第二章 一年十一組 五
純は上着の襟を正すと、立ち止ったまま、時田の顔をにらみ据えた。警戒心が募るあまり、総身が岩のように固まる。
というのも、時田の背後には身の丈五メートルほどの怪物が、控えるようにして立っていたのだ。下あごから鋭い牙を生やした一つ目の巨人が、たじろぐ純をじっと見下ろしている。
「お、おい……。それ、なんだよ……」
一歩、二歩と後ずさりしながらやっとの思いでそう訊ねると、彼女はきょとんとした顔をして、
「なんのことかしら?」
とだけ言った。うそぶいているふうにはとても見えなかった。
「だから、それ! おまえの後ろにぬぼーっと突っ立っているそいつはなんだと訊いてるんだよ!」
たまらずに大声を出して再度問いを突きつけると、時田はようやく思い至ったとばかりに、
「ああ、そのことね」
と告げた。
彼女は初めて出会ったときと同じく、泰然と構えている。
乾いた枯れ葉がそこかしこに見受けられる歩道の上にて、純は時田と向き合った。「逃げても無駄かもしれない」と直観したから、後退するのはやめて、ただただ時田の顔をにらんだ。
月世をしのぐほどの魔力を有する時田相手に逃げ切ることなど、到底不可能だ。逃げても隠れても、魔法で探知されるであろうから。
通行人も車両も通らぬ道は寒い。だが、我慢できぬほどではない。
法術局の気候管理課に所属する担当者たちが、二十四時間、町の気温を管理しているがゆえ、ひどいさむけに苛まれずに済んでいるのである。
神苑は温泉の町であると同時に、魔術師の多く暮らす町でもある。そして、魔法という名の恩恵に浴している土地でもあるのだ……。
「女の子になったのね」
学校指定の冬服を着た純を見て、時田が嬉しそうに呟いた。
純は彼女の言葉を聞いて、耳まで赤くする。スカートを履いた自分の姿を見られて、照れを感じてしまったのだった。
「あんまじろじろ見んなよ……。こういうの、とっても恥ずかしいんだからな」
「あら、すごくお似合いよ。あなた、男の子だったときもそれなりに綺麗な顔をしていたけれど、女の子になったらさらに綺麗になったわね。びっくりしちゃったわ」
「冗談でもそんなこと言うなよ。お世辞を言われたって、ちっとも嬉しくないんだから」
「褒め言葉は素直に受け取っておいたほうがいいわよ、渡良瀬くん」
餌を前にした猫のように、時田が笑った。少々サディスティックな笑み方だった。
風が凪ぐ。
頭上で揺れていた梢がぴたりと動きを止めた瞬間、時田が嗜虐的な笑顔を保ったまま、口を開いた。
「驚かせてごめんなさいね。渡良瀬くん、あなた、私の後ろにいる子に怯えているんでしょう? でもその必要はこれっぽっちもないわよ。なぜなら、この子は私の忠実なしもべなんだから」
「しもべ……?」
「ええ」
時田が笑声をこぼす。
「この子の名前はサイクロプスオーガ──一つ目の人間と巨人のあいのこなの。本来なら異界でしか活動できないんだけれど、この世にとどまっていられるように設定してあるのよ」
「ということは、おまえが使役してるってわけか?」
「飲み込みが早くて助かるわ」
純は時田の顔をしっかりと見つめた。
彼女は微動だにしない。いつものように優雅に佇んでは、純の目をまっすぐ見つめ返してくる。
「そんなに警戒しなくていいわよ。今日はあなたに、『おめでとう』って言いに来ただけなんですもの」
「……は?」
「あら、聞こえなかったのかしら」
「いや、そんなことはないけど……。でもなんでわざわざそんなこと……、」
「これから同じクラスになるんですもの。挨拶くらいはしておいたほうがいいかなと思っただけよ」
そういえば、と純は思いなおした。この子とおれは、来週から級友同士になってしまうんだっけ……。
「じゃあね、渡良瀬くん。また学校で会いましょう。
それと、サイクロプスオーガのことなら心配しなくていいわよ。この子はいま、渡良瀬くんだけに見えるようにしているから」
そうして、彼女は元来た道を歩いていった。とことこと歩くその後ろ姿にもまた、生来の上品さがにじんでいる。
ひとり取り残された純は、去りゆく背中を見送りながら、力の抜けた声で呟いた。
「おれ、新しいクラスでうまくやっていけるのかなあ……」
【続く】
【裏話】
時田奏にはモデルがいます。ゲームのキャラクターです。
※2026 4/10 誤字訂正しました。




