69話 その先へ ~私が立ち上がる理由~
街へ戻ると、空はすでに夕暮れに染まり始めていた。
森での一件を終えたライアットは、そのまま騎士団へ報告に向かった。
私は一人、肩にかかる疲労を感じながら家路につく。
玄関を開けると、ちょうどノックスも帰ってきたばかりのようだった。
帳簿を抱えたまま、少し興奮した様子で私に声をかけてくる。
「おかえり、ステラ……ちょうどいい。知らせがあるよ」
「知らせ?」
「トバルから、大口の買い付けがあったんだ。量も種類も妙に多い。たぶん、買い付けの内容からしてルルなんじゃないかな」
「……ルルが」
……会いたい。
けれどすぐに不安がよぎった。
商会の仕事に同行なんて、できるだろうか。
私の顔を見たノックスは、少しだけ口元を緩める。
「護衛は、たぶん父さんかな。同行できるかは分からない。ただ……ルルのことだから、放っておいてほしいなんて思っていないはずだよ」
「でも……」
「ステラが会いたいなら、父さんに相談してみるといい。条件はつくだろうけどね」
ノックスの声は柔らかいけれど、いつものように核心を突いていた。
心臓がドクンと鳴る。
……ルルに、会いたい。
その気持ちを胸に、帰宅するライアットに思い切って切り出す決意を固めた。
その夜、報告を終えたライアットが帰宅した。
私は玄関で待ち構えるように立ち、深呼吸して声をかける。
「……父さん。お願いがあるの」
いつもより真剣な声に、ライアットは少し驚いたように目を細め、黙って続きを促した。
「トバルへの商会の荷馬車に……私も同行させてほしいの。ルルに……会いたい」
短い沈黙のあと、ライアットは深く息を吐いた。
「……そうか。お前の気持ちは分かる。だがな、護衛は仕事だ。遊びや寄り道じゃない」
「わかってる……」
ライアットの目がわずかに鋭くなり、声の調子が変わる。
「なら条件がある。御者台か荷台で静かにしていろ。商会の人間の邪魔はするな。そして――護衛中は父親じゃなく、警備隊長として指示を出す。その時は必ず従え」
仕事時の声。
普段の父ではない、皆を守る男の響きだった。
けれど次の瞬間、少しだけ眉を下げ、柔らかい声で続ける。
「……それが守れるなら、連れていこう」
「はいっ!」
自然と声が大きくなる。
……父さん。
ライアットの口元がわずかに緩んだ。
訓練や仕事では決して見せない、あの甘い父の顔だった。
◇ ◆ ◇
翌朝。
まだ家の空気がひんやりしているうちに、玄関を叩く音が響いた。
ルーチェが扉を開けると、背筋を伸ばしたジークの姿が見えた。深い青の瞳が、朝の光を受けてもなお鋭さを失わない。
「おはようございます。本日は、エステラ様にお話がございます」
「まぁ……エステラに? 所長さんが何のご用かしら」
ルーチェは驚いたように首を傾げただけで、不安そうな色は浮かべなかった。所長の人柄を知っているからだろうか。むしろ「なるほど」とでも言いたげに微笑む。
ルーチェが頷くと、私は急いで着替え、玄関へ向かう。
「準備はよろしいですか?」
ジークが私に顔を向け言った。
「は、はい……」
私が頷くと、ジークは無言で一礼し、馬車へと導いた。
家の前に停まっていたのは、貴族用の箱型馬車。
中へと足を踏み入れると、ふかふかの座席と遮音の厚い扉が、外の世界を切り離すように閉ざす。
緊張に喉を鳴らしながらも、向かいにある小窓をそっと開けた。
外の御者台に座るジークの背中が見える。
私は少しためらいながら、声をかけた。
「ジークさん……小娘に様なんて、やっぱり変じゃないですか?」
ジークはわずかに首を動かし、静かな声を返す。
「主の客人に敬称を用いるのは当然のこと。年齢は関係ございません」
きっぱりとした言葉に、口をつぐむ。
胸の奥にむずがゆさは残るけれど、「……そんなものか」と小さく呟いて納得した。
馬車は静かに走り出すと、街並みを抜け、やがて石畳の整った通りへと入った。左右には塀に囲まれた屋敷が並び、ここが貴族街だと一目で分かる。
市場の喧騒とはまるで違う、静かで張りつめた空気。
その中を進む馬車の揺れに合わせ、私は膝の上で手を固く組んでいた。
