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私の秘密は増えてゆく ~この幸せを守るため――だからわたしは仮面をかぶる~  作者: 月城 葵
二章    少女と暴かれる秘密

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47話  幽霊商人 ~影を記録する~



 南区、街外れの倉庫街。


 昼間だというのに薄暗く湿っていて、どこか息苦しい。

 歩くたびに足音が響き、誰もいないはずなのに誰かに見られているような気配がまとわりつく。


 背の高い建物が積み木みたいにぎゅうぎゅうに並び、細い路地はどこも薄暗い。

 乾ききらない石畳からは油の混じった匂いが上がってきて、靴底がきゅっと鳴る。


 馬車での移動は目立つ。

 近くの宿に停めさせてもらい、わたしたちは地道に徒歩で調査を行っている真っ最中だ。


「……ここで取引が行われたという話だったな」


 所長の冷ややかな声が、わたしの背筋をぴんと伸ばす。


「はい。この辺りです。ただ、証言した者たちは酒に酔っておりましたので、正確性には欠けます」


 ここは、トランが多くの証言を元に精査した場所のようだ。


 ……酔っ払いの証言なのに、こうして調べに来るほど……所長が放っておけない何かがあるってことよね。


 そう思った瞬間、不意に物陰を走る小さな影が視界を横切った。


 目を凝らすと、小さな精霊たちが同じ方向に走り去って行ったことに、思わず所長の袖を引き、囁く。


「あっちには何があるんでしょう?」


 唇の動きだけで所長に精霊と伝えると、所長は軽く頷いた。

 わたしは所長の外套の裾をそっとつまみ、転ばないよう一歩ずつついて行く。


 視線だけは前へ。息はできるだけ浅く。

 こういうときは音を立てないのが一番だと、講義で習った。


 しばらく慎重に歩を進めると、人の気配を感じたのか所長の足が止まった。


「目で覚えろ」


 所長の声は低く、硬い石みたいに揺れない。

 トランが頷いて、先に角を覗き、手で合図する。

 わたしも同じ姿勢で路地の角に身を寄せ、隙間からそっと覗く。


 二棟の倉庫が作る陰の狭間に、三人の男がいた。


 ひとりは行商風で、擦り切れた外套に革の鞄を肩から斜めに。

 背は高くも低くもなく、あまり目立たない体つき。

 けれど立ち居振る舞いが妙に滑らかで、指先がよく動く人だなと思う。


 相対する二人は、積荷を扱う人たちだろうか。


 手には布でくるんだ包み。

 彼らはどこかぼうっとしていて、目の焦点が合っていない感じだ。

 返事も一拍遅れて、首だけでこくこくと。


 酔っている、というのとは少し違う気がする。

 足取りはふらつかないのに、目だけが眠っているように見える。


 行商風の男は、穏やかに笑って静かに話しているが、声までは届かない。

 でも、話の区切りごとに、右手をひらひらと見せる癖がある。


 また右手を振った時、鈍い金属の光が一度だけ、倉庫の壁にチカッと跳ねて消えた。


 ……指輪? 距離と陰でよく見えないなぁ。


「……匂いはしないな」


 所長がほとんど唇を動かさずに囁く。


「酒ではない。外因性の干渉。断定は避けるが、可能性は高い」


 ……外因性の干渉。つまり、なにか外から頭に霧をかけるみたいなもの?


 わたしは喉を鳴らしそうになるのを我慢して、呼吸を整える。

 見えているのはただの小さな仕草なのに、背中がぞくぞくして落ち着かない。


「ルルーナ、視線を散らすな。相手の繰り返す動作を数えろ」

「……はい」


 わたしは数える。


 男の手を見せる仕草は、会話の転換ごとに一度。

 三度、間を空けて四度目。


 相手はそのたびに、頷きを深くする。

 包みを差し出す腕の力が抜けていく。


 ……合図……条件付け? 言葉ではなく、動きで覚えさせている? 暗示のような……。


「所長。あの二人――」


 トランの視線の先、少し離れた荷箱の陰に、二つの影が見えた。


 短く切りそろえた黒に近い茶の髪が、ぴくりと揺れる。

 ショートボブの後ろ姿。見間違えるわけがない。

 エステラだ。


 その隣で、水色の髪がそよぐように揺れる。

 目の上でそろえた前髪のアイナ。


 街着のまま、身を低くして息を潜めている。

 二人の背後には、明らかに人とは違う二体の精霊の姿も見える。

 

 その者たちの視線の先には、行商風の男だ。



 ……こんなところで何を……!


