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私の秘密は増えてゆく ~この幸せを守るため――だからわたしは仮面をかぶる~  作者: 月城 葵
四章   新しい風が呼び込んだもの

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75話  隠すもの ~小さな秘密と大きな嘘~



 実験も無事終了。


 ある程度、結果を紙にまとめると、所長は忙しいのか、さっさと帰ってしまった。


 執務室の机に肩肘をつきながら、わたしは小さくため息を吐いた。


「はぁ……すぐ帰っちゃうし……全部持ってくし……」


 精霊の雫が入った瓶を「検証する」と言って、所長は一つ残らずきっちり回収していったのだ。


 冷たい紫の目を思い出す。

 あの所長相手に抗議する気力なんて、最初からなかったけど……。


 ……でもぉ、でもぉ~。


 わたしは机の下にそっと手を伸ばし、布に包んだ小瓶を取り出す。


 光に透かすと何も入っていないように見えるけど、わたしにはちゃ~んと、きらきらした金色の雫が見えている。


「ふふ~ん、想定済みなのだっ」


 得意げに鼻を鳴らす。

 もちろん所長に見つかったら、またあの呆れ顔をされるに決まってる。


 だから、これはわたし専用の……そう、ご褒美用。


 瓶を胸に抱きしめながら、小声で精霊たちに問いかける。


「ねぇ、ほんのちょっと舐めるくらいなら、平気だよね?」


 ふわりと舞った小さな精霊たちが、一斉にこくこくと頷いた。


 ……よし、許可は下りた!


 わたしはにやりと笑って、机の引き出しに小瓶を大事にしまいこんだ。




 ◇ ◆ ◇




 それから数日後。

 執務室に顔を出したマテオが、帳簿を抱えたまま眉をひそめている。


「マテオ、どうしたの?」

「それが……代理殿、少し困ったことになりまして」


 わたしが首を傾げると、マテオは帳簿を机の上に置いて、手で数字の列を指でなぞった。


「大銀貨の残りが、思っていたよりも少ないのです」

「大銀貨……? えっと、どういうこと?」

「はい。豊作の影響で金貨を使った取引が増えましてね。結果として、大銀貨の用意が追いつかないのです」


「なるほど」と、わたしはぽんと手を打った。


「要するに釣銭不足ってことだね!」

「その通りです。ですので、余った金貨をサンドレアムへ送って、大銀貨に両替してもらう必要があるかと」

「うんうん、それなら簡単に解決できそう。すぐに申請書は書くね」


 マテオは、その言葉にほっとしたように微笑み、机の上で帳簿を閉じた。


「それでは早速、各商店から金貨を集めて準備を進めます」

「お願いね」


 こうして、その日のうちに商店を回り、金貨を預かる手配が進められた。

 