ほどなくして馬車が止まり、ジークが扉を開ける。
「どうぞ」
促され、私は小さく息を整えて馬車を降りた。
目の前にあるのは、以前にも足を運んだことのある屋敷。
外観は重厚でありながらも、どこか無駄を削ぎ落としたような静かな威厳を湛えている。
案内に従い中へ入ると、広すぎない廊下に落ち着いた絨毯が敷かれ、壁に掛けられた装飾品も最小限。けれど一つひとつが上質で、質素でありながら気品が漂っていた。
飾り立てるのではなく、必要なものだけを選び抜いた空間――所長その人を映すように。
執務室の前でジークが足を止め、軽く二回ほど扉を叩いた。
少し間があって、「入れ」と所長の声がした。
ジークが私を見て軽く頷く。
「エステラです。失礼します」
胸の鼓動が強くなるのを感じながら、私は扉の向こうへと歩を進めた。
扉が静かに閉ざされると、部屋の空気が一層張りつめた。
「座りなさい」
「はい……」
執務机に腰を下ろした所長は、組んだ指を口元に添え、紫の瞳だけをこちらへ向けてくる。
「……まず確認する。昨日の件を、ライアット以外に話したか?」
低く抑えた声。
私は背筋を正し、首を横に振る。
「いいえ。父さん以外には……誰にも」
「そうか。それでいい」
所長はわずかに頷き、机の上を指先で軽く叩いた。
それだけで心臓が跳ねる。
「ここから先は、他言無用だ。君が関わったのは、結界内での魔物の出現――これは騎士団の上層部でしか認識していない問題だ」
その言葉に、喉の奥がひりついた。
やはり、ただの森の騒動ではなかったのだ。
所長の眼差しが鋭さを増す。
「事の重大さを理解しなさい。そして余計な者を巻き込んではならん」
「……はい!」
思わず声が強くなる。
軽率な行動は許されない。分かっている。
だからこそ、私は強く頷いた。
所長は視線を外さないまま、低く言葉を紡いだ。
「昨晩、魔物の死骸は確認した……頭部はライアットが破壊したのだろうが、後ろ脚の吹き飛び方は不自然だった」
紫の瞳が鋭さを増す。
「つまり――ライアット以外に、援護した者がいる。あとから合流したのではない。その場に、最初からいたな?」
呼吸が止まった。
心臓がひどく脈打つ。
……どうしよう。父さんから、どう報告したかは聞いてない。
口を開けずにいる時間が、やけに長く感じられた。
だが――。
……嘘は、だめ。ここで誤魔化したら……周りを巻き込んじゃう。
私はぐっと拳を握り、正面から所長の瞳を見返した。
「はい……」
声は震えていた。けれど、隠すことはしなかった。
所長の瞳がじっと私を見据えた。
「……魔法を使えるな?」
鋭い問いに、喉が詰まった。
返す言葉が出ない。
……答えられない。
所長は間を置かず続ける。
「ライアットが魔法を使えるのは知っている。傭兵として戦場を渡り歩いた者だ。実績もある。平民の中にも、まれに魔法を扱える者がいることは承知している……」
机の上に組んだ指が、わずかに動いた。
「教えたのはライアットだな?」
胸の奥で迷いが渦巻く。
……ここで嘘をついても意味ない。所長は父さんが魔法を使えることを知っている。きっと、誤魔化したら……もっと厄介になる。
強く唇を噛み、視線を逸らさずに告げた。
「……はい。父さんに、教わりました」
短い沈黙のあと、所長の口元がわずかに緩む。
「素直でよろしい」
低い声だったが、不思議と冷たさは感じなかった。
所長が目を細め、話題を変えた。
「私が渡した首飾りは持っているか?」
「えっ……? あ、はい。持ってます」
急な問いかけに戸惑いながらも、私は胸元からそっと取り出した。
「見せなさい」
言われるまま、机の上に置く。
所長はそれを手に取り、静かに観察した。
赤水晶のような石を透かして、指先で軽くなぞる。
「……これは、大気中の魔素を吸収して蓄積できる物だ」
「ん……?」
「つまり、魔力を蓄える機能がある。渡してからそれなりに経つが――溜まっている量が随分と少ない。アゼレアの魔法を防いだとしても、減りが大きいな」
その淡々とした声に背筋が冷たくなる。
……これが防いでくれたんだ。
だが、減りが激しいとはどういうことだろう。
