77話 可能性 ~抱えるものを乗り越えて~
セイレナの木の視察を終え、帰りの馬車の中。
揺れる座席に座りながら、わたしは手元の黒い塊を指先でつついていた。
冷えるとつやつや光り、割れば中はべたりと糸を引く。
どう見ても、ただの厄介ものじゃない。
「……接着剤として使えるかもしれないよね」
わたしが口にすると、向かいに座っていたマテオが頷いた。
「はい。もし、松脂に代わるものとなれば、新しい産業の芽となりましょう」
「改良は必要だがな」
隣のアゼレアは窓の外を見たまま短く言った。
その琥珀の瞳は、どこか慎重に見えた。
だけど、わたしは胸の奥で、わくわくが膨らんでいくのを抑えられなかった。
……役立たずなんかじゃない。これで、みんなを助けられるかもしれない。
◇ ◆ ◇
執務室に戻ると、黒い塊は机の上に置かれ、改めて話し合いが始まった。
簡単に言えば、樹液の利用方法の確認だ。
トバルは農業都市。
農産物の出荷以外、大きく目立った産業はない。
これを接着剤として利用可能なモノにできれば、トバルの産業を手助けできるかもしれないのだ。
とはいえ、今は執務室での身内の会議。
わたしの発言に特に反論もなく、スムーズに事は進んでいた。
「……一定の収穫はあったな」
黒い塊を見ながらアゼレアがまとめると、マテオも頷く。
「改良は必要ですが、接着剤としての利用価値は十分に考えられます」
わたしは机の下で、小さくガッツポーズを作った。
だが、アゼレアはすぐに表情を引き締める。
「問題は、この木が領内のどこにでもあるわけではないということだ」
アゼレアの言葉に、マテオが地図を広げ指で示す。
マテオが示したのは、トバルの西側に広がる川と山の間。
視察に行った場所から、南西側にも広がっているようだ。
「セイレナの木が群生しているのは、トバル近郊に限られます」
「つまり、これはトバルの独占資源になりうる」
アゼレアが言い切った。
その響きに、わたしは胸を高鳴らせる。
……失った七割を取り戻せるかもしれない。それどころか……。
けれど、アゼレアの冷たい声が、その期待を断ち切った。
「直轄領である以上、領主は歓迎するだろう。だが、他のマーキスやアードは妬む」
アゼレアの声に、警戒の色が混ざる。
「……どういうこと?」
わたしの問いに、マテオが淡々と答える。
「トバルは元々、東のマーキスの影響下にありました。その支配のもとで見つかっていれば、当然、彼の成果となったでしょう。しかし直轄領に編入された今、成果は全て領主のものとなります」
「だからこそ、悔しいだろうな」
マテオの言葉にアゼレアがわずかに頷き、続けた。
「しかも歴代アードが諦めてきたものを、平民のお前が成し遂げた……貴族にとっては、それが何よりの屈辱になる」
……なるほど。諦めていた土地だからこそ、余計に悔しいのか。しかもそれを成し遂げたのが平民のわたしだなんて……妬まれないわけがないか。
わたしは机の端を指でとんとん叩きながら、内心で小さく呟いた。
……ほんと、貴族ってめんどくさい。
わたしはため息をつきながら、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえばさ……マーキスって、なに?」
問いかけに、マテオがすぐに答える。
「一つの都市を治めるのがアード。その複数を束ね、監督するのがマーキスです。そしてさらに、その上に立つのが領を治めるバニアとなります」
……ふむふむ。市長がアードで、その上の県知事がマーキス。さらに国王様がバニアってことね
内心でそう整理すると、すっと理解が腑に落ちた。
話し合いが終わると、マテオが記録をまとめるために退出し、ロエナも茶器を片づけて部屋を出ていった。
執務室には、わたしとアゼレアだけ。
「ねぇ、なんで貴族って協力し合わないの?」
机に頬杖をつき、窓の外を見ながら自然と漏れたわたしの疑問に、アゼレアが顔を上げる。
「領地のためになるなら、いいんじゃないの?」
わたしがそう続けると、アゼレアは小さく首を振った。
「どこの領地も、一枚岩ではないのよ」
琥珀色の瞳がランプの光を映す。
「表向きはバニアに従っていても、内心では虎視眈々と領主の座を狙っている者がいる。協力と見える行動ですら、力を蓄えるための策かもしれないわ」
「……そんなものなの?」
「そういうものよ」
淡々とした声。
けれどその奥に、わずかな苦さが滲んでいた。
