71話 積み上げたもの ~春の風は吹き抜けて~
……任期って短いはずじゃなかったっけ?
気づけば、もう一年。
これってやっぱりおかしい。
もちろん、ただ遊んでたわけじゃない。
むしろ忙しすぎて、気づいたら一年が過ぎてたって感じ。
孤児たちは読み書きがどんどんできるようになって、今では商会で帳簿を写す子までいる。
字の綺麗さじゃ、正直、わたしより上手な子もいるぐらいだ。
嬉しいのに、ちょっと悔しい。
畑では千歯扱きが広まって、収穫の速さは倍以上。
農家のおばさんたちが「これなら腹いっぱい食べられる」って笑ってた。
……あれは……うん、誇らしかったな。
レント商会だって大忙し。
ぬか石鹸と洗濯板は大ヒットだし、庶民向けに薄めた石鹸水まで売り出してる。
シュワシュワ石も安定して手に入るようになったから、派生品が次々と並んで、レント商会の人たちは毎日笑いが止まらないって顔をしてる。
そんな商会の荷物を届けるついでに、家族やアイナたちが何度も顔を見せに来てくれた。
長く離れているとちょっと寂しいけど、会えたときの嬉しさと楽しさは、何倍にもなるから不思議だよね。
所長との手紙のやり取りも続いてる。
現地の報告とか、助言とか……。
でも……精霊関係は秘密だから、そこには一言も書けない。
だから手紙を読んでると、時々、これ以上は直接会わないと話せないんだなってもどかしくなる。
それはそうと、所長の名前がついに判明した。
オルディナートだそうだ。
手紙の端に書いてあったので何かの暗号かと思ったんだけど、所長に聞いたら名前だった。
所長の呆れた顔が目に浮かんだよ。
だって、次の手紙には『それは私の名だ』しか、書いてなかった……。
もうちょっと書いてよ、と思うよね。
でも、やってないこともある。
所長と精霊の雫を森へ採取に行ってないし、わたしの六歳の洗礼式もまだ。
去年の水の月にやる予定だったのに……。
まぁ、サンドレアムに戻ってないから仕方ないんだけど……ちょっと寂しい気もする。
――そして、今は町が収穫祭の準備で大騒ぎ。
去年は財政難でできなかったから、みんなの期待は倍増。
わたしも楽しみなんだ……けど、なんだか精霊たちがざわついてるのは、気のせいかな?
◇ ◆ ◇
執務室に顔を出すと、マテオが帳簿を片手にニッコニコしていた。
挨拶を交わし、いつもの席に腰を下ろす。
わたしの着席を待ち、マテオが報告を始める。
「代理殿、朗報です。調査した限り、今年は豊作になりそうですよ」
「ほんとっ!? やったぁ!」
机の前で両手を上げて喜んだ。
農家のおばさんたちの笑顔を思い出すと、こっちまで胸があったかくなる。
でも、横から冷ややかな声が降ってきた。
「浮かれるのはいいが、忘れるな。収穫が増えれば、それだけ税も増える」
隣りの席で、アゼレアが帳簿から目を上げずに釘を刺す。
……あ、そっか。
にしてもさ、アゼレア。
昨日のジャンケンで負けたこと、根に持ってない?
そんな水を差さなくてもと、わたしはアゼレアをジト目で見やる。
「徴税官が領都から派遣されてくるんだぞ」
「……なにそれ? 去年は来なかったけど?」
ちらりと目だけでわたしを見て、呆れ顔。
「去年は叔父上――アードの反逆で、それどころではなかったからな」
なるほど、去年のドタバタのせいか。納得。
「で、その徴税官ってどんな人が来るの?」
わたしが顔を正面に戻すと、マテオが手帳を閉じて説明してくれる。
「基本、責任者は貴族で、その下に下級貴族や平民の部下を連れてきます」
「ふ~ん、じゃあやっぱり偉い人?」
わたしは首を傾げながら問い返した。
「偉いかどうかは……人によりますね」
マテオは苦笑いを浮かべる。
「格式ばって口うるさい者もいれば、帳簿の数字にしか興味がない者もいます。中には、民の暮らしを気にかけてくれる方もおられますが……」
そこまで言って、マテオはわざとらしく肩をすくめた。
……つまり、当たり外れがあるってことか。
「代理殿、甘く見てはいけませんよ」
マテオの忠告に横から付け加えるように、アゼレアの冷めた声がする。
「中級貴族以上ともなれば、己の威厳を見せつけにくる者もいる。幼いお前が軽口でも叩けば、面倒になるだけだ」
「……えぇ~……」
思わず口を尖らせてしまった。
なんだか理不尽だ。
「偉い人とは、そういうものだ」
アゼレアがばっさり切り捨てる。
わたしは小さくため息をついて、机に突っ伏した。
……ああ……なんだか、面倒ごとの匂いがしてきた。
わたしが頭を抱えていると、控えめなノックが響いた。
「入れ」
アゼレアが短く答える。
扉が開いて入ってきたのは、ロエナだった。
手に帳簿の束を抱えていて、きっちり整った歩き方のまま机の前に進み出る。
「お嬢様、収穫祭の準備について、ご報告がございます」
「収穫祭の?」
顔を上げると、ロエナが真面目な顔で頷いた。
「はい。今年は豊作でございますので、町の皆も例年以上に期待しております。去年は財政難で中止となりましたが……今年は例年通り、いえ、それ以上の規模で催される見込みです」
「おおっ、それは楽しみっ!」
自然と声が弾んだ。
「気が早いな」
アゼレアが言い捨てる。
……もう、アゼレアだって嬉しいくせに。口元緩んでるわよ!
