78話 交わる知恵 ~援軍は懐かしい空気~
今日も、セイレナの樹液の加工を繰り返し試す。
その結果、実験を繰り返す過程で偶然発見した防水加工の可能性。
しかし、接着剤の強度の問題と防水加工。
どちらも、わたしの頭では、これ以上の改良方法が浮かばない。
そんな時、黒板の荷と一緒にトバルへやって来たのは、ノックスとアイナ。
そして――緊張で体を固くしているポールだった。
「代理殿、お久しぶりです」
「ルルちゃ――代理殿、お世話になっております」
「……ど、どうも……」
ノックスとアイナとは新年ぶりの再会。
けれど、ガチガチに固まったままのポールと顔を合わせるのは、一年以上ぶりだった。
聞けば、工房のバルト親方に「いい勉強になる」と言われて、今回特別に同行を許されたらしい。
それにしても――。
ノックスもポールも背がぐぐっと伸びて、もう百七十センチ近くはあるんじゃないかと思う。
すっかり立派な青年に見えた。
アイナも、元々落ち着いた雰囲気の子だったけれど、幼さが薄れて大人っぽさが増している。
やはり、この世界は成長が早い。
薄々感じてはいたものの、前世よりも三歳から四歳程、成長に差がありそうだ。
ここにいる三人は同い年。まだ十三歳だ。
なのに、見た目はほとんど前世の高校生と変わらない。
……みんな成長期なんだな。少し会わないうちに、どんどん変わっていく。
ちなみにお父さんは、みんなを先に邸に下ろしたあと、トバルの商店へ荷の振り分けに回っているところだそうだ。
◇ ◆ ◇
ロエナや書記官が気を遣って部屋から下がると、作業場が懐かしい空気に包まれる。
ノックスとポールが力を合わせて、床に黒板を平置きにする。
アイナがさっと布を外すと、煤と油で塗られた真っ黒な板が現れた。
「わぁ……黒板だ!」
思わず感動の声が漏れる。
早く文字を書いてみたくて、わたしは駆け寄った。
ノックスが書いてごらんとでも言うように、棒状の石灰の塊を手渡してくる。
「まずは試してみなよ」
「うん!」
わくわくしながら黒板に走り書きをしてみる。
……書ける。ちゃんと書ける!
けれど、ちょっと石灰の乗りが悪い。
「すごい! ちゃんと字も絵も書けるよ!」
わたしが笑顔で告げると、緊張気味にポールが口を開いた。
「の、乗り具合が……少し悪いですね」
「うん、そうだね」
流石ポール、ちゃんと気づいてたんだ。
ポールが少し困った顔で続ける。
「もうちょっと改良できそうなんだけど……」
「ん?」
首を傾げたわたしに、ノックスが苦笑しながら言った。
「いや……黒板の卸先を考えると、ルルのところしかないんだよね」
「え……?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
でもすぐに、合点がいった。
……そうか。
孤児院の教室で使うくらいしか需要がない。
つまり、自分しか買わないから採算が取れないんだ。
……しまった……そこは見落としてたよ。
これは失敗だと、頭を抱えて反省する。
「う~ん、現状だと、うちの教室くらいしか需要がないよね……」
わたしはポールに向き直った。
「今は『トバルからの特注品』って依頼で大丈夫?」
それでいいのかと、ポールはキョトンと目を丸めた。
「ああ、それは全然問題ないけど……いいのか?」
「いいよ。わたしの思いつきだし、まずは実績を作らないとね」
――そう、まずは実績。
もし孤児の教育が制度として広がれば、必然的に消耗品の黒板は、それなりの数が必要になるはずだ。
そう言ったところで、ふと窓の外に視線をやった。
……まだ、時間はありそう。
お父さんが荷下ろしを終えて戻ってくる前に、もうひとつ確かめたいことがあった。
「――それじゃあ、黒板の話はここまで。次はこっちを見てほしいの」
机の端に置いていた瓶を手に取り、三人に向けて掲げる。
中でとろりと揺れる黒い樹液。
「セイレナの木から採れた樹液」
「「「セイレナ……?」」」
三人揃って同じ反応を返してきた。
眉をひそめて、困惑気味に顔を見合わせている。
「まぁまぁ、とりあえず突っついてみてよ」
わたしは小さな木の棒をノックスに渡した。
ノックスが瓶の中にそっと差し込み、黒い液体をすくい上げる。
「……うわ、ルル、これは粘りがすごいね」
次にポールが棒を受け取り、樹液を指で伸ばすようにして眺めた。
「これ……松脂か? いや、それよりもっと強いな」
最後にアイナが挑戦する。
慎重に棒で樹液を触り、指先で少し引き伸ばした途端、目を丸くした。
「すごい……。でもこれさ、もし物にくっついたら大変じゃない?」
慎重なアイナらしい意見だった。
「そう。そのくっつく力を利用できれば、新しい接着剤ができそうじゃない?」
わたしが胸を張って言うと、ノックスの目が一気にきらきらと輝き出した。
「ルル……これは……!」
……マズイ!