「内にも外にも気を配らねばならぬバニアの苦労は……私たちでは計り知れない」
わたしは小さく口をすぼめる。
理解はできても、納得はできなかった。
……なんか、思ってたよりずっと大変なんだ……うーん。なんだか戦国時代みたい。誰も彼も、隙あらば領主の椅子を奪おうとしてるなんて。
アゼレアは考え込むように黙っていたが、やがてわたしに向き直り口を開いた。
「……なぜ、私が助命されたか。もうわかっているでしょう?」
「ん?」
わたしは首を傾げる。
……ううん、全然わからないけど。アゼレアが助かったんなら、それでいいかなって思ってたし。本人も納得してたから、もう全然考えてなかったよ。
そんなわたしの内心を見透かしてか、アゼレアは困ったように眉を寄せた。
「……その顔は、理解していないわね」
アゼレアが、陽が落ち始めた窓の外に視線を向ける。
「赤の薬よ」
一拍置いて、アゼレアは言葉を続けた。
「七年前の事件がすべての発端」
「赤の薬? ……発端って?」
アゼレアが小さく頷く。
「発端はハイメンダル。でも、より深い傷を負ったのはサンドレアムだった。あの時、貴族の数が一気に削がれたわ」
「……一気にってそんなに?」
「ええ。手軽に魔力を増幅できると、下級貴族たちが我先にと飛びついた。その結果、ほとんどが死亡するか、あるいは重い後遺症を抱えることになったわ」
……なんでそんな……危険なのに。
「それって、毒じゃないの? なんで?」
苦い記憶を思い出したかのように、アゼレアの表情が曇る。
「毒と見抜けなかったの。服用を続けるうちに症状が悪化する。しかもそういった類の異常は魔法では見抜けない。だから気づいた時には、手遅れだった」
毒とわからない薬。
飲めば強くなれると思ったのに、待っていたのは、死か重い後遺症。
……それで下級貴族に大打撃ってわけね。
下級貴族たちは、家を背負っているからこそ、様子見できなかった。
あるいは、簡単に力が手に入るならと考えたのかもしれない。
アゼレアは視線を合わせず、ただじっとランプの揺らめきを見つめている。
「だからこそ、私のような者でも処刑されずに済んだ……貴族が足りなかったのよ」
胸の奥がひやりと冷える。
アゼレアが生きているのは、その欠けた穴のおかげだなんて。
生きていてくれて嬉しいはずなのに、手放しで喜んでいいのかどうか、わからなくなる。
「……そっかぁ」
わたしは沈む気持ちを抑えて、声を絞り出す。
アゼレアは帳簿に視線を戻し、続ける。
「トバルの政務官たち。本来は貴族のみで運営される場なのに、平民の方が多いと思わない?」
「言われてみれば……ずっと役所みたいなだなぁって」
……そういう経緯があるのか。
「それじゃあ、その赤い薬はどうなったの? 禁止になったの?」
「もちろん禁止よ。今は禁制品になっている……お前も知っているはずよ」
「え、わたしも?」
アゼレアは目を細め、静かに告げた。
「――メネズが人体実験に用いていた禁制品。あれが、赤の薬」
心臓がどきんと跳ねた。
「……あれが、赤の薬」
思わず手を握りしめる。
あの時の恐怖と怒りが蘇る。
……そんなものを人に飲ませて、苦しませて、それでもやめなかったなんて。
「メネズはどうしても諦めていなかったわ。薬を使えるように改良するため、人体実験を繰り返していた……本当に、愚かな叔父」
「そこまでして……どうして?」
「……さあ、私にもわからないわ」
アゼレアは感情を押し殺した声で続けた。
「どこかの国の調略だったのか、あるいはただ権力に憑りつかれた叔父の暴走だったのか……今となっては、知る術もないわね」
わたしは言葉を失った。
政治、陰謀、欲望。
どれも人を殺してばかりだ。
やっぱり、貴族の世界は……怖い。
アゼレアが重たくなった空気を消すように、パンッと手を叩いた。
「――さてと。それじゃあ、そろそろ夕食にしましょう」
「お腹も空いたし、それは賛成!」
わたしはすぐに顔を上げた。
「アゼレア、今日は何にする?」
「私は根菜のスープがいいわね」
「え~、じゃあ根菜で肉挟んだやつは?」
「それ、一昨日も食べたわよ?」
……譲らないか。
「うーん。じゃあ、勝負ね!」
「お前が考案した、あれ?」
アゼレアが、ちらりとわたしを見る。
「うん!」
「いいわよ。もう必勝法はわかったわ」
目を細めて、彼女が微笑んだ。
……まじで?
「「ジャン、ケン――ポンッ!」」
……よしっ! 肉の挟み揚げ!!