「お嬢様」
ロエナは、さらに言葉を添えた。
「ただし、人手も物資もかなり必要になります。代理殿のお力添えがなければ、準備は間に合わないでしょう」
「……あれ、結局わたしも働くの?」
首を傾げると、ロエナはにこりと微笑んだ。
「もちろんでございます、お嬢様」
◇ ◆ ◇
町へ出てみれば、そこら中がざわざわしていた。
通りには屋台の骨組みが並び始めていて、木材を運ぶ大工や、仕込みの食材を山ほど抱えた商人たちでごった返している。
子供たちはその後ろを走り回って、まるで収穫祭がもう始まっているみたいだ。
「おおっ! お嬢様!」
荷車を押していた農夫が手を振ってきた。
「今年はいい小麦がとれますぞっ! 祭りのパンは山ほど焼けそうだ!」
「わあ、本当? 楽しみね!」
わたしも笑顔で返した。
孤児たちも負けていない。
露店の準備を手伝ったり、布の旗を持ってはしゃいだり、もう笑顔だらけだ。
「お嬢様! 見て見て!」
小さな子が、粗末な紙に絵を描いて振ってみせる。
稚拙だけど、色とりどりで可愛らしい。
「すごいじゃない。これ、飾ったらきっと賑やかになるね」
「うんっ!」
その横では、元メネズ派の役人たちが物資の確認に汗を流していた。
「釘は足りるか? ……おぉ、代理殿、こっちに急ぎで追加を回してくだされ」
「了解! 言っておくわ」
言葉も仕草もすっかり普通の町人で、周りの人たちも嫌な顔ひとつしない。
去年まで「メネズ派」と呼ばれて嫌われていたのに……今は一緒になって祭りの準備をしている。
……人の気持ちって、変わるんだなぁ。
孤児たちも、今日はお使いで大忙しのようだ。
小銭を握りしめて、野菜や布を買ってきては、得意げに袋を抱えて走ってくる。
「お嬢様、ちゃんと値切ったんですよ!」
……値切りまで覚えたの!?
「えらいえらい……って、ちゃんとお釣りも確認してる?」
まだ小さな子は計算が怪しいけど、それでも胸を張って見せる顔が誇らしげで、思わず笑ってしまった。
笑顔を向けられるたびに、胸の奥がぽかぽかしてくる。
去年は財政難で祭りどころじゃなかったから、みんなのはしゃぎようが倍増しているのがよくわかる。
……うん。今年は絶対に、いい収穫祭になる。
賑やかな町を抜けて畑の方へ出ると、どこも青々とした小麦が風に揺れている。
黄金色に実るのはもう少し先だけど、今年は本当に豊作になりそうだ。
と、その道の先に見慣れない役人の姿があった。
帳簿を手にして畑をじっと眺めている。
「誰?」
「領都から派遣された徴税官の下役でしょうな」
後ろにいたマテオが小声で教えてくれた。
「責任者が来る前に、こうして下級役人が現地を確認するのです」
「ふ~ん。あれが」
わたしは一度そちらを見ただけで、深くは気にせず歩みを進めた。
畑の奥では、小さな精霊たちが穂の間を飛び跳ねていた。
光の粒みたいにキラキラしていて、まるでかくれんぼでもしているみたい。
……なに? 呼んでるの?
