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私の秘密は増えてゆく ~この幸せを守るため――だからわたしは仮面をかぶる~  作者: 月城 葵
四章   新しい風が呼び込んだもの

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77話  可能性 ~抱えるものを乗り越えて~




 セイレナの木の視察を終え、帰りの馬車の中。

 揺れる座席に座りながら、わたしは手元の黒い塊を指先でつついていた。


 冷えるとつやつや光り、割れば中はべたりと糸を引く。

 どう見ても、ただの厄介ものじゃない。


「……接着剤として使えるかもしれないよね」


 わたしが口にすると、向かいに座っていたマテオが頷いた。


「はい。もし、松脂に代わるものとなれば、新しい産業の芽となりましょう」

「改良は必要だがな」


 隣のアゼレアは窓の外を見たまま短く言った。

 その琥珀の瞳は、どこか慎重に見えた。


 だけど、わたしは胸の奥で、わくわくが膨らんでいくのを抑えられなかった。


 ……役立たずなんかじゃない。これで、みんなを助けられるかもしれない。




 ◇ ◆ ◇




 執務室に戻ると、黒い塊は机の上に置かれ、改めて話し合いが始まった。


 簡単に言えば、樹液の利用方法の確認だ。


 トバルは農業都市。

 農産物の出荷以外、大きく目立った産業はない。


 これを接着剤として利用可能なモノにできれば、トバルの産業を手助けできるかもしれないのだ。


 とはいえ、今は執務室での身内の会議。

 わたしの発言に特に反論もなく、スムーズに事は進んでいた。


「……一定の収穫はあったな」


 黒い塊を見ながらアゼレアがまとめると、マテオも頷く。


「改良は必要ですが、接着剤としての利用価値は十分に考えられます」


 わたしは机の下で、小さくガッツポーズを作った。

 だが、アゼレアはすぐに表情を引き締める。


「問題は、この木が領内のどこにでもあるわけではないということだ」


 アゼレアの言葉に、マテオが地図を広げ指で示す。


 マテオが示したのは、トバルの西側に広がる川と山の間。

 視察に行った場所から、南西側にも広がっているようだ。

 

「セイレナの木が群生しているのは、トバル近郊に限られます」

「つまり、これはトバルの独占資源になりうる」


 アゼレアが言い切った。

 その響きに、わたしは胸を高鳴らせる。


 ……失った七割を取り戻せるかもしれない。それどころか……。


 けれど、アゼレアの冷たい声が、その期待を断ち切った。


「直轄領である以上、領主は歓迎するだろう。だが、他のマーキスやアードは妬む」


 アゼレアの声に、警戒の色が混ざる。


「……どういうこと?」


 わたしの問いに、マテオが淡々と答える。


「トバルは元々、東のマーキスの影響下にありました。その支配のもとで見つかっていれば、当然、彼の成果となったでしょう。しかし直轄領に編入された今、成果は全て領主のものとなります」