「おかしいわね……」
キョトンとした顔でアゼレアが呟いた。
◇ ◆ ◇
視察を終えてから数日が過ぎた。
セイレナの木の樹液を煮詰める実験を、あれから何度も繰り返した。
木くずを混ぜたり、灰を混ぜたり。
試行錯誤の末、固まるまでの時間を、ある程度調整できるようにはなってきた。
これで接着剤として、最低限の運用の目処は立った。
けれど、まだ問題は残っている。
固まった後の強度だ。
作業台に広げた固まった樹液を見つめながら、わたしは「う~ん」と唸った。
「お嬢様、これでも弱いんでしょうか?」
ロエナが不思議そうに、樹液の塊を突っついている。
「たぶん……まだ、弱いかなぁ」
使えなくもないが、まだ弱い。
少なくとも、接着剤を知っているわたしから見た場合だ。
……前世で聞いたことあるんだよね。たしか「樹脂」ってやつは、繊維を混ぜて強くしてたような……でも、これって「樹液」だし……似てるけど、同じものなのかなぁ?
腕を組んで必死に記憶を引っ張り出す。
……アクセサリー作りで使ってたのはレジン。レジンって樹脂? 何か繊維を混ぜれば、強くなる?
「ねえ、ロエナ。布くずとか余ってない?」
「布くずですか? ……すぐに用意いたします」
ロエナが部屋を出ていったので、わたしは湯気の立つお茶に手を伸ばした。
……待ってる間に、一口いただいてっと。
カップを持ち上げようとした瞬間――。
べたりと机にひっついていたカップに、バランスを崩してしまった。
「わっ!」
カップの中のお茶が、ばしゃっと机にこぼれ落ちる。
気づかないうちに、机の上にも樹液が飛び散っていたんだろう。
「やっちゃったぁ……」
慌てて布で拭こうとしたけど、ふと手が止まった。
……あれ? 水、弾いてない?
「接着剤って、防水加工にも使ってたんだっけ?」
頭の中で、また前世の断片がぐるぐる回りだす。
……ビニール傘はビニールでできてた気がする。でもビニールって、たしか石油から作るんだよね? プラスチックは……えっと……あれ? その先が出てこない。
わたしの頭脳では、結局よくわからなかった。
専門的な知識などないのだ。
しばらくして、ロエナが布切れを抱えて戻ってきた。
「これしか集まりませんでしたが……お嬢様、どうされました?」
ロエナはわたしと机を見て「あっ、お茶が」と、近くにあった布を手にした。
「すぐ拭きますね」
「ロエナ、待って!」
「はい?」
わたしの制止に、ピタリとロエナが動きを止める。
「この状態を見てもらうわ。マテオを呼んできて」
一瞬きょとんとした顔をしたロエナだったが、すぐに真剣な表情に変わって頷いた。
「かしこまりました」
……忘れないうちに、誰かに知らせておこう。
接着剤だけじゃない、防水加工の可能性もあるのだから。
パタパタと早足で近付く音がする。
ロエナに呼ばれたマテオが、帳簿を片手に駆けつけてきた。
「代理殿、どうされました?」
「ごめんね。急に呼んじゃって」
「いえ。それより、これは……」
机の上の惨状を、じっとマテオは見ている。
「見て。お茶をこぼしたんだけど……ほら、水を弾いてるの」
机の表面に広がった茶色い液体は、樹液が付着している部分をつるりと滑り落ち、染み込むことなく玉のようになっていた。
マテオは目を細め、慎重に観察している。
「……確かに。撥水効果があるように見えますね」
「でしょ? 接着剤になるだけじゃなくて、防水加工にも使えるかもしれないんだよ」
はっとした表情をしたマテオは、頭をすぐに切り替えたようだ。
「すぐに記録させましょう」
わたしが頷くと、マテオは踵を返し部屋を出て行った。
やっぱりマテオは優秀だ。
短いやり取りで理解してくれる。
マテオを見送ると、机に残った水滴をじっと見つめた。
……庶民の防水って、たしか松脂を塗ったり、油を染み込ませたりするんだよね。
だが、べたついたり、すぐ剥がれたりで扱いづらいと聞いたことがある。
もし、このセイレナの樹液が簡単に加工できるなら……。
接着剤だけじゃない。
防水加工のほうでも、みんなの暮らしを変えられるかもしれない。
胸の奥が、またじんわりと熱くなるのを感じた――その時だった。
作業場の扉を叩く音がして、ロエナが対応すると書記官が顔を覗かせた。
「代理殿、レント商会より荷が届いております」
「荷? ……あっ、黒板ができたのね!」
思わず声が弾んだ。
「すぐに通してちょうだい」
「かしこまりました」
ほどなくして、商会の制服を着た二人が荷を抱えて入ってきた。
その姿を見ただけで、わたしの体温がぐぐぅっと上昇する。
ノックスと、その隣にはアイナ。
さらにその後ろには、おっかなびっくりの様子のポールまで。
……ナイスタイミング!!
接着剤も、防水の可能性も、まだまだ不安だらけ。
そんな時に現れた三人はわたしにとって、これ以上ないほどの援軍だった。




