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私の秘密は増えてゆく ~この幸せを守るため――だからわたしは仮面をかぶる~  作者: 月城 葵
四章   新しい風が呼び込んだもの

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72話  嵐は突然やって来る ~見えない風の中で~



 あれから何度か手紙のやりとりをして、ついに『神の恵み』をどう伝えるかも決まった。


 商会の物資を運んできたお父さんに、豊作祝いのお土産と一緒に封書を託す。


「これで確実に届く」――そう言ったのは、所長自身だ。

 万が一を考えて、重要なものはライアットを経由にするように、と。


 あの人らしい慎重さに、わたしはちょっと笑ってしまった。


 ……もう、届いた頃かな。


 そして、土の月、前節。

 とうとう収穫の日が来た。


 朝早くから畑には人があふれ、鎌が一斉に小麦を刈り取っていく。


 千歯扱きの軽快な音があちこちから響き、黄金色の穂が次々と束ねられていく。


 去年は不作と混乱でろくに収穫もできなかったから、みんなの顔は明るくて、声も弾んでいた。


 精霊たちまで畑を飛び回っていて、まるで一緒にお祝いしているみたい。


 そんな喧騒の中、にぎやかな空気を切り裂くように、通りの向こうから馬車の列がやってきた。


 立派な紋章を掲げ、従者や兵士を従えた一団。

 人々が、ざわめきながら道をあける。


 馬車の扉がゆっくりと開き、金髪碧眼の男性が現れた。

 歳は三十手前くらいの、柔らかい笑顔を浮かべた好青年風の貴族。


 馬車から降りた彼は、にこやかに周囲を見渡しながら一歩前へ出た。

 金髪を揺らし、碧眼が陽を反射してきらりと光る。


「徴税官のレックナートだ」


 声は明るいが、有無を言わせぬ調子だ。

 視線が真っ直ぐこちらに向いてきて、自然と姿勢を正す。


「お前が――例の、平民上がりの代理か?」


 笑みを浮かべながらもその口ぶりには、明らかに身分差を意識した響きがあった。

 周囲の大人たちが一瞬ひやりとした顔をしたが、彼は気にも留めず歩み寄ってくる。


 ……これが、徴税官。




 ◇ ◆ ◇




 わたしは胸を張り、まっすぐに一礼した。


「……はい。代理を務めております、ルルーナです」


 レックナートは顎に手を当ててわたしを値踏みするように眺め、それからわざとらしく口角を上げた。


「ほう……年端もいかぬ娘が、代理を務めるとはな。領都でも噂になっていたぞ」


 横でマテオが一歩前に出かけたが、レックナートは片手を軽く振って制した。


「いや、よい。数字や収支の話なら後でいくらでも聞ける……今はこの子に訊こう」


 彼は畑に視線を移し、束ねられた小麦の穂を手に取った。


「これはどうやって扱き落とす? ――説明してみろ、代理殿」


 唐突に振られて、一瞬言葉が詰まりそうになる。

 だが、ここで怯んではいけない。


 わたしは深く息を吸い、努めて落ち着いた声を返した。


「……千歯扱きを用います。木製の枠に櫛のような刃を並べ、そこに穂を通すことで、一度に大量の籾を外せます。従来の棒打ちに比べ、効率は五倍以上です」


 言葉を聞いたレックナートの目が細くなる。


「ふむ……子供にしては、よく覚えているな」


 軽く笑いながらも、声音には試すような響き。

 わたしは視線を逸らさず、黙ってその視線を受け止めた。


 畑の視察を終えると、レックナートは町の方へ歩みを進めた。

 従者や役人が慌てて後に続く中、わたしとアゼレア、マテオも並んで歩を進める。


 大通りに出たところで、洗濯中の平民たちの姿が目に入った。

 板に布を押し当て、ごしごしと擦っている。


「……初めて見る板だな」


 レックナートがその様子を見渡し、指先が一枚の洗濯板を指した。


「代理殿、これは何だ?」

「洗濯板です。表面に刻んだ波目で布を擦ることで、汚れを効率的に落とせます。従来の石や板に比べ、短時間で仕上がります」


 レックナートは興味深そうに覗き込み、顎に手を当てた。


「なるほど……平民の道具にしては、工夫があるな」


 今度は屋台の一角に目を留めた。


「そちらの、刃の付いた板は何だ?」


 わたしは視線を追い、台に置かれた木枠の器具を見る。


「おろし金です。根菜を擦り下ろして細かくします。この場では大根を使っています」


 店主が気を利かせて差し出した器から、レックナートはひとつまみを指で取って口に運んだ。


「……おもしろいな。歯ざわりも悪くない」


 貴族が庶民の屋台で味見をする光景に、周囲が目を丸くする。

 

 だが、本人はまったく意に介さない様子。


 ……この人、貴族なんでしょ?


