3話 三年越しの真実 ~お姉ちゃんの大切な人~
「来たな。初めての街はどうだった?」
お父さんはわたしの頭を大きな手でわしわしと撫でる。
ニヤニヤしながら両脇に手を入れると、ひょいっと軽く抱き上げられた。
……うわぁぁっ! 急に抱き上げられるとビックリするよ。
でも、お父さんの近くなった顔を見て、自然とわたしもニヤニヤしてしまう。
娯楽の少ないこの世界で、わたしにとっての笑いの最前線になっているお父さん。
一緒にいる時間は短い。だから、お父さんの顔を見る度に、強く印象に残っていることをよく思い出してしまう。
初めてお父さんの顔を見た時、厳つい大きな顔が急に視界に入ってきて、最初は戸惑った。
でも「おおっ! 絶対、これはルーチェ似だぁー!」と、大きな声を上げながら頬ずりをして、フニャフニャになっていく顔を見ていると、妙な安心感に包まれたのを今でも憶えている。
二歳になる頃、顎の辺りに目立たない十字の傷があることに、わたしは気付いた。
それがバッテンマークにしか見えなくて、なにそれ? そこ弱点なの? と、一人で笑い過ぎて酸欠になりかけた。
それ以来、お父さんの顎の傷を見る度に笑ってしまうのだ。
お父さんの名前を知った時も、ゲラゲラと笑った。
近所の人が「ラリアット居るかい?」と、訪ねて来た時に初めて知った。
普段、家族は「あなた」とか「父さん」って呼んでいたから、わからなかったのだ。
バッテンマークにラリアット。変なツボに入って、笑い死ぬかと思ったのはいい思い出だ。
……マズイ。わたしよ、耐えろっ!
「ぷっ……」
「どうした? 俺の顔が変か?」
急に笑ったわたしを見て、お父さんが頬を指で掻いた。
「ううん。いつものお父さんだなぁって」
「いつもも何も、俺は死んでもお前の父親だ」
ニヤニヤしながら、恥ずかしくなるようなセリフを平気で言ってしまうお父さんのことが、わたしは大好きだ。それは間違いない。
お父さんの顔を見ながら、胸の奥がポカポカしてくるのがわかると、わたしもニヤケ顔で、こくりと頷いた。
抱っこから解放されたわたしは、部屋に用意された椅子に座って周りを見た。
おそらく、商談で使うような部屋なのか、家では見ないちょっと高そうな家具や調度品が並んでいる。
用意された水を飲んで一息つくと「仕事に戻るね」と、ノックスが部屋を出て行った。
ノックスと立ち話をしていたエステラが隣の椅子に座ると、お父さんを交えて、わたしの初めて見てきた街の話が始まった。
◇ ◆ ◇
「あの花は貴重な薬になるんだが、タルタニの頭の花を引っこ抜くと、やばいんだ。目が赤くなって狂ったように暴れ回る。絶対、抜いちゃ駄目だぞ」
「うぇぇ……そんなにすごいんだ」
「家畜としてなら、大人しくて頭もいいから、優秀なんだが……」
……大丈夫。絶対抜かないし、触りません。
ムッガルは鹿、ポリニーは猪、タルタニは牛。
姿は似ているけれど、生態はどれも別物。不思議動物には気を付けないといけない。
あれやこれやと、街の人々の様子などを話し終えると、今後、行くことになるであろう薪拾いの話に移った。
「冬支度の話はさっき聞いた。次の休みの日に、薪に関してはエステラを連れて森の浅い部分まで行くから大丈夫だろう。それと、行くのは俺とエステラだけだぞ」
これは朗報。
話の内容から、わたしは、お留守番のようだ。
……やったね! お留守番サイコー!
エステラが隣で胸をドンッと叩いて「いっぱい集めないとねっ!」と、意気込んだ。
そろそろ帰る時間だ。
お父さんにお弁当を渡して帰り支度をしていると、ふと鏡に映った自分の姿が目に入った。
……これが、わたしなんだよなぁ。
家の鏡では、ここまではっきりと見えなかった。
黒く癖のない長い髪に、見る角度によっては金色にも見える琥珀色の瞳。
顔もお人形さんみたい。黒髪はお父さん似で、瞳の色はお母さん似だ。
……結構な美人じゃない? 将来は、モテモテかわたし?
背後から「俺の娘たちは、女神の生まれ変わりだな」とか、呟きが聞こえたが今は無視しておこう。
帰り支度を終え、鏡の前でエステラとポーズを決めて遊んでいたら「ライアット隊長」と、扉をノックする声がした。
お父さんが仕事の顔つきに変わり「じゃあな、気をつけて帰るんだぞ」と、わたしとエステラの頭を軽く撫でて、部屋を出て行った。
お父さんの仕事モードの顔は、ちょっと格好良い。
……ん?