 政治の駆け引きは、まだまだ。

 でも、数字関係のお仕事はわたしの担当。


 少しでも役には立っているのではと、思いたいところだったのだが……。


 翌日、マテオは再び険しい顔をして執務室へ現れた。


 表情を見る限り、今度は、さらに深刻そうだ。


「代理殿、大変です」

「えっ、今度は何!?」


 机の上に並べられたのは、昨日商店から預かった金貨の袋。

 マテオは一枚取り出すと、小さな秤の上にそっと置いた。


「……重さが、合いません」

「はあ?」


 横に置かれた公定分銅と見比べると、ほんのわずかに針が傾いている。

 わたしは思わず椅子から身を乗り出した。


「これって……もしかして」

「はい。偽金貨の可能性がございます」


 ……うわぁ……やっかいな単語が出てきちゃった。


 わたしは頭を抱えて唸る。


「偽金貨ねぇ……」

「取引の規模を考えれば、かなり以前から紛れ込んでいたと見るべきでしょう。そうなると、数もそれなりに……」


 マテオの顔は険しい。

 ちらりとアゼレアの顔を伺い、すぐに視線をわたしに戻した。


「代理殿、各商店で使っている公定分銅を確認しましたところ、最後の検査は光の月、前節――つまり新年の時点でした」

「じゃあ……新年からずっと、検査してないってこと?」

「はい。ですので、その後に偽金貨を払い込み、大銀貨を集めていた可能性が高いのです」


 すでにマテオは、公定分銅の検査時期を調べていたようだ。

 わたしは、両手で机に頬杖をつきながら考える。


「なるほどね……そうやって大銀貨を抜き取ったってことかぁ」


 頭の中で、パズルのピースが少しずつはまっていく。


 マテオのおかげで、偽金貨が紛れ込んだ時期はわかった。

 でも、まだパズルは完成していない。


 横で帳簿を見ていたアゼレアが顔を上げ、マテオに言った。


「マテオ、各商店に指示を出せ。祭りの前と後で取引した相手を洗い出せ」

「承知しました」


 マテオが頷き急いで退出する。

 お茶の用意をしていたロエナが、マテオの焦りぶりを見て困ったように呟いた。


「……今度は偽金貨ですか」

「はぁぁぁ……」


 わたしの口から出るのは打開策ではなく、大きなため息だけだった。



 ◇ ◆ ◇



 翌日。


 執務室の机いっぱいに、帳簿の束が積み上がった。


 マテオが額に汗を浮かべながら、帳簿を次々と広げていく。


「ご指示通り、光の月――新年までさかのぼって確認いたしました」


 ぱらぱらと捲られる紙面を覗き込む。

 数字の羅列がずらりと並ぶ中で、目についた名前に指を止めた。


「……ん? これ、普段は取引してないよね」

「はい。単発の取引先です」


 マテオが頷く。


「こうした商会が、祭りの前後でいくつか見つかりました」

「ふむ……」


 アゼレアが横から覗き込み、指先で帳簿の端を軽く叩いた。


「商会の名を控えろ。他の帳簿と照らし合わせる」


 その言葉にマテオは筆を走らせ、別の帳簿を開いた。


 そして……。


「代理殿。取引の記録が、まったく見られない商店も多いのですが……逆に、一回だけ取引をしている商店がやけに多いのです」


 マテオの報告に、わたしは眉を寄せる。


「一回だけ、ね……それって、わざと色んな店に顔を出してるみたいじゃない」

「そうですね。継続した取引ではなく、単発ばかり。怪しいと言わざるを得ません」


 わたしは机に置かれた金貨の袋を指さした。


「じゃあ、このグラナート商会と取引した商店の金貨と、してない商店の金貨を比べてみようよ」


 マテオがすぐに秤を用意し、商店ごとに仕分けられた金貨を計る。


 何度かの計量、針がわずかに揺れて――止まってほしくない値で止まった。


「……やはり。取引をした商店から預かった金貨に、偽金貨が混ざっていました」


 胸の奥がきゅっとなる。


 ……やっぱりか。


 アゼレアが腕を組み、低く呟いた。


「可能性は高まったな」

「うん……なら――」


 わたしは机に身を乗り出し、精霊たちがふわふわと浮かぶのを横目に言った。


「その商会の金の流れを追って!」


 アゼレアとマテオが同時に頷いた。



 さらに翌日。


 執務室に顔を出したマテオは、重苦しい顔で報告を始めた。


「調べましたが……グラナート商会がどこから来たのかは、まったく分かりませんでした」

「……名前しか、残ってないってこと?」


 マテオは渋く頷く。


「はい。単発で現れ、取引して消えただけ。流れを追うことは不可能です」


 アゼレアが帳簿を閉じ、低く告げる。


「……これ以上はトバルの権限を越える。外にまで手を伸ばすことはできない」


 その言葉に、わたしは唇を噛んで机に手を置いた。


「じゃあ、サンドレアムに報告して、返事を待つしかないってことかぁ」

「その通りです」


 マテオが頷く。


「各商店には、再度公定分銅での検査を徹底させます。そして偽金貨で不足した分は、順次補填していく手筈を整えましょう」

「……うん、お願い」


 悔しいけれど、犯人の尻尾を掴みかけたチャンスは、指の間から砂みたいに零れていった。



 ◇ ◆ ◇



 夕食後。

 マテオが去ったあとの執務室には、ランプの明かりだけが揺れていた。


 先程マテオが持ってきた公定分銅の調査書を、アゼレアがじっと睨みつけている。


「アゼレア……どうしたの?」


 気になって声をかけると、アゼレアは顔を上げずに答える。


「……おかしいと思わない?」

「おかしい?」


 わたしが首を傾げると、アゼレアは指先で帳簿をとんとんと叩いた。


「報告によれば、公定分銅はすべて問題なしだったそうよ」

「ん? それなら重さでバレるはずじゃないの?」


 ……なんでバレないんだ?