「だからこそ、悔しいだろうな」


 マテオの言葉にアゼレアがわずかに頷き、続けた。


「しかも歴代アードが諦めてきたものを、平民のお前が成し遂げた……貴族にとっては、それが何よりの屈辱になる」


 ……なるほど。諦めていた土地だからこそ、余計に悔しいのか。しかもそれを成し遂げたのが平民のわたしだなんて……妬まれないわけがないか。


 わたしは机の端を指でとんとん叩きながら、内心で小さく呟いた。


 ……ほんと、貴族ってめんどくさい。


 わたしはため息をつきながら、ふと思い出したように口を開いた。


「そういえばさ……マーキスって、なに?」


 問いかけに、マテオがすぐに答える。


「一つの都市を治めるのがアード。その複数を束ね、監督するのがマーキスです。そしてさらに、その上に立つのが領を治めるバニアとなります」


 ……ふむふむ。市長がアードで、その上の県知事がマーキス。さらに国王様がバニアってことね


 内心でそう整理すると、すっと理解が腑に落ちた。


 話し合いが終わると、マテオが記録をまとめるために退出し、ロエナも茶器を片づけて部屋を出ていった。


 執務室には、わたしとアゼレアだけ。


「ねぇ、なんで貴族って協力し合わないの?」


 机に頬杖をつき、窓の外を見ながら自然と漏れたわたしの疑問に、アゼレアが顔を上げる。


「領地のためになるなら、いいんじゃないの?」


 わたしがそう続けると、アゼレアは小さく首を振った。


「どこの領地も、一枚岩ではないのよ」


 琥珀色の瞳がランプの光を映す。


「表向きはバニアに従っていても、内心では虎視眈々と領主の座を狙っている者がいる。協力と見える行動ですら、力を蓄えるための策かもしれないわ」

「……そんなものなの?」

「そういうものよ」


 淡々とした声。

 けれどその奥に、わずかな苦さが滲んでいた。


「内にも外にも気を配らねばならぬバニアの苦労は……私たちでは計り知れない」


 わたしは小さく口をすぼめる。

 理解はできても、納得はできなかった。


 ……なんか、思ってたよりずっと大変なんだ……うーん。なんだか戦国時代みたい。誰も彼も、隙あらば領主の椅子を奪おうとしてるなんて。


 アゼレアは考え込むように黙っていたが、やがてわたしに向き直り口を開いた。


「……なぜ、私が助命されたか。もうわかっているでしょう?」

「ん?」


 わたしは首を傾げる。


 ……ううん、全然わからないけど。アゼレアが助かったんなら、それでいいかなって思ってたし。本人も納得してたから、もう全然考えてなかったよ。


 そんなわたしの内心を見透かしてか、アゼレアは困ったように眉を寄せた。


「……その顔は、理解していないわね」


 アゼレアが、陽が落ち始めた窓の外に視線を向ける。


「赤の薬よ」


 一拍置いて、アゼレアは言葉を続けた。


「七年前の事件がすべての発端」

「赤の薬? ……発端って?」


 アゼレアが小さく頷く。


「発端はハイメンダル。でも、より深い傷を負ったのはサンドレアムだった。あの時、貴族の数が一気に削がれたわ」

「……一気にってそんなに?」

「ええ。手軽に魔力を増幅できると、下級貴族たちが我先にと飛びついた。その結果、ほとんどが死亡するか、あるいは重い後遺症を抱えることになったわ」


 ……なんでそんな……危険なのに。


「それって、毒じゃないの? なんで?」


 苦い記憶を思い出したかのように、アゼレアの表情が曇る。


「毒と見抜けなかったの。服用を続けるうちに症状が悪化する。しかもそういった類の異常は魔法では見抜けない。だから気づいた時には、手遅れだった」


 毒とわからない薬。

 飲めば強くなれると思ったのに、待っていたのは、死か重い後遺症。


 ……それで下級貴族に大打撃ってわけね。


 下級貴族たちは、家を背負っているからこそ、様子見できなかった。


 あるいは、簡単に力が手に入るならと考えたのかもしれない。


 アゼレアは視線を合わせず、ただじっとランプの揺らめきを見つめている。


「だからこそ、私のような者でも処刑されずに済んだ……貴族が足りなかったのよ」


 胸の奥がひやりと冷える。

 アゼレアが生きているのは、その欠けた穴のおかげだなんて。


 生きていてくれて嬉しいはずなのに、手放しで喜んでいいのかどうか、わからなくなる。


「……そっかぁ」


 わたしは沈む気持ちを抑えて、声を絞り出す。

 アゼレアは帳簿に視線を戻し、続ける。


「トバルの政務官たち。本来は貴族のみで運営される場なのに、平民の方が多いと思わない?」

「言われてみれば……ずっと役所みたいなだなぁって」


 ……そういう経緯があるのか。


「それじゃあ、その赤い薬はどうなったの? 禁止になったの?」

「もちろん禁止よ。今は禁制品になっている……お前も知っているはずよ」

「え、わたしも?」


 アゼレアは目を細め、静かに告げた。


「――メネズが人体実験に用いていた禁制品。あれが、赤の薬」


 心臓がどきんと跳ねた。


「……あれが、赤の薬」


 思わず手を握りしめる。

 あの時の恐怖と怒りが蘇る。


 ……そんなものを人に飲ませて、苦しませて、それでもやめなかったなんて。


「メネズはどうしても諦めていなかったわ。薬を使えるように改良するため、人体実験を繰り返していた……本当に、愚かな叔父」

「そこまでして……どうして?」

「……さあ、私にもわからないわ」


 アゼレアは感情を押し殺した声で続けた。


「どこかの国の調略だったのか、あるいはただ権力に憑りつかれた叔父の暴走だったのか……今となっては、知る術もないわね」


 わたしは言葉を失った。

 政治、陰謀、欲望。

 どれも人を殺してばかりだ。


 やっぱり、貴族の世界は……怖い。


 アゼレアが重たくなった空気を消すように、パンッと手を叩いた。


「――さてと。それじゃあ、そろそろ夕食にしましょう」

「お腹も空いたし、それは賛成!」


 わたしはすぐに顔を上げた。


「アゼレア、今日は何にする?」

「私は根菜のスープがいいわね」

「え~、じゃあ根菜で肉挟んだやつは?」

「それ、一昨日も食べたわよ?」


 ……譲らないか。


「うーん。じゃあ、勝負ね!」

「お前が考案した、あれ?」


 アゼレアが、ちらりとわたしを見る。


「うん!」

「いいわよ。もう必勝法はわかったわ」


 目を細めて、彼女が微笑んだ。


 ……まじで?


「「ジャン、ケン――ポンッ!」」


 ……よしっ! 肉の挟み揚げ!!