わたしに気づいた精霊たちが、こちらをチラチラ見ては、畑の一角を指すように手を振っている。
仕方なく、「あっちの具合を見てくる」と適当な理由をつけて近づいた。
そこには、小麦の穂からとろりと垂れている、蜂蜜みたいな金色の雫があった。
「……なにこれ?」
甘い匂いがふわっと漂う。
精霊たちは揃って「舐めてみろ」とでも言いたげに、ぴょんぴょん跳ねてジェスチャーする。
「えぇ……怪しいんだけど……」
でも、好奇心には勝てない。
わたしは周りに誰もいないのを確かめて、指先でそっとすくって、こっそり口に含んでみた。
……甘い。
蜂蜜みたいだけど、もっと澄んだ味で喉をすっと通っていく。
「おいしい……」
夢中になって、ぺろぺろと舐めてしまったが、ふとあることに気付いた。
「……まだ、いっぱいあるの?」
声に出すと、精霊たちは一斉にぴょんぴょんと跳ねて、あちこちを指差すように舞った。
「ふ~ん……つまり、まだあるんだね」
わたしはにやりと笑った。
いいことを思いついたからだ。
すぐさま足早で、マテオのところに戻る。
「ねぇ、空き瓶ってある?」
「瓶……ですか?」
怪訝そうに首を傾げながらも、マテオは近くの店に声をかけて、余り物の空き瓶を何本か手に入れてくれた。
「代理殿、一体何を……?」
「ちょっと行ってくる!」
瓶を抱えて、わたしは再び畑の方へ向かう。
歩きながら辺りをきょろきょろとすると、精霊たちが「こっちこっち」と言わんばかりに飛び回っていた。
導かれるままに小麦へ近づくと、穂先から金色の雫がとろりと垂れている。
「ふふん、ゲット」
空き瓶を取り出し、慎重にその蜜を集めていく。
瓶の底にたまった金色の液体は、やっぱり蜂蜜みたいに見えた。
光を反射して輝くそれを見つめながら、わたしはニヤけてしまった。
瓶を抱えて戻ると、マテオがちょうど役人に指示を出し終えていた。
「じゃ~ん! 見てこれっ!」
自慢げに瓶を突き出すと、中で金色の液体がきらりと光った。
「……代理殿、これは?」
マテオは眉をひそめ、困惑したように瓶を覗き込んだ。
「え、なにって……ん?」
胸を張って言ったのに、マテオの反応は鈍い。
それどころか、視線を泳がせている。
「……何かあるんですか?」
そうマテオが問いかけた瞬間、胸の奥がざわっとした。
……やばい。これって、わたしにしか見えてないやつ?
ちらりと横目で精霊を見ると、みんな一斉に首を縦に振り頷いていた。
……うわぁ……久しぶりの、この感覚。
背中に変な汗が流れる。
「え、あれ? 虫……逃げちゃったかな?」
慌てて言い訳を口にすると、マテオは大きくため息をついた。
「代理殿……よく分かりませんが、代理殿の遊び心でしょうか?」
……これはセーフ。
町の視察を終えて執務室に戻ると、例の瓶はこっそり私室に運んで隠した。
わたし以外には、ただの空き瓶。
盗まれる心配もないだろう。
仕事に戻り帳簿を広げてみるけど、数字がまったく頭に入らない。
視線はすぐに部屋の方へと泳いでしまう……瓶のことが気になって仕方ない。
……どうしようかな。ご褒美で自分用にしておく?
やっぱり、所長に相談すべきかもしれない。
あれだけ精霊がはしゃいでたんだから、ただの甘味ってわけでもないはずだし。
でも、危険なものって感じはしなかった。
甘くて美味しくて、喉をすっと通るくらいで……。
手紙で相談しようにも、精霊関係のことは書けない。
下手に書いたらマズイのは分かってる。
……あっ。
はっ、と閃いた。
精霊は、この世界では神の御使いみたいに言われてるんだし……「神の恵みをいただいた」って書いたら、どうだろう?
所長なら、わたしが普段『神』なんて言葉をほとんど使わないことくらい、わかってる。
きっと気づいてくれる。
……うん、それなら伝えられるかも。
◇ ◆ ◇
夕方、仕事をひと段落させて私室へ戻る。
鍵を開けて、戸棚から布袋をそっと取り出した。
耳を澄ますと、瓶のあたりで小さな気配がわらわらと動く。
……うん、大丈夫。
「これ、どうやって使うのが正解なんだろうね」
答えのない独り言。
瓶の中で、金色がゆらりと光った気がした。
気のせいじゃない、と思う。
精霊たちが、瓶のそばでちょこんと座って、こっちを見上げているから。
「まずは、所長に手紙を出して。それから、ちょっとだけ……わたしのご褒美」
指先に一滴。
舌の上でころがすと、今日一日の疲れがすうっと溶けていくみたいに、肩の力が抜けた。
「……ふぅ、これはいいわぁ」
明日からはもっと忙しくなる。
屋台、装飾、食材、踊りの順番。わたしの仕事も山ほどある。
でも、きっと楽しい。きっと、みんな笑ってくれる。
机の上に置いた封書を見て、もう一度、頷いた。
「届いてね──神の恵みって、そういう意味だよ、所長」
机の端で、精霊たちが一緒になって、ぴょ~んと跳ねる。
わたしは笑って、胸に手紙をそっと当てた。
……さてと。
そろそろ夕食時。
明日の献立を賭けて、アゼレアとのジャンケンが待っている。
負けるわけにはいかない……。
……今日も勝たせてもらうわよ。
沈みかけた夕日に向かって小さな拳を突き出すと、窓の外で優しい風に旗がゆらりとはためいた。