わたしは両手を握りしめて身を乗り出してくるノックスをくるりとかわし、アイナの後ろにささっと隠れる。
ノックスはそのまま作業机まで突進すると、机を凝視したまま、動かなくなった。
表情は驚愕と感動が入り混じり、完全に固まってしまっていた。
それを見たアイナが、苦笑しながら肩をすくめた。
「まぁた始まった……」
ポールも困ったように笑いながら、棒の先についた樹液をじっと見つめる。
「でも、これ面白いなぁ。松脂に似てるんなら、水で薄めて塗布すれば、防水にもなるんじゃないか?」
……ん。今、何て言った?
「ポール、今何て……」
「え? いや、面白いなって……」
「そのあと」
「松脂に似てるなら、水で薄めてって……」
……薄める!
頭の中で一気に光が走った。
……これだ、これなら形にできるかもしれない!
「今できる?」
わたしは食いつくようにポールへ問う。
「お、おう」
驚きながらも頷いたポールは、すぐに部屋に置いてあった鍋を持ち出して樹液を煮詰める準備に取りかかった。
横でアイナが「こっちも始まったわね」と苦笑し、ノックスはまだ机の水滴を見つめたまま固まっていた。
鍋に樹液を流し込み、火にかける。
すぐに独特の甘いような焦げたような匂いが漂い、粘り気を増した黒い液体がとろりと揺れ始めた。
ポールが水を少しずつ加えてかき混ぜると、液体は思ったより素直に薄まり、表面に艶が出ていく。
「……おお」
ポールが感嘆の声を漏らす。
横で見ていたアイナも、興味深そうに見つめて呟く。
「思ったより扱いやすいんじゃない」
わたしは二人の様子にわくわくを感じながら、固まったままのノックスをちらりと振り返った。
……お兄ちゃん? 大丈夫?
鍋の中で樹液が落ち着き、そろそろ塗布できそうな状態になったときだった。
ずっと机の水滴に釘づけだったノックスが、ようやくこちらに振り返る。
「……馬車の幌や麻袋なんかに塗れたら、凄い効果になるぞ。ただ、強度は少し足りない気がする」
「強度かぁ」
わたしの疑問符混じりの返事に、ノックスが即座に案をうち出した。
「木や植物の繊維を混ぜれば、補えるかもしれない」
……そこかぁ!