思い当たるのは、身体強化とあの一撃のみ。
……でも、あれは。
「それは……わ、私が……身体強化をずっと使っていたからだと……」
所長は、見透かしたような目で私を見た。
「身体強化は魔力をほとんど使わない。習わなかったか?」
「……習いました」
「では、この減り方の証明にはならん」
「……っ」
息が詰まる。自分でも説明できなかった。
所長は静かに首飾りを机に置き、私の目をまっすぐに射抜いた。
目を逸らすことすら許されないような重さに、握った掌に汗が滲む。
「――では、エステラ。魔物の後ろ足を吹き飛ばした魔法……あれは、どうやって放った?」
「……自分でも、わからないんです」
声が震える。けれど、嘘はつけなかった。
所長は椅子の背に深く身を預け、指を組んで静かに問う。
「どういう状況だったのか、説明してみなさい」
「あのとき私は、魔物の動きを止めようと必死で……身体強化を全開にして……それを矢に込めたつもりでした。でも、放ったのは――」
瞼の裏に、あの灼熱の閃光がよみがえる。
「――あんな……魔法のような一撃でした」
「つまり、自分でもわからないということか?」
「……はい」
短い返事に、所長は小さく息を吐いた。
「制御できない魔法ほど危険なものはない。君の一撃は……下手をすれば、上級貴族に匹敵するほどの威力だ」
「っ……!」
耳を疑った。
思わず椅子の肘掛けを掴み、前のめりになった。
……わ、私が……上級貴族に……?
所長は眉ひとつ動かさず、冷ややかに続けた。
「力は可能性だ。しかし制御できなければ、恐怖でしかない」
胸の奥が熱く痛み、拳を握りすぎて爪が手のひらに食い込む。
……私なんかが、そんな力を……?
「それじゃ……暴発したら……」
目を伏せた私に、所長の声が落ちた。
「ならば学べ」
はっと顔を上げる。
紫の瞳が揺るがぬまま、真っ直ぐに私を見ていた。
「え……?」
「困惑するのも無理はない。平民が魔法を学ぶなど、常識外れだからな」
淡々と告げる声に、自然と眉が寄る。
所長が何を考えているか、わたしには少しも読めなかった。
「エステラ。平民と貴族の違いはなんだ?」
「……魔力の、有無……ですか? あとは家柄とか」
所長が軽く頷く。
「そうだ。だが私は君に貴族になれと言っているのではない。その可能性を捨てるべきではない、と告げているだけだ」
所長はわずかに視線を伏せ、次に私を見上げる時には瞳の奥に冷たい光を宿していた。
「君の妹は――法を曲げた。いや、叩き折ったと言った方が正しい」
「ルルが……」
胸が震える。
信じられないけれど、どこか納得してしまう。ルルーナなら……と。
所長は静かに頷き、口調をわずかに和らげた。
「時間のある時でいい。ジークから学びなさい」
◇ ◆ ◇
屋敷を出ると、まだ冬の冷たさが残る風の中に、かすかに春の匂いが混じっていた。雪解けの水を含んだ空気が頬を撫で、石畳にはうっすらと光が反射している。
馬車へ向かう途中、隣を歩くジークがふいに口を開いた。
「……緊張されたでしょう」
「っ……!」
見透かされたようで思わず足を止める。
「怖かったです……」
小さく、けれど素直に答える。
ジークは目を細め、どこか優しく微笑んだ。
「我が主は、恐ろしくもあり……慈悲深くもある方です」
短い言葉だったが、不思議と胸の奥が温かくなる。
「はい……そうですね。厳しいけれど、道は示してくれました」
ジークは軽く頷き、続けた。
「指導する日取りが決まりましたら、ご連絡いたします」
「はい。よろしくお願いします」
わたしは深く頭を下げる。
再び歩き出した足取りは、先ほどよりも少し軽かった。
「どうぞ」
ジークが静かに馬車の扉を開けてくれた。
「……ありがとうございます」
私は小さく会釈をして踏み段を上がり、馬車に乗り込む。
座席に腰を下ろすと、背中にあった緊張が少しずつほどけていった。
ジークが軽く手綱を鳴らすと、馬車は午前の日差しの中をゆっくりと動き出す。
窓の外を眺めれば、サンドレアムの街並みがゆっくりと流れていく。
冬の名残りはまだ濃いけれど、軒先に干された洗濯物が春風に揺れ、土の匂いがほのかに漂っていた。
