日美! 『あすみったん』って呼んでいいよ。よろしくね!」
「あ、ああ。おれは……、」
自己紹介しようと口を開きかけたそのとき、剣崎が「ふふん」と言いたげな表情を作った。
「キミのことなら知ってるよ。キミは、かの有名な渡良瀬純くんだよね!」
「あ、うん。それはそうだけど……」
と、そこで、口から手を離した時田が、
「渡良瀬くん。お願いだから、早く部屋に入ってちょうだい。暖房は効いているけれど、この教室、ちょっと寒いのよ」
と言った。どうやら、彼女はいま、自分の周囲に気温調整の術をかけていないようであった。
「あっ、悪い……。ごめんな、時田」
純は急いで中に入ると、すみやかに扉を閉めた。どうやら建て付けが若干悪いようで、閉まる際、ドアは「ガチャリ!」と大きな音を立てた。
室内はそこそこぬくかった。暖房が作動しているうえに、窓という窓を閉め切っているのだから、当然の話である。
「──で。なんで、剣崎はおれの名前を知っていたんだ?」
「そりゃ、キミが天宮家の人間だからだよ」
きょとんとした面持ちで、剣崎が答えた。
「天宮家ってさぁ、代々、完全男性体を輩出してるでしょ? 出生率が極端に低い魔術師たちをさ……」
「なるほどな」と、純は相槌を打った。
確かに、自分の置かれている環境は、一般家庭のそれとはかなりの相違がある。そもそも、「婚約の儀」なんて大層な席の主役として選ばれる六歳児なんて、そんじょそこらにはいないものだ。
「じゃあ、ついでに質問をもうひとつするけどさ。時田と剣崎はなんで、こんなところでキスをしてたんだ? しかも、あれ、ディープキスってやつだろ? あんなのをここでやったら、先生に叱られるんじゃないのか」
すると、剣崎が、
「あ、それなら大丈夫。先生たちには許可もらってるから」
と言った。
純は目を丸くした。
【続く】
時間ができたので更新作業をすることにしました。
【裏話】
以前からボクっ娘が書きたかったので、書けて幸せな気分になりました。
楽しかったです。




