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私の秘密は増えてゆく ~この幸せを守るため――だからわたしは仮面をかぶる~  作者: 月城 葵
四章   新しい風が呼び込んだもの

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73話  呼んでみよう ~変わらぬ笑顔~



 お父さんに、手紙と例の雫が入った瓶を渡してから数日。


 所長からの返事が届いたのは、収穫祭の余韻がまだ町に残っている頃だった。


 封を切って読み進めるうちに、わたしは大きな溜息を吐いた。


「……やっぱりダメかぁ」


 内容は簡潔だった。


 ――「確かに力を感じる。だが、目に見えるものがなければ研究は進められない」


 それだけ。


 所長らしいといえばらしい。

 必要なことだけを端的に書くから、余計にどうしようもないのがよく分かる。


「やっぱり、わたしが直接いないとダメなんだよね……」


 紙に額を押しつけたまま、ぐりぐり、ぐりぐり。

 何も考えが湧いてこない。

 

 所長をトバルに呼ばなきゃ。

 でも、どうやって?


「えっと……商会のこと? 帳簿の整理? ……いや、アゼレアに任せればいいって言われそう」


 顔を上げても、良い案は浮かばない。


「収穫祭! ……は、もう終わっちゃったし」


 部屋を走り回ってる精霊たちを横目に、頭を抱える。


「孤児の教育のこと……? いや、それもまだ早いし……」


 考えが浮かんでは、自分で却下。

 はぁぁと息を吐いて、机にぐでぇっと突っ伏した。


 数日後。


 執務室で帳簿をめくっていると、報告書を確認していたアゼレアが顔を上げた。


「ルルーナ、トバルでも組合制度を導入することを検討すべきだと思うの」

「組合?」


 アゼレアが頷く。


「孤児たちが教育を受けて、正式に労働力として働くことができるようになれば、市民権を得る道も開ける……もう一年経ったのだから、町の人々も理解できるはずよ」

「お小遣い稼ぎじゃなくて、ちゃんと仕事に就けるようにするってこと?」

「そう。彼らが社会の一員として認められることが大事」


 わたしは目を丸くしてアゼレアを見た。


「そんなこと……できるの?」

「できるわ。もともとサンドレアムが始めた制度なのだから、アードの承認で可能よ」

「じゃあさ、孤児の教育制度も一緒にやっちゃおう!」


 机に身を乗り出して言うと、アゼレアは小さく首を振った。


「それは難しいわね」

「なんで?」

「サンドレアムではその制度自体が存在していないの。参考になる資料も、成果の蓄積もない……おそらく却下されるでしょうね」

「だめかぁ~」


 わたしはまた、机に顔を伏せた。


「……せめて視察を経て、納得できる成果を見せつければ、話は別かもしれない」

「視察って……むりそう~」


 顔を横に向け、半目でアゼレアを見る。


「そもそも視察って誰が来るの?」

「領主から派遣された貴族か、あるいは平民のことだから、役所の関係者かもしれないわね」


 その瞬間、わたしは勢いよく起き上がった。


「――それだっ!」


 机をばんっと叩き、にやりと笑う。


 ……視察って形なら、所長を呼んでも全然自然じゃん!


 アゼレアはきょとんとした顔でわたしを見つめ、やがて小さく溜息をついた。


「……また妙なことを考えているのね」




 ◇ ◆ ◇




 思いついたら即行動!

 わたしは机にかじりついて、筆を走らせた。


「拝啓、オルディナート様、お元気ですか――ってこれじゃ普通の手紙だ」


 カリカリと書いては、ぐしゃぐしゃにして放り投げる。

 次の紙を取り出して、もう一度。


「孤児の教育制度をトバルにも広げたいと思っています。そのために視察に来ていただけませんか。例の神の恵みも、研究が進むと思います」


 書き終えて読み返すと、思わずにんまりした。

 これなら、研究好きの所長の心をくすぐることができるはず。


 でも、肝心なのは視察をどうやって頼むかだ。


「ねぇ、アゼレア。制度の視察って、どこにお願いしたらいいの?」


 アゼレアは帳簿から顔を上げ、少し考えてから答えた。


「領主に直接申請しても、相手にされないでしょうね。位が違いすぎるもの」

「じゃあ、どうすればいいの?」

「直轄領であることを逆手に取るのよ。役所宛に申請すれば、検討してもらえる余地があるわ」


 わたしはポンっと手を打った。


「それは好都合!」


 早速、申請用の紙を引っ張り出す。

 見よう見まねで文言を整え、アゼレアに見せると、彼女は少しだけ眉をひそめた。


「……まぁ、子供が書いたにしては悪くないわね。直しておくから」

「ありがと!」


 こうして申請書類は仕上がり、役所へ送られることになった。


 ……所長、ちゃんと来てくれるかな?