やがて馬車が止まり、ジークが静かに扉を開けてくれた。
「……お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
小さく礼を告げ、わたしは踏み段を下りる。
玄関の扉が開き、ルーチェが迎えに出てきた。
私の顔をひと目見るなり、にこやかに微笑む。
「……おかえり」
その温かな声に、胸の奥に溜まっていたものがほどけ、私は思わず微笑んだ。
「ただいま、母さん」
いつものやり取りだったが、それだけで心が安らぐのを感じた。
翌朝。
空気はきりりと冷たいのに、吐く息の白さの奥に、どこか柔らかな匂いが混じっている。
商会の店先ではルーチェが私の襟元を整え、首に薄いマフラーを巻いてくれた。
「冷えるからね。向こうに着くまで外では外さないのよ」
「うん。ありがとう、母さん」
荷馬車の影で荷の確認をしていたライアットが、こちらへ歩み寄る。
普段の穏やかな目つきから、仕事の厳しさに切り替わる瞬間の声。
「もう一度だけ言っておく。荷台で静かに。指示には従う。それが守れれば問題ない」
「はい」
頷くと、ライアットはほんの少し眉を緩めてから、商会の荷馬車へ視線を向けた。
中には木箱がいくつも積まれている。
側面にはレント商会の焼印。
蓋の隙間から、木の匂いとぬか石鹸のやさしい香りがふわりと漂い、洗濯板の板目が朝日に光る。
店の角から、ノックスとアイナが駆けてくる。
ノックスは帳簿の束を脇に抱え、息を整えながら笑った。
「間に合った。ステラ、これ、積み荷の控え。万が一の時に父さんへ渡して」
「了解。ありがと」
アイナは布袋をそっと差し出す。
焼き菓子が少しだけ入っているらしい。
「マルコのとこで作ったの。妹ちゃん――じゃなくて、ルルーナ様に。甘いもの、疲れた頭にいいらしいよ」
「ふふ、伝えるね。ありがとう、アイナ」
ノックスが軽く顎を上げ、目で「いっておいで」と告げる。
私は大きく息を吸い込んで、荷台の縁に手をかけた。
「出るぞ」
ライアットの声とともに、御者が手綱を鳴らす。
ゆっくりと車輪が転がりはじめ、家並みが後ろへ流れていく。
ルーチェが手を振り、ノックスとアイナも並んで小さくなるまで手を振ってくれた。胸の奥が温かい。
……行ってくるよ。
◇ ◆ ◇
サンドレアムの東門。
見慣れた石の門を抜けると、風の匂いが変わる。
畑には青みを帯びた冬小麦。
土の色がところどころ顔を出し、春の準備が着々と進んでいるのが見て取れた。
荷台には麻袋と木箱。
私は毛布にくるまり、身を小さくして揺れに合わせて呼吸を整える。
商会の警備が左右に数名。先頭にライアット。
視線だけで状況を量り、無駄のない合図で隊列が呼吸するみたいに伸び縮みする。
しばらく進むと、山道が始まった。
日陰の斜面には雪が残り、車輪が凍った轍を踏むたびに、シャリッと乾いた音がする。
木々の間を抜ける風は冷たいけれど、梢の先に柔らかな光。遠くの沢の水音が、冬と春の境目を優しくなぞっていた。
ふいに、荷台の帆布の向こうからライアットの低い声がした。
「凍結だ。少し揺れるぞ」
「……はい」
身を低くすると、荷車が大きく一度だけ軋み、それからまた穏やかに進み出す。
雪解け水が細い筋になって道を横切り、陽にきらりと光った。
山道を抜けると景色がひらけた。
丘がゆるく連なり、葉の落ちた木々の間を小さな小川が蛇行している。
トバルへ続く道の両側には、青々とした冬小麦の畑が一面に広がっていた。その奥には小さな民家の屋根。煙突から立つ白い煙が、空の青に溶けていく。
行き交う隊商とすれ違うたび、御者同士が短く合図を交わす声が聞こえた。
昼を少し過ぎた頃、目的の町――トバルの輪郭が現れる。
……ここがトバル。
低い石壁と見張り塔、遠くには風車も見える。
門の手前には検問の列。
私たちの荷馬車が止まると、ライアットが馬から降り、書状と印章を見せる。
兵士が一礼し、列はするすると前へと流れ、やがて門をくぐった。
レント商会の商隊が町へ入る。
石畳はサンドレアムよりも白く、建物は背が高い。
……白い筒状の建物、あれは倉庫?