「そうね。しかも証文も用意され、商人同士の取引できちんと計っている」

「……そのうえで偽金貨を渡してるってこと?」

「そういうこと」


 わたしは思わず息を呑んだ。


「目の前で行われてるのに、誰も気づいてない……ってこと?」


 アゼレアに顔を向けると、彼女は静かに帳簿を閉じ、冷たい目で呟いた。


「ダズマを憶えてる?」

「……ああ、いたね。奴隷商人ね」


 以前に捕らえた奴隷商人を思い出す。

 不正取引で名を消していた相手だ。


 あの奴隷商の手口に似ていると思った時、背筋にひやりと冷たいものが走った。


「あれと似た仕組みか……そこまでは断定できない。だけど……厄介な相手であるのは間違いないわね」


 ランプの炎が揺らぎ、アゼレアの横顔を照らす。

 その影は、まるで闇に潜む相手の正体を暗示しているかのようだった。


 頭では理解している。

 けど、胸の奥に残るもやもやは拭えなかった。


 町の人たちが必死に働いて得たお金を、こんなふうに騙し取られていたなんて。


 わたしは机の端に置かれた小瓶をちらりと見た。


 ……せめて、次のご褒美の一口くらいは、気持ちを晴らしてくれるといいんだけど。




 ◇ ◆ ◇




 化粧水の生産体制がようやく整った。

 蒸留器の管を伝って、透明な液体が瓶に落ちていくのを眺めながら、僕は深く息を吐く。


「……これで量産に移れるね」

「うん。品質も安定。出荷分も確保できそう」


 隣で器具を扱っているアイナが、真剣な表情のまま小さく頷いた。

 彼女の手際も、もう職人のそれに近い。


 ……あれだけの量を作れば、嫌でも慣れる。


 床に座り込んでいたポールが、木片と道具を抱えたまま僕を見た。


「なぁ、ノックス。この板に煤と油を塗るんだっけか?」

「ああ」

「……真っ黒な板なんか作ってどうするんだよ。炭焼きでも始めるのかと思ったぞ」


 僕はその疑問に笑ってしまった。

 ルルーナにこれを聞かされたときの僕と、同じ反応をしたからだ。


 ……久々に会ったルルは可愛かったなぁ。でも、せっかく会ったのに、これの説明だけなんて……もしかして、ちょっと照れていたのかな。


「違うよ。蝋板の代わりにするんだ。石灰で字が書ける。布で消してまた使えるから、授業用にちょうどいい」

「字が書ける……? 石灰で?」


 ポールが目を丸くして、黒く塗った板を持ち上げる。


「孤児院の教室で使うらしい。依頼はトバルの政務官からだ」

「孤児院で、教室……?」


 僕は頷いた。

 ポールに、ルルーナの考えをそのまま伝える。


「識字や計算を学ばせたいらしい」

「へぇ~……トバルじゃ、孤児院で勉強させてんのか。すごいな」


 感心したように板を眺めるポールを見ながら、僕は心の中で自慢するかの如く呟いた。


 ……そうだろう? そう思うよね。妹は天才なんだよ。それでいて、孤児にも教育を施そうとする。なんて慈悲深いんだ。


 妹を称える讃美歌を考えていると、倉庫の扉が、がらりと開く。

 ひょっこりと顔を覗かせたのは、マルコだった。


「お、いたいた~。ポール、バルト親方が探してたぞ~」

「やっべ……忘れてた。買い出しの途中だったんだ」


 ポールは頭をかきながら、僕に預けられていた設計図を慌てて丸める。


「とりあえず、形にしてみるよ」


 そう言い残して、ポールは慌ただしく作業場を飛び出していった。


「……あいつ、買い出し中だったの?」


 作業しながら話を聞いていたアイナが、呆れたように言う。


 それを聞いて、僕は肩をすくめて笑った。


「まぁ、新しい仕事を持って帰ったから、軽い説教で済むんじゃない?」

「ふふ、それもそうね」


 自然と二人で笑い合う。

 そんなやりとりを横で見ていたマルコが、ぽんと思い出したように言った。


「そうだ、ノックス。あの皮むき器、いいぞ~あれ。今はラウルに刃の厚みを調整してもらってるよ~」

「そうか。完成したら、また試してみてくれ」

「もちろんだよぉ」


 マルコは頷いてから、少し声を潜めた。


「それはそうと、役所の知らせは聞いたぁ?」

「知らせ?」


 マルコがこくこく頷く。


「なんか、グラナート商会ってとこと取引した商店は、至急役所へ届け出てくれってさ。うちの客が言ってたから、確かめに行くところだったんだぁ」

「グラナート商会……? わざわざ名指し……なにか不正でもあったのかな」


 聞いたことはない。

 けれど、もし取引があれば、もう誰か店の人が知らせに行っているはずだ。


「マルコ、それホントなの?」

「それを確かめに、いくんだってばぁ」


 作業をしながら、アイナがマルコへ問いかけていた。



 ……まぁ、今はこっちだな。


 僕は再び視線を戻し、瓶の中で化粧水がろ過されていく様子を見つめる。

 透き通った液体が静かに満たされていくのを眺めながら、胸の奥で小さく呟いた。


 ……フレデリカ様にこれが売れれば……また一歩、夢に近付く。


 いっぱいになった瓶の蓋を閉め、封をする。

 それを木箱へ、アイナが移し始めた。


 ……さて、ルルに負けてられないな。まずは、これの交渉だ。


 木箱に詰め込まれていく化粧水を見ていると、ルルーナが残した足跡が、しっかりと見えるようだった。







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