第一章 渡良瀬純とそのつがい 十三
「どんなに切羽詰まった状況に置かれたって、駄目なもんは駄目だ。それに、あんなかよわそうな女の子に向かって『殺す』と脅し文句を言うこと自体、どうかと思うよ」
「だが……」
「駄目だ」
純は眉尻をつり上げると、月世の顔をまっすぐ見据えた。両の瞳が捉えた彼の顔は、弱り果てたような表情をしていた。
二人はそのまま、しばらくの間無言で見つめ合った。
沈黙が二、三秒ほど降りてきた。
それにしても、奇妙な街だった。三人の他には何者もいない。家の中からも人の気配がしない。煮炊きをするにおいだって、少しも漂ってこない。
あまりにも生々しい静寂が、異国風の街を──東欧諸国の家並みをそっくりそのまま再現したような石造りの街を取り巻いていた。
天に月とレガリアの姿はなかった。爽やかな日射しををもたらす太陽のみがあった。
雲はなかった。
時折吹いてくるそよ風が柔らかく頬を打っては、いずこかに去っていった。
「どうしてこんな真似をする? 一体、俺たちがなにをしたというんだ」
月世が問うと、時田はまたも笑みをこぼした。
スミレ色の瞳が一層妖しく光ったように見え、純は思わず身震いをする。
「あなた方とお話がしたかっただけなの」彼女が言った。
「『つがいとしての真の力に目覚めないと、二人とも──、いいえ、あなたがた以外の方々も死んじゃうわよ』という警告を与えたかっただけなのよ」
「真の力……? なんだよ、それ」
すると、彼女はけだるげに前髪をかきあげつつ、
「ときが来ればわかるわ。もっとも、あなたのつがいはすべてをご存じなのかもしれないけれど」
と答えた。
言外に、「そんなわかりきったことは訊かないでちょうだい」と言われたような気がして、純は恥ずかしさに顔を赤らめた。
太陽が南の空にのぼる。
ひび割れひとつ見当たらぬ舗道に、三人分の影が落ちる。
純はあらためて、時田の顔を正面から見た。絶対女性体でありながら、完全男性体並みの美貌を有する彼女の佇まいは、どこまでも清楚でたおやかで、まるで異国生まれの美姫のような気品に満ちあふれていた。「美少女」という一言で片付けるのが惜しくなるほどに美しい娘だった。とても同じ絶対女性体だとは思えなかった。
しかも、彼女は──月世に脅威を感じさせるくらい、強大な魔力をその細い身のうちに秘めているのだ。
現に先刻、月世が言っていたではないか。「ただならぬ魔力を感じる」と……。
完全男性体と同格、いや、それ以上の魔力を持つ彼女に、純は恐れをなした。と同時に、敬意も抱いた。
性転換を終えた絶対女性体は「所構わず発情する」という特性を持っているがゆえ、ときに蔑みの対象になるのだが、彼女ほどの美しさ、強さがあれば、そんなものとはきっと無縁でいられるだろう──そう思ったからだ。
(おれにもこんな力があれば……)
そんな考えが念頭に浮かびかけた瞬間、純は頭を軽く打ち振り、「いや、それは違う」と自身の思考を打ち消した。
時田の美貌や才能を一瞬欲しがったのは事実だ。彼女のことを「羨ましい」と感じたのだって、事実に基づいてのことだ。
だけど、なんの力も持たない自分にもきっと、なんらかの長所や美点があるはずだ。時田奏と名乗った少女にはない「なにか」がおれにはあるはずなんだ……。
「ところで、君の目的はなんだ。どんな用件で、俺たちをここに呼び出したんだ?」
時田はやはり、笑っている。邪気なき微笑を、美しく整った目許口許に刻んでいる。
「さきほども申し上げたように、私は警告しに来ただけなの。……渡良瀬くん、特にあなたにね」
「おれに?」
純は自分の顔を指さす。
「ええ、そうよ。あなたが本来の力に目覚めないと、神苑はおろか、世界が滅ぶかもしれないの」
大槌で頭を殴られたような、ひどいショックが純を襲った。おれが本来の力とやらに目覚めないと世界が滅ぶ……? なにを言っているんだ、この子は。
「私、嘘はついていないわよ。これは本当のこと。真実に即した警告よ」
そこでようやく、時田が微笑を収めた。
「今回言いたかったのはこれだけよ。だからもう、元の世界に──現実世界に戻してあげるわ」
私の話に付き合ってくれてありがとう。
彼女がそう告げたとたん、空間が大きくひずみ、──やがて、見慣れた景色が視界に映り込んだ。
神苑町に帰ってきたのだ。
【第二章に続く】
【裏話】
百年文庫を読むのが好きです。
できたら、全巻読んでみたいと思っています。




