39話 危険な火種 ~それは所長にお任せ~
今日の講義も無事終了。
カリカリと書類に向かって筆を動かしている所長を見ていると、ふと千歯扱きのことを思い出した。
ノックスを忙しくする気はないので、作る予定はまだない。
だが、聞いておいても良いだろうと、農業に関する話を所長にふった。
「所長。小麦の穂を一本、一本脱穀するのって、大変だと思いませんか?」
書くのを止めず、所長が答えた。
「……急になんだ。怠惰な生活を送るのが、希望じゃなかったのか?」
それはその通りなんだが、あの時の言葉を憶えているとは驚きである。
「農業関係者が身近にいなくて、聞くことができなかったので」
「私も農業は専門ではないぞ」
口調が面倒くさそうだ。
所長は顔を上げずにいるが、聞く姿勢にはなったようだ。
「千歯扱きといって、金属でできた櫛のようになっていまして、画期的に脱穀の速さが増すと思うんですけど……」
「思うがどうした?」
「どれくらい周りに影響が出るのかなって思いまして……作ってもいいものかどうか、聞きたいんですけど」
所長が書くのを止め、顔を上げた。
「君が言うのだから、今よりも飛躍的に効果があるのだろう。それを踏まえた上で、私に後の影響を聞いたあたりは学習しているようだな」
「えっ? はい」
所長は、難しい顔をして窓の外を見ている。
わたしには、まったくもって影響がどれ程かなんてわからない。
所長でもわからないのであれば、これは保留にしようと思う。
「それは単純な構造なのか?」
単純と言えば単純だ。
木材に金属の櫛のような形をくっつけた代物だ。
櫛の部分に穂を通して脱穀を行う。
だが、お母さんに聞いたやり方よりは圧倒的に早いだろう。
「はい。単純な構造です」
「すぐ、作れるか?」
「すぐ?」
すぐとは、何日だろうか。
とりあえず、紙を借り、構造を簡単に絵にする。
「ふむ、手を出しなさい」
「……はい」
……絵が下手だったか。
ほんの数分、千歯扱きのイメージと、それの使い方の記憶を読んだ所長がそっと手を離す。
所長は「使えるな」と呟くと、千歯扱きの形状をスラスラと紙に書き写した。
わたしの絵とは違い、非常に特徴を捉えていて上手かった。
……高スペックめ。
「これは危険だ。ノックスには話すな」
……危険?
あの化粧水ですら、貴族が欲しがっても、危険とまでは言わなかった。
組合の制度があれば広く流通出来るのに、なぜ危険なのか。
「どうしてでしょう?」
「貴族の収入に直結するからだ」
貴族の収入と聞いて納得する。
領地の収穫量が上がれば、貴族の収入も上がる。
商会の儲けとは別らしい。
しかし、貴族の収入が上がるのであれば、むしろ問題無いのではと思うのだが……。
「農業中心の地域は良い。だが、それ以外は妬むだろうな」
「そこですか?」
「それが貴族の厄介なところだ。他が豊かになることに敏感だ。力関係が崩れる場合もある」
……あ~、貴族間のパワーバランスね。
「どうしましょう? 作らない方がいいですよね?」
「領主派は喜ぶだろうな。だが、トバルを除く、反領主派には憎まれるぞ?」
所長の鋭い視線がわたしを見据える。
何度見ても、この視線はキツイ。
「じゃぁ、作らない方向で――」
「商会で作らなければよい」
……意味がわかりません。
「理由は言ったであろう。危険だと」
「それはわかったんですが、商会で作らないならどこで?」
この面倒くさがり屋さんは、説明がいつも端的すぎるのだ。
もうちょっと、言葉を添えて下さい。
「領主主導で作らせればよい。領主派は大喜びだ。反領主派は結果的に弱体化する。良いこと尽くめだ。商人が主導すれば反領主派の恨みを買う。領主なら、いまさらだろう?」
言いたいことは、わかった。
しかし、これだと儲けが出ない。
大きな儲けになりそうだけど、領主様に請求するのは可能なのだろうか。
「そんな顔をするな。領主の手柄にはなるが、君の取り分はちゃんと考えている」
……おお、流石イケメン。
「口を閉じなさい。非常に頭が悪そうに見える」
自分でも気づかないうちに、大口を開けて喜んでいたらしい。
これはみっともない。
何度も見ているが、所長のあの顔は絶対に呆れている。
淑女のマナー講座も受けたのに、褒められると同時に注意を受けるのはなぜだろう。
次に機会があるのなら、冷静に対処しようと思う。




