第二章 一年十一組 三
なにもやましいことはしていないというのに、朝食の席で純はずっと黙り込んでいた。あったかい白ご飯や、豆腐とねぎの味噌汁や、真鯛の煮付けなどを食しながら、「いまのおれ、月世の目にはどう映っているんだろうな……」と考え込んでいたのである。
閉め切った大窓からは、変わらず、朝の清い日射しが注がれている。
ひのき造りの和室には長方形の掘りごたつが備え付けられており、その上に月世の作った手料理が所狭しと並んでいた。彼は、仕事が暇なときに仕込みを行なうほどの料理好きなのだ。
それはさておき。
クローゼットにしまい込んであったセーラー服を着た純は、初めて女物の衣服を着、大層困惑していた。いっそ「弱り果てている」と表現してもよいほどに。
──とっくの昔に覚悟はしていたけど、いざその段になってみると、どう振る舞ってよいのかわからなくなってしまう。それが純の偽らざる本音であった。
仲良しの男子生徒たちになんと声をかけたらよいのか、どんなふうに彼らに会話を切り出せばよいのか、女の子になった自分をちゃんと受け入れてもらえるだろうか──憂慮すべき事柄ならば、いくらでもあった。
けれど、なによりも気になるのは、月世の反応だ。
少年から少女へと性転換してしまった自分を見て、どう考えているんだろう。月世は女の子になっちまったおれを見て、なにを思ったんだろうな。
豊かに育った胸のうちを、不安と疑念が去来する。自分のほうから感想を訊ねればいいとわかってはいるのだが、それは、いまの純にとってはややハードルの高い行動であった。
女性化した純は、まごうかたなき美少女になった。時田奏に比肩するほどの可憐な娘へと生まれ変わった。
しかし、だからといって、性転換を終えた自分が月世の好みに一致しているわけではないと思うのだ。
かつてこの屋敷に住んでいた月世の双子の兄・千晴から聞いた覚えがある。「月世くんはさ、もともと年上が好きなんだよ」と。「あの子本人から教えてもらったから、間違いないよ」とも──。
それらの情報は、純をいささか落胆させた。おれは月世よりも十歳以上年下だから、あいつの趣味の範囲外なんだ──そういった気持ちが心を大きく揺るがせたのである。
けれど、純は千晴の話についても月世の秘密についても知らぬふりを通した。「女性の趣味を勝手にばらされた」と知ったら、月世はきっと激怒するだろう。こいつは性的な話をあまり好まない奴だから……。
「純」
呼ばれて、純は、
「な、……なに?」
と笑った。作り笑いを浮かべたのだ。
「ああ、もっとうまく笑えるようにあらかじめ練習しておけばよかった」という思いが兆したが、しかし月世は、婚約者の作為的な表情をさして気にしておらぬふうであった。
陶器製の箸置きに箸を置くと、
「俺は今日、おまえの学校に手続きに行く」
と、彼は言った。
明るさを増す日の光が、月世の整った顔を甘やかに照らす。
純もまた、箸を箸置きに置くと、
「そっか」
と、呟きを落とした。
「おれ、女の子になったからいろいろ手続きしなくちゃいけないもんな」
「ああ」
月世がうなずく。
「『性転換を終えた人間が各種学校に籍を置いている場合、定められた手続きをしないといけない』という決まりなのでな……。おまえは絶対女性体だから、一年十一組ことオメガクラスに通学する必要がある」
純は体をこわばらせた。
「でもオメガクラスには、あいつが……、時田がいるんだぜ? 大丈夫かな、おれ」
「さあな。味方かどうかは俺にもわからんが、おそらく敵ではなかろうよ」
「その根拠はどこにあるんだよ?」
少し強めな口調で問うと、彼はすぐさま答えを告げた。
「簡単なことだ。もしも彼女が俺たちの敵であれば、この前すでに攻撃を仕掛けてきたはずだ。しかし、時田さんはあのとき、なにもしなかった。ただ警告だけを与えに来た。俺が彼女を『敵ではない』と見なしているのは、そういう理由だ」
「なるほどなあ。確かに月世の言う通りだ」
ひとしきりうなずきを繰り返すと、純は溌剌とした声で言った。
「じゃあさ、町役場にはおれが行くよ。どうせ、性別変更の申し出をしに行かなくちゃいけないんだろ?」
「ひとりで行くのか?」
「駄目か?」
「いや、駄目ではないのだが……」
「大丈夫だよ」
純は、とん、と軽く胸を叩いた。
「おまえが言った通りなら、時田は俺たちの敵じゃない。襲ってなんか来やしないよ」
「しかし……」
「平気、平気! どうせ、性転換を終えた奴は一週間学校を休まなくちゃいけないって校則があるんだしさ。役場ならおれひとりで十分だよ!」
純は笑った。
作り笑いでなく、本心から生じた笑みを満面にあらわした。
【続く】
【裏話】
真鯛の煮付け、私も食べたいです……。