 貴族のはずなのに、わたしの知っている貴族とはかけ離れていた。

 その光景に、なんとも言えない不安が募る。


 そんな調子で興味を示す対象は次々と移り変わる。


 やがて狩人の一団を見つけると、レックナートは迷わず声をかけた。


「お前たち、これからどこへ行く?」

「収穫祭の獲物を調達に。山の方までムッガルを狩りに参ります」

「そうか――じゃあ、俺も行ってくる」

「……はっ?」


 わたしを含め、アゼレアもマテオも言葉を失った。

 だがレックナートは従者に向き直り、当然のように指示を飛ばす。


「調査はお前たちで進めておけ。俺は狩りを見てくる」


 そして、制止する間もなく狩人たちの後に続いて行ってしまった。

 わたしたちはその場に残され、ただ唖然と見送るしかなかった。


「……なんなの、あの人」


 思わずこぼした言葉を、誰も否定はしなかった。




 ◇ ◆ ◇




 午前中の調査は、役人たちが畑や倉庫を視察する形で進められた。

 マテオが帳簿を開き、説明を加えるたびに、役人たちは数を記録して頷いていく。


 その様子を少し離れた場所で、アゼレアと並んで見守っていた。

 わたしは後ろに控え、必要があれば補足を挟む立場だ。


「ねぇ、どう思う?」


 わたしは小声で、アゼレアに問いかける。


「法に触れているわけではない。だから、今のところは何とも言えん」


 アゼレアは視線を役人たちから外さず、低く抑えて答える。


「ただ――あの男には気を付けろ」


 わたしは短く頷いた。

 奇抜な行動ばかり目立つが、それだけで済ませていい相手ではない。



 昼食を終えると、再び調査が始まった。

 だが、どこを探してもレックナートの姿がない。

 従者や役人たちも困惑していたが、調査自体は滞りなく進むので、そのまま作業は続けられた。


 そして夕刻に近い頃。


 町外れの通りが、どよめきに包まれた。

 振り返ると、狩人たちを従えて戻ってくるレックナートの姿があった。


 肩には立派な角を持つムッガルが担がれ、その後ろにも、もう一頭が引きずられている。


「二頭も仕留められるとは……! 流石は貴族様だ!」


 集まった平民たちが口々に称賛する。

 その声を聞きつけ、子供たちが次々と駆け寄ってきた。


「すげぇ! あんな大きいのどうやって?」

「矢、どこに当たったの?」


 レックナートは得意げに胸を張り、片手をひらひらと振った。


「崖の上から狙いを定めてな……俺は風を読んで、ぐっと弓を引き絞り、放った矢が――一撃で心臓を貫いたのだっ!」


 