 胸の奥がそわそわして、わたしは窓越しに快晴の空をじっと眺めていた。




 ◇ ◆ ◇




 申請を出してから数日。

 わたしは落ち着かない気持ちで、毎日のように窓から街道を覗いていた。


「まだかなぁ……」

「代理殿、そんなに身を乗り出しては落ちますよ」


 横で帳簿をまとめるマテオに窘められるが、じっとしていられない。


 ――そして、ついにその時が来た。


 大通りに馬車の列が現れる。

 わたしは急いで椅子から立ち上がると、門の前で姿勢を正して待ち構えた。


 ゆっくりと進む馬車が邸の前で止まる。

 馬車から降り立つプラチナブロンドの髪を束ねた姿が見えた瞬間、胸がどきんと跳ねた。


 ……変わらないなぁ。


 深呼吸をして、できるだけ落ち着いた声で挨拶をする。


「お久しぶりです、所長」


 ……あれ~? 久々の再会なのに、なぜに不機嫌?


 わたしにはわかる。

 所長は今、不機嫌である……なぜかは、知らない。


「お久しぶりです、代理殿」


 所長は短くそう告げ、わたしを一瞥しただけで案内に従い、歩を進める。


 その隣で眼鏡の青年――トランが肩をすくめて、口の端を上げた。


「ご無沙汰しております、代理殿」


 いつもの二人。

 わたしは、ちっとも変わらない彼らの態度に安堵した。




 ◇ ◆ ◇




 案内したのは孤児院――元メネズ邸の離れだ。

 今では机や大きな蝋板が並び、子供たちが賑やかに読み書きの練習をしている。


「……整っているな」


 所長が低く呟いた時、背後から声がかかった。


「おや……やはり、貴殿でしたか」


 振り返ると、杖をついたフェルトが立っていた。

 静かに頭を下げ、落ち着いた声を響かせる。


「お久しぶりです。五年ほどになりますかな」

「……そうだな。奴隷売買禁止法の時以来か」


 所長は淡々と応じた。


「はい。その節は大変お世話になりました」


 二人は互いに目を合わせ、わずかに笑みを交わす。

 わたしは思わず口を挟んだ。


「……お知り合いなんですか?」


 所長が短く頷いた。


「そうだ。フェルト殿には、反対する農業都市に口添えをしてもらった」

「とんでもない。私はただ、伝えるべきことをしたまでです」


 フェルトは軽く頭を下げると、大きな蝋板の前へ移動する。

 