 胸がぎゅっと縮む。

 叫びたくなるのを、奥歯で噛みしめて押しとどめた。


 ここで声を出せば、あの男にも、エステラたちにも、最悪の結果を招く。

 わたしにできることは、じっと見ることだけ。


「軽挙は禁物だ」


 所長の眼差しが、一瞬だけエステラたちの陰に触れ、すぐ戻る。


「彼女らは自分の間合いを知っている。見失うな……追うのはそちらではない」


 行商風の男が頷きを重ねさせ終えると、包みを受け取って鞄にしまう。


 相手の男たちは、紙片のようなものを受け取っている。

 証文だろうか。

 角がすぐに折れ曲がり、懐にぐしゃりと押し込まれた。


 男たちが体を向けた先に荷車が一台、通りの端で待っている。

 幌の縁が擦れて文字がかすれ、最初の二文字だけが辛うじて読めた。


 ……トバ? 地名? 取引先? いえ、今は覚えておくだけ。


 相手のひとりが、ふらりとよろめく。

 行商風の男は自然な仕草で肩を支え、耳元で短く囁き、また右手をひらり。


 相手の目がふっと和らぎ、口元がにやつく。

 嬉しそうなのに、どこか空っぽな笑み。


 わたしには、それらが不気味に見えてしょうがない。


「十分だ。まだ動くな」


 所長の指が、わたしの手から外套の裾へと移り、軽く一度つまんで離れる。


 ……合図だ。


 行商風の男が荷車へ向けて歩き出し、角を曲がる。

 それを、エステラとアイナが少し遅れて追う。

 距離は保っていて、踏み鳴らす音はない。


 ちらりとこちらへ振り向いた精霊たちが、両手で大きな丸を作ってみせた。


 ……お願い、無茶はしないで……みんな、二人をお願いね。


「トラン、出入りの記録を洗え。今日この時間に出た荷車、車輪の幅、幌の色、御者の顔つき。……全てだ」

「了解しました」


 わたしたちは、その場で追跡はしなかった。

 許可がでなかったからではなく、所長は泳がせると決めていたからだ。


 小魚をすくっても鍋は満たせない。

 網の端を掴んだ手を離して、もっと大きいものを獲る。


 講義で聞いた言葉が、今さらのように頭に響く。



 行商風の男の姿は、ほどなく倉庫の列の向こうに消えた。

 エステラたちの影も、路地の影に溶けて見えなくなる。

 残ったのは、油の匂いと、さっきの男たちの空っぽな笑みの残像だけ。


「引き上げる。今日の収穫は少なくない」


 所長が踵を返し、わたしたちも静かに後に続く。


 ……見ただけ。触れなかった。けれど……。


 瞼の裏に、ひらりと揺れた指先の光が残っている。

 言葉よりも確かな、合図の反復。眠たげな目。遅れて落ちる頷き。


 ……これは偶然じゃない。何かがある。わたしにはまだわからないけど、所長なら……。


「顔を上げなさい。忘れるな。今、必要なのは焦りではない。正確さだ」

「……はい」


 わたしは一度だけ深呼吸をして、倉庫街の重たい匂いを胸の奥に押し込んだ。


 帰ったら、今見た順序をすべて書き出さないと。

 手の合図の数、間合い、相手の足の運び、幌の縁のかすれた文字。


 ……忘れちゃいけない。


 倉庫街を離れると、途端に空気が軽くなったように感じる。

 日が高いはずなのにあそこは昼も夜もないみたいで、喉がひりつくほど息苦しかった。


 大通りに出て馬車を停めた辺りまで戻ってくると、ようやく胸の奥に溜めていた息をそっと吐き出した。


「さて……」


 所長の低い声に、わたしは背筋を正す。

 歩調を崩さず、視線はまっすぐに。


「先ほどの観察を述べよ」


 馬車に乗り込むと、所長が口を開いた。


「……はい。ええと、あの行商風の男は……会話の区切りごとに、右手をひらりと見せていました。三度、その後に間をおいて四度目。相手の反応は、頷きが深くなるか、笑みが浮かぶか、でした」


 言葉にしてみると、声がほんの少し震えているのが分かる。

 あの笑顔を思い出すだけで、背中に寒気が走った。


「視線の動きはどうだ?」

「……相手の男たちは、合図が出るまで相手を見ずにいました。目が眠っているみたいで……でも、動きはしっかりしていました」

「ふむ」


 所長はわたしの答えに短い肯定だけを返す。


 ……褒められてはいない……けど、訂正もされない。つまり、間違ってはいない……はず。


 隣に座るトランが口を開いた。


「しかし、あれは……。確かに取引相手の証言が揃わないわけです。下手に問い詰めてもよく憶えていないと繰り返される。あれでは記録が曖昧になるのも当然ですね。精神に作用する道具を使っていると見て間違いなさそうです」

「だが、確証はまだない」


 所長の声が鋭く切り込むように響く。


「推測で糾弾すれば、こちらが立場を失う。泳がせる必要がある」


 泳がせる――また、その言葉。

 小魚を網に掛けても、大きな魚は逃げる。だから、網の外で泳がせ続ける。


 ……でも、その間に誰かが犠牲になったら……。


 喉の奥に、チクリと小さな棘のようなものが刺さる。

 けれど、それを言葉にしてはいけないと分かってる。

 