「おかしいわね……」


 キョトンとした顔でアゼレアが呟いた。



 ◇ ◆ ◇



 視察を終えてから数日が過ぎた。


 セイレナの木の樹液を煮詰める実験を、あれから何度も繰り返した。


 木くずを混ぜたり、灰を混ぜたり。

 試行錯誤の末、固まるまでの時間を、ある程度調整できるようにはなってきた。


 これで接着剤として、最低限の運用の目処は立った。


 けれど、まだ問題は残っている。

 固まった後の強度だ。


 作業台に広げた固まった樹液を見つめながら、わたしは「う~ん」と唸った。


「お嬢様、これでも弱いんでしょうか?」


 ロエナが不思議そうに、樹液の塊を突っついている。


「たぶん……まだ、弱いかなぁ」


 使えなくもないが、まだ弱い。

 少なくとも、接着剤を知っているわたしから見た場合だ。


 ……前世で聞いたことあるんだよね。たしか「樹脂」ってやつは、繊維を混ぜて強くしてたような……でも、これって「樹液」だし……似てるけど、同じものなのかなぁ?


 腕を組んで必死に記憶を引っ張り出す。


 ……アクセサリー作りで使ってたのはレジン。レジンって樹脂?  何か繊維を混ぜれば、強くなる?


「ねえ、ロエナ。布くずとか余ってない?」

「布くずですか? ……すぐに用意いたします」


 ロエナが部屋を出ていったので、わたしは湯気の立つお茶に手を伸ばした。


 ……待ってる間に、一口いただいてっと。


 カップを持ち上げようとした瞬間――。

 べたりと机にひっついていたカップに、バランスを崩してしまった。


「わっ!」


 カップの中のお茶が、ばしゃっと机にこぼれ落ちる。

 気づかないうちに、机の上にも樹液が飛び散っていたんだろう。


「やっちゃったぁ……」


 慌てて布で拭こうとしたけど、ふと手が止まった。


 ……あれ? 水、弾いてない?


「接着剤って、防水加工にも使ってたんだっけ?」


 頭の中で、また前世の断片がぐるぐる回りだす。


 ……ビニール傘はビニールでできてた気がする。でもビニールって、たしか石油から作るんだよね? プラスチックは……えっと……あれ? その先が出てこない。


 わたしの頭脳では、結局よくわからなかった。

 専門的な知識などないのだ。


 しばらくして、ロエナが布切れを抱えて戻ってきた。


「これしか集まりませんでしたが……お嬢様、どうされました?」


 ロエナはわたしと机を見て「あっ、お茶が」と、近くにあった布を手にした。


「すぐ拭きますね」

「ロエナ、待って!」

「はい?」


 わたしの制止に、ピタリとロエナが動きを止める。


「この状態を見てもらうわ。マテオを呼んできて」


 一瞬きょとんとした顔をしたロエナだったが、すぐに真剣な表情に変わって頷いた。


「かしこまりました」


 ……忘れないうちに、誰かに知らせておこう。


 接着剤だけじゃない、防水加工の可能性もあるのだから。



 パタパタと早足で近付く音がする。

 ロエナに呼ばれたマテオが、帳簿を片手に駆けつけてきた。


「代理殿、どうされました?」

「ごめんね。急に呼んじゃって」

「いえ。それより、これは……」


 机の上の惨状を、じっとマテオは見ている。


「見て。お茶をこぼしたんだけど……ほら、水を弾いてるの」


 机の表面に広がった茶色い液体は、樹液が付着している部分をつるりと滑り落ち、染み込むことなく玉のようになっていた。


 マテオは目を細め、慎重に観察している。


「……確かに。撥水効果があるように見えますね」

「でしょ? 接着剤になるだけじゃなくて、防水加工にも使えるかもしれないんだよ」


 はっとした表情をしたマテオは、頭をすぐに切り替えたようだ。


「すぐに記録させましょう」


 わたしが頷くと、マテオは踵を返し部屋を出て行った。

 

 やっぱりマテオは優秀だ。

 短いやり取りで理解してくれる。


 マテオを見送ると、机に残った水滴をじっと見つめた。


 ……庶民の防水って、たしか松脂を塗ったり、油を染み込ませたりするんだよね。


 だが、べたついたり、すぐ剥がれたりで扱いづらいと聞いたことがある。


 もし、このセイレナの樹液が簡単に加工できるなら……。


 接着剤だけじゃない。

 防水加工のほうでも、みんなの暮らしを変えられるかもしれない。


 胸の奥が、またじんわりと熱くなるのを感じた――その時だった。


 作業場の扉を叩く音がして、ロエナが対応すると書記官が顔を覗かせた。


「代理殿、レント商会より荷が届いております」

「荷? ……あっ、黒板ができたのね!」


 思わず声が弾んだ。


「すぐに通してちょうだい」

「かしこまりました」


 ほどなくして、商会の制服を着た二人が荷を抱えて入ってきた。


 その姿を見ただけで、わたしの体温がぐぐぅっと上昇する。


 ノックスと、その隣にはアイナ。

 さらにその後ろには、おっかなびっくりの様子のポールまで。


 ……ナイスタイミング!!


 接着剤も、防水の可能性も、まだまだ不安だらけ。

 そんな時に現れた三人はわたしにとって、これ以上ないほどの援軍だった。








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