 子供たちを見渡し、わたしたちの前で視線を止める。


「今日は視察と伺っております……普段通りでよろしいですね?」

「頼む」


 所長は短く答え、わたしと並んで席につく。


 蝋板の前に立つフェルトが、子供たちへ声をかける。

 教室いっぱいに元気な返事が響き、授業が始まった。


 フェルトの声に合わせて、子供たちが音読を始める。


 まだ拙い声も混ざっているけれど、全員が真剣な顔で蝋板を見つめていた。


「……ふむ」


 隣で所長が小さく呟く。

 筆を取るでもなく、ただ腕を組み、視線だけで子供たちの動きを追っている。


 少し離れたところでは、トランが素早く紙に記録を取っていた。


 子供たちの人数、年齢、読み書きの習熟度、授業の進行。

 漏れなく書きとめているようだった。


「これ、そこで寝そうになってるの!」


 フェルトの声に、子供の一人が慌てて背筋を伸ばす。

 教室がくすくす笑いで揺れた。


 わたしは前列の席に座りながら、背筋を伸ばし胸を張った。


 この一年で、ここまでできるようになったんだ。

 最初は字も知らなかった孤児たちが、今はちゃんと読み、書き、数を数えられる。


 所長は評価してくれるだろうか……。


 そんな思いで視線を横にずらすと、所長は相変わらず無表情のまま授業を見ている。


 でも――その瞳の奥に、かすかな光が宿っているように見えた。


「代理殿」


 後ろから小声で呼ばれ、振り返るとトランが紙束を差し出した。


「記録はとっておく。成果は十分に示せると思うぞ」

「……うん」


 耳元でそう囁かれ、わたしは小さく頷いた。

 誇らしさで、胸の奥が熱くなる。



 トラブルもなく授業は終わり、子供たちが元気に挨拶をして教室を出ていった。


 ざわめきが遠のいた後、室内には私たちだけ。


「……以上です」


 フェルトが軽く一礼する。


 所長は腕を組んだまま、しばらく黙していた。


 やがて低く、しかしはっきりした声を落とす。


「読み書き、計算、ともに基礎は十分に定着している。年齢差を考えれば、習熟度はむしろ高い……短期間でここまで育て上げたのは評価に値する」


 フェルトが静かに頷いた。


「恐縮です」


 その言葉に、わたしはこみ上げる嬉しさをぐっとこらえる。


 ……やった、認めてもらえたんだ!


 所長の視線がわたしに移る。


「だが、まだ課題はある。書く速さや、正確な計算に遅れが見える子もいた」

「……っ」


 一瞬だけ胸がしぼみかける。

 けれど――所長は言葉を続けた。


「それは伸びしろでもある。基礎が固まっている以上、次の一年で大きく成長するだろう」


 冷静な声なのに、わたしは思わず拳を握った。


「……はい! もっと頑張ります!」


 所長はわずかに目を細め、頷いた。


「トラン」


 所長の短い呼びかけに、後ろで紙を整理していたトランが顔を上げた。


「記録を整理しろ。今日見た内容を報告用にまとめる。孤児教育の制度化に向け、根拠となる資料が要る」

「承知しました」


 トランはすぐに筆を走らせ、紙束に走り書きを重ねていく。


 授業の様子、子供たちの習熟度、教室の備品や雰囲気に至るまで、抜け漏れがない。


「さすが……」


 わたしは小さく呟いた。

 あの速さでまとめられるのは、本当にすごい。


「代理殿、胸を張っていい成果だ」


 トランがちらりとこちらを見て、わずかに笑みを浮かべた。

 からかうような響きが混じっていたけど、素直に嬉しかった。


「……はいっ!」


 所長はわたしを一瞥し、再び視線を紙に落とした。

 その横顔はいつも通り冷静で、何を考えているのかは読めない。


 でも、今なら少しだけわかる。

 この成果を、ちゃんと評価してくれている。


 胸が熱くなるのを感じながら、わたしはもう一つのことを思い出していた。


 ……そうだ、次は例の瓶。


 今なら、所長に見てもらえるはず。




 ◇ ◆ ◇




 視察を終えると、わたしたちは邸へ戻った。

 子供たちの声が遠ざかり、代わりに静かな廊下を歩く足音だけが響く。


「トラン」


 所長が短く呼ぶと、トランはすぐに前へ出た。


「孤児の就労状況を確認してこい。商会の帳簿や、店で働く子供たちの様子も含めてだ。アゼレア、マテオ両名に聞けば詳細が得られるはずだ」

「はい。すぐに向かいます」


 トランは小さく頭を下げ、足早に廊下の奥へ消えていった。


 残されたのは、所長とわたしだけ。


 執務室に入ると、所長は窓際の椅子に腰を下ろし、静かに視線を巡らせた。


 紙束の山、インクの染みた机……まるで、わたしの仕事ぶりを確認しているのかのように。


 ……うぅ、なんか緊張する。


「ここが、君の職場か」


 淡々とした口調だった。


「はい。まだ整ってないところも多いけど……なんとか回せています」


 わたしは椅子に座り直しながら答える。


 所長は短く頷き、机の端に置かれた帳簿を一冊手に取った。


 書式を確認しているのだろうか。

 顔は上げずに、口を開いた。


「……工夫が見えるな」


 その言葉に、わたしはにっこりと笑った。

 所長が認めてくれたことに、ちょっぴり嬉しくなる。


 ……やったね。


 ぱらぱらと目を通し、数字を追ったあと、軽く閉じて机に戻した。


 所長が顔を上げると、その紫の瞳がわたしを捉える。


「ん?」


 この感じは懐かしい。

 懐かしいんだけど、なんだか嬉しくない。


 手のひらに嫌な汗がじわりと滲み、心音がやけに大きく聴こえる。


 これは、お説教パターンだ。

 

 それは所長の表情が物語っている。


 ……その笑顔はちょっと変じゃないですか?


「さて、私を呼びつけた理由を聞かせてもらおうか」


 鉄仮面が口の端をほんの少し上げ、微笑んだ。


 ……あれ~……不機嫌の理由って、もしかして、わたし……なの?




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