袋に塗るって発想だけでもすごいのに、ピンポイントで植物の繊維と言うあたり、流石はノックスだ。
「流石、お兄ちゃん!」
わたしは感嘆の声を上げ、すぐに取りかかることにした。
さっそく、適当な麻袋を取り出してハケで樹液を塗り広げる。
乾いた部分を指で押してみるが……やっぱり少し心許ない。
「う~ん、強度がイマイチだね」
すぐに布くずを手に取る。
さっきロエナに集めてもらった残り物だ。
それを樹液に混ぜ込み、もう一度、麻袋に塗ってみた。
今度は表面に張りが出て、触ってみるとさっきよりもしっかりしている。
「おお、さっきよりずっといい」
わたしの感想に、ノックスも頷きながら布くず入りの部分を観察する。
「やっぱり繊維を混ぜた方がいいな。強度がまるで違う」
「……ふふっ」
横で見ていたアイナが小さく笑うと、紙束をすっと差し出してきた。
「一応、全部書き記しておいたわ。はい、これ」
「ありがと、アイナ!」
目に見えた成果に、声が弾む。
これなら実験の成果をしっかり残していける。
しかし、植物の繊維はすぐに用意できないので、今日はここで断念することにした。
あとは自力で改良を進めれば、なんとかなるはずだ。
胸の奥でそう確信する。
「ルル、念のため言うけど」
ノックスがわたしを見て、真剣な声で告げた。
「これはうちじゃ取り扱えないからね」
「うん。これはトバルの産業にするつもり」
きっぱりと答えると、アイナとポールが驚いた顔を見せる。
けれどノックスは、まるでわかっていたかのように静かに頷いた。
「なら、大丈夫。完成の際にはすぐ知らせてよ」
「もちろん!」
するとポールが樹液の瓶を見つめながら、嬉しそうに声を上げた。
「これがあれば……農具の改良が捗るぞ!」
「ポール、必要な時は言ってね」
「あ、ああ。その時は……お願い、します」
そう答えたポールの頬がわずかに赤くなる。
実験が終わった途端、また緊張を取り戻したその様子に、アイナがくすっと笑った。
「……そろそろ、時間かな」
ノックスの言葉に頷き、三人はそれぞれ挨拶を交わして作業場の扉へ向かった。
ギィッと扉を開けると、そこには大きな影が立っていた。
「終わったか?」
扉の向こうで待っていたのは、にやりと笑ったお父さんだった。
……待っててくれたんだ。
胸がぶわぁっと熱くなる。
わたしは嬉しくなって、机越しに大きく手を振った。
すると、お父さんも無骨な手を上げ、「またな」と短く応えてくれた。
わたしは扉が閉まるその瞬間まで、お父さんの背中を追っていた。
……ありがとう。お父さん。
◇ ◆ ◇
馬車の車輪が軋む音を聞きながら、今日の出来事を振り返る。
セイレナの木の樹液――あの強烈な粘性に目をつけ、新しい接着剤になるかもしれないと口にしたのは、ルルーナだった。
普通なら、すでに普及している松脂を改良しようとするのがせいぜいだ。
それなのに、ルルーナはまるで当たり前のように、未知の素材から新しい産業を生み出そうとしていた。
……僕には絶対にできない発想だ。やっぱりルルは、無から有を生む天才だ。
ポールを連れてきたのも正解だった。
木工に関しては、僕より知識が深い。
あの「水で薄めて」という何気ない一言が、ルルーナに新しい閃きを与えた瞬間を見て、やはり専門職の強みは侮れないと感じた。
けれど、それでも核心を見抜いていたのはルルーナだった。
机の上で水滴を弾いた跡を見た時の衝撃は、今も胸に残っている。
あの衝撃で僕は冷静さを少し欠いていた。
少々、ポールに対抗意識を燃やして、矢継ぎ早に強度や繊維の話をしてしまった。
だけど、そんな下手な説明でも、「流石、お兄ちゃん」とルルーナは理解できてしまっていた。
……あの言葉だけで、半年以上は頑張れるな。
はぁっと、ため息が漏れる。
表面上のルルーナは、ほとんど変わっていない。
少し背が伸びて、だいぶ可愛くなったなと思うくらいだ。
控えめに言って、サンドレアムでも一、二位を争う。
だが中身は違う。
あの樹液を商会で扱う危険性を教えようとしたが、ルルーナはすでに理解していた。
それは商人の目線ではなく、統治者としての目線だった。
どうやって産業として根付かせるか――もうそこまで考えている。
エステラもそうだが、ルルーナもまた、僕の予想をあっという間に飛び越えていく。
……なにが「神童ノックス」だ。妹たちの方が、よほど神童だ。
僕はそんなことを考えながら、澄んだ夜空を見上げた。
ルルーナが統治する町。
平民の目線に立った政治。
どれほど庶民は幸せだろうか……少しだけ嫉妬してしまう。
じゃあ、そんな町に商会の店を出したらどうだろう。
今よりもずっと楽しいに違いない。
だけど――ルルーナはあくまで暫定的な統治者だ。
そんな夢物語に期待してはいけない。
ならば、今は僕にできることを最優先にしなければ。
……ルル。いつでも呼んでおくれ。僕は、いつだって駆けつけるさ。
春の心地よい風が吹き抜ける馬車の荷台で、夜空を見上げながら、星明りにそう誓った。