 子供たちは目を輝かせ「ほんとに!?」、「かっけぇ!」と歓声を上げる。


「それだけじゃないぞ。もう一頭はな――走り出したところを正面から突いてやった! ほら、この角の傷跡が証拠だ!」


 わざわざ角を子供たちの目の前に差し出し、獲物の大きさを見せびらかす。


「うわぁ……!」

「でっけぇ!」


 彼はますます調子づき、身振り手振りで狩りの様子を再現し始めた。

 弓を構える仕草、崖を駆け下りる真似、倒れた獲物に止めを刺す格好。


 周囲の大人たちは呆れ顔を隠しもせなかったが、子供たちは大興奮で彼を取り囲む。


「どうだ、すごいだろう!」

「すごいすごい!」


 貴族の徴税官が、子供たちに混じって胸を張っている。


 子供たちの目はきらきらと輝き、歓声が次々と上がる。

 わたしは少し離れた場所からその光景を眺め、思わず呟いていた。


「……なんなの、あの人」


 周囲の空気があまりにも賑やかで、二度目のその言葉に誰も異を唱えなかった。


 一日目の視察を終え、執務室へ戻る。

 執務室にはランプの灯りが揺れており、帳簿を閉じたアゼレアが、窓辺に視線をやりながら小さく息を吐く。


「今日一日、お疲れさま。よく頑張ったわね」

「……でもさ」


 わたしは机に肘をつき、言葉をこぼす。


「あの貴族、なんなの?」


 アゼレアは顎に指を添え、少し考えてから言った。


「目的は分からないわ。けれど、少なくとも危害を加えるようには見えなかった」

「なんでそう思うの?」

「普通なら、最初に釘を刺してくるものよ」


 アゼレアの声は落ち着いていた。


「『お前は平民の身だ、口を出すな』――そう言って、私を含め、部下をも黙らせる。でも、彼はそれをしなかった」

「……言われてみれば」


 わたしは昼間のやり取りを思い出す。

 確かに横柄な言葉はあったけれど、それ以上の圧はなかった。


「むしろ、あなたに興味を持っているようにも見えたの。最初の反応からしてね」

「興味……」


 わたしは口の中で繰り返し、首を傾げた。

 正直、さっぱり分からない。


 アゼレアも同じなのだろう。

 腕を組み、しばし考え込んでから静かに言葉を落とした。


「わからないわね。でも、警戒しておくに越したことはないでしょう」

「だよねぇ……」


 わたしは頷き、机に突っ伏した。


「明日も気が抜けないね」

「そうね。気を張っていきましょう」


 ランプの火がぱちりと揺れて、夜の静けさが執務室を包み込んだ。



 ◇ ◆ ◇



 祭り当日の朝は、夜明け前から町がざわついていた。


 屋台の組み立てや飾りつけ、食材の準備に走り回る人々。

 孤児たちも旗を手に、あっちで駆け回り、こっちで荷物を運んでいる。


 昼食前、ついに収穫祭が始まる時が来た。


「代理殿、ご挨拶を」


 マテオに促され、わたしは即席の台の上に立つ。

 

 目の前には町中の人々。

 足が震えそうになったけど、深呼吸をして声を張った。


「みんな、今年はたくさんの実りを分かち合えるよっ! ――さあっ! 収穫祭を、始めようっ!!」


 開始を宣言するだけの簡単な挨拶だったけど、大きな歓声と拍手が沸き起こり、太鼓と笛の音が響いた。


 それを合図に、あっという間に町中がどんちゃん騒ぎに包まれていく。


 振り返れば、なぜかレックナートも混ざっていた。

 屋台で肉串を頬張り、子供たちに囲まれて笑っている。


「……なんでそこにいるの?」


 思わず呟いたが、本人は気にも留めていない様子で、次の瞬間には踊りの輪にまで入っていた。


 町娘の手を取って軽やかにステップを踏む姿に、周囲から歓声と笑いが上がる。


 貴族が平民と踊るなど、本来あり得ない光景。

 けれど、誰も止めることができなかった。


 やがて料理が振る舞われる。

 目玉は、狩りで仕留めたムッガルの豪快な焼き肉。


 香ばしい匂いが町中に広がり、人々の笑顔がさらに大きくなる。


 ふと視線をやると、向こうではレックナートが狩人たちに混ざり、再び自慢話をしていた。


 身振り手振りで矢を放つ真似をし、子供たちを相手にしている時と同じ調子で。


 ……変な貴族。


 日が傾き始め、祭りが終盤に差しかかった頃だった。

 突如、レックナートが人々の前に進み出る。


「皆の者!」


 鋭く通る声が、ざわめきを一瞬で静めた。

 彼は胸を張り、堂々と名乗る。


「私は徴税官、レックナートである!」


 その声に人々が息を呑む。

 祭りの最中に徴税官が演説を始めるなど、誰も予想していなかったからだ。


「去年、この町には痛ましい出来事があった……だが、皆は耐え、立ち上がり、ここまで盛り返したっ! この豊かな実りは、きっと神もお喜びになっている証だろう!」


 予定になかった言葉。

 さらに演説は続く……けれど、不思議なほど人々の胸を打ち、誰もがその声に耳を傾けていた。


 わたし自身もまた、言葉に引き込まれているのを自覚していた。


 そして、まるで合図したかのように、広場のあちこちから歓声が上がった。


「いいぞ、レックナート様!」

「神よ、お聞き届けを!」


 人々の声援に、彼は片手を高々と上げて応えた。


 そして何事もなかったかのように屋台へ戻り、肉を豪快に頬張っては、再び踊りの輪の中へ消えていった。



 ◇ ◆ ◇



 後日。


 徴税官一行の調査が終わり、彼らは領都へ戻ることとなった。

 馬車に乗り込む直前、レックナートはこちらに振り返り、にやりと笑った。


「なかなか楽しかったぞ」


 それだけを言い残し、彼は去って行った。


 ……本当になんなの、あの人。


 最後まで理解できないまま、嵐のような男は町を後にした。


 遠ざかる車輪の音を聴きながら、隣に立つアゼレアに顔を向ける。


 その横顔が見つめる先には、彼の乗った馬車。


 アゼレアも同じく、得体の知れない何かを感じ取っているのだろうか。


 わたしの視線に気づいたアゼレアが、わたしを安心させるように微笑んだ。


「戻るわよ。ロエナも待ってるわ」

「うん……ねぇ、アゼレア。あの人は……」


 アゼレアは小さなため息を吐くと、わたしに視線に合わせてしゃがみこんだ。


「情報が足りない……でも、今はまだ、敵ではないわ」


 二人でいる時の、いつもの優しい声。


「ほら、行くわよ」


 わたしの手をそっと握って、連れ立って歩く。

 その手はまるで、不安をかき消すように、じんわり温かかった。









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