通りの両側には問屋が肩を並べ、行き交う声は張りがあるのに不思議と秩序が保たれていた。
緩い丘の上に貴族の邸の屋根が見える。
……あそこにルルが。
荷馬車は商会の納入先をいくつか回り、控えを渡しながら荷を下ろす。
ぬか石鹸の箱が担がれていき、洗濯板の山が軽くなるたび、心の奥でも何かがふっと軽くなる。ここに来た意味が、ひとつひとつ形になるみたいだった。
「最後は、アゼレア様の邸だ」
ライアットの声に肩が跳ねる。
荷はもうほとんど残っていない。
胸の鼓動が速くなるのを、私は毛布の下でぎゅっと手を握ってやり過ごした。
……アゼレア。
所長から聞いたときは信じられなかった。
あれは私たちを助けるために、演じた芝居だろうと所長は言った。でなければ、アイナに渡した黒曜石の説明がつかないと。
結果をみれば、その通りだった。
詳細はわからない。でも、彼女はルルーナと孤児を守っていたのは事実だ。
……アゼレアにも謝らなくちゃ。
邸の前で荷馬車が止まる。
正面門は紋章以外の余計な飾りがなく、けれど真っ直ぐで、よく磨かれている。どこか空気が澄んでいる気さえする。
門番にライアットが名乗り、短い確認ののち、門が開く。
「エステラ。ここからは走るな。ついて来い」
「うん」
荷台から降りる。
足の裏に石の冷たさを感じながら、ライアットに続く。
整えられた中庭に、風に触れた葉が囁くように触れ合う。
玄関扉が内へ開き、使用人が深く礼をした。
通された廊下は、よく知るサンドレアムの役所とは違う静けさ。壁にかけられたランプの炎が、柔らかく揺れている。
角をひとつ曲がるたびに、胸の奥の熱が少しずつせり上がってくる。
「こちらへ」
案内してくれたのは、若い侍女だ。
落ち着いた目で、どこか優しさを感じる。
私を見ると、ほんの一瞬、表情がほどけた。
扉の前で足が止まる。
「レント商会の方がお見えになりました」
ライアットが一歩下がり、視線で「行ってこい」と告げた。
喉がひくりと鳴る。
……ここに、ルルが……。
私は拳を小さく握って、扉に向き直る。
扉が静かに開いた。
「――お姉ちゃん?」
聞き慣れた声が、胸の中心に灯をともすみたいに広がった。
「……ルルっ!」
次の瞬間、足が勝手に前へ出た。
小さな体が勢いよくぶつかってきて、私は両腕でしっかり抱きとめる。
……温かい。ちゃんとここにいる。
息を吸うたび、涙と笑いが同時にこみ上げてくる。
「来てくれたんだ」
「うん……うん、来たよ」
肩越しに、ライアットが目を細めて立っているのが見えた。
私はルルーナの髪をそっと撫で、耳元で小さく囁く。
「会いに来たよ――話したいこと、たくさんあるの」
ルルーナがこくりと頷き、ぎゅっと抱きしめ返してくる。
その温もりに目を閉じると、遠い山道の冷たさが、すっと溶けていった。