 わたしの役目は、焦ることではなく、記録すること。


「トラン、倉庫街の出入り記録を今日の荷車だけでなく、闇の月まで遡り、抜き出して比較しろ」

「かしこまりました」

「ルルーナ、君は今日の観察をすべて書き出せ。細部を忘れるな。手の動きの間隔、頷きの回数、荷車の幌にあった文字のかすれ方――些末に見えるものほど重要になる」

「はい、所長」


 ……些末に見えるものほど重要。


 前に講義でそう言われたときは、どこか教訓めいた響きにしか聞こえなかった。

 でも、今は違う。


 あの場で見た光景は、言葉にできない薄気味悪さと一緒に、確かに網の結び目になる。


 わたしは、外套の袖をきゅっと握りしめた。


 ……忘れない。絶対に。あの光も、笑みも、幌の文字も。


 小さな結び目を増やして、大きな網を張るのだ。


 大きな網を張るなら、結び目は小さいほうが強い。

 わたしにできる小さな結び目を落とさないように。


 空はもう、雲を散らして青さを取り戻していた。

 けれど倉庫街で感じた重さはまだ、胸の奥に残っている。


 わたしはそれを抱えたまま、馬車から見える空を見続けた。




 ◇ ◆ ◇



 講義室に戻ると、外の喧騒がまるで嘘のように静まり返っていた。

 分厚い石壁と背の高い窓に囲まれたこの部屋は、ひんやりとした空気に満ちていて、足を踏み入れるたび背筋が自然と伸びる。



「すぐに記録を始めよ」


 所長の指示に従い、わたしは机に腰を下ろした。

 整然と並べられた木机の表面には、書き込みを繰り返した跡が幾筋も刻まれている。


 筆と紙を前にすると、喉がごくりと鳴った。


 公式な調査報告書だ。これを書くときは、普段使わない高級な筆を使う。

 深呼吸をひとつ。筆先を整えて、紙の上に文字を落とす。


「……倉庫街にて観察。行商風の男の仕草について。取引相手に対し、右手を三度、一定の間隔で見せ、その後に四度目。合図後、相手は頷く、または笑みを浮かべる……」


 書き記していくにつれ、トクントクンと心臓の鼓動が早まっていく。

 あの妙な空気、笑み。目を閉じると、重苦しい倉庫の匂いまで思い出してしまう。


「止めるな」


 背後から静かな所長の声がする。


「思い出すのが辛くとも、書き切らねばならぬ。曖昧さは敵の庇護となる」

「……はい」


 筆を持つ手に力を込め直す。


「荷車の幌……ええと、文字は……トバ……。いえ、それ以上ははっきり読めませんでした。二文字で途切れていて……」


 そう記しながら、わたしは筆を止め、そっと振り返る。


「所長、この記録は不完全でしょうか」


 所長はわずかに目を細め、低く答えた。


「不完全であろうとも、書き留めた事実が重要だ。確証は後から積み重ねればよい……トバで始まる町は、周辺ではひとつだ」

「……ひとつ、ですか?」


 ……だとすると、東のトバルかな。


「トバル。東の町だ。君が見た二文字は、それを指す可能性が高い」


 ……やっぱり……!


「……書き加えます。トバの二文字を確認。完全な地名は不明。ただし、トバルである可能性が高い」


 紙にそう記したとき、所長が軽く頷いた。


「記録とは事実を記すものであり、推測は分けて明記することだ。その区別を誤るな」

「はい……!」


 筆跡の残る紙を見つめながら、わたしは小さく拳を握った。

 厳しい教えだが、何もできなかったわたしが、着実に一歩ずつ前進しているんだと思うと、自信になる。


 ふと所長は机に片手を置き、わたしが書いた紙面をじっと見下ろしていた。


「しかし……トバルか。偶然にしては出来すぎている」

「出来すぎている、とは……?」


 思わず問い返す。


「確認された毒の流通。正体不明の商人を雇い、禁制の魔道具まで使う資金力と影響力。考えれば出所は限られる」

「……っ!」


 そこまで言われれば、わたしでも何となく察することができた。

 恐怖を感じ、筆を握る手が汗ばむ。


「だが、記録せよルルーナ。これはあくまで推測だ」


 所長の声はあくまでも冷静で、重みがあった。


 ……権力のある人物が、裏であの商人を動かしてる可能性。


 心の中でつぶやいた途端、背筋がぞくりと震えた。



 記録も終わり、あとは帰って休めと言われた。

 緊張で張りつめていた体の力が、少しずつ抜けていく。

 でも、胸の奥のざわざわは、まだ消えてくれなかった。


 それでも――家に帰れば、きっといつもの夜が待っている。







ここまで拙い文を読んでいただきありがとうございます!


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「続きはどうなるんだろう?」

「次も読みたい」

「つまらない」


と思いましたら

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面白かったら星5つ。つまらなかったら星1つ。正直な気持ちでかまいません。

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