わたしの聞き間違いだろうか。
今、ライアット隊長と聞こえたような気がする。
……もしかして、お父さんの名前ってライアット!?
小声でお姉ちゃんに確認したらライアットだった。これは土下座が必要だ。
……お父さん。ほんっと! ごめんなさい。
「何してるの? 鏡で遊ぶのはもう終わりにして、帰るよ」
「うっ……うん。」
「帰りは裏道から行くから、はぐれちゃ駄目だよ」
……あぶない、あぶない。これはセーフ。
土下座の格好をまだ何かのポーズを決めて遊んでいると、思われたみたい。
わたしは、そっとため息をついて立ち上がった。
◇ ◆ ◇
お父さんへのお使いを無事終わらせて、後は帰るだけだ。
エステラは裏道を使って近道をするのだという。
はぐれて迷子になるとかは絶対に嫌なので、わたしは絶対に離すものかと、エステラの手をぎゅっと握った。
店を出てエステラの説明を聞きながら、細い道を歩く。
大通りから細い道に入ると、小さな教会の屋根が見え、それを目指して進んだ。
わたしが勝手に想像し心配していた裏道は、ここにはないようだ。
薄暗い路地裏で治安が悪いとか、ごろつきがオラオラしているわけではなかった。
エステラが言うには街の東側は旅商人、孤児や市民権を持たない旅人が多数。
西側は商家や農家、職人など身元がはっきりしてる者が多く、子供でも安全なようだ。
……西側は比較的安全ってわけね。
だからといって東側が危険なのかというと、別にそういうこともない。
ただ、子供だけで行くのは何かあった時に困るから、という程度らしい。
しばらく歩くと、教会の入り口らしき門の前に着いた。
鉄柵で囲われた敷地内は綺麗に清掃され、大事にされているのがわかる。
鉄製と思われる門の先には、石畳の道が教会の入り口まで続いており、道の両端には、葉が落ち寂しくなった名も知らぬ銀杏に似た木々が立ち並んでいた。
道の上の落ち葉を丁寧に掃く、修道女らしい人たちの姿も見える。
……これが教会かぁ。
敷地もかなり広い教会だ。
この裏手の林でエステラが薪拾いをしていたようだ。
しかし、教会の手前の建物はなんだろうか。
孤児院……というよりも、倉庫のようにも見える。
「入ってみる?」
興味津々だったのがバレたのか、エステラがわたしの顔を覗き込んでそう言ってきた。実際、気になってはいたので、こくりと頷く。
……お姉ちゃんも案内したいような感じだし、何かあるのかな?
手を引かれて門を抜けると、なんだか澄んだ空気に自然と気持ちが楽になる。
……空気が真夜中の神社みたい。
修道女がこちらに気付き、掃除をしていた手を止め、近付いてくる。
「こんにちはっ!」
「こんにちは、ステラ。そちらは、前に聞いた妹さんですか?」
「はい。今日初めて街に」
……あっ。
ぬばたまのような長い黒髪の修道女が、わたしの視線に合わせるようにそっと膝を折り、優しく微笑んだ。
「そうなのですね。初めまして、ステラの妹さん」
月明かりのような優しい金色の瞳に見つめられながら、わたしはまじまじと、相手の顔を見る。
……何この大和撫子! まつ毛、長っ! どこかのお姫様みたいな人なんですけど……。修道服より、巫女服の方が似合いそう。
さっそく自信を砕かれた。
もしかして、街にはこういう美人が沢山いたりするのだろうか。
清楚という言葉が似合う、とんでもなく綺麗な人だった。
その佇まいも、どこか神秘的なものを感じる。
鏡の前で、わたしって結構な美人さんになるんじゃないとか、わたし将来モテるかもなどと、思っていた自分がちょっと恥ずかしい。
「教会と孤児院で働いている修道女のレンと申します。ステラの妹さん、よろしくお願いします」
「……あぅ」
「あの、どうかしましたか?」
「いえ、綺麗すぎて……見惚れて……ました。すみません」
……感想言っちゃった。
「まぁっ! ……ありがとうございます」
……お礼言われちゃった……ちがう! ちがう! ちゃんと挨拶しなきゃ。
わたしは「改めまして」と、姿勢を正した。
「初めまして、こんにちは。エステラの妹です。よろしくお願いします」
「ふふっ。ステラに似て、妹さんも礼儀正しく、可愛いらしいのですね」
……綺麗なものを見ると、言葉を失うって本当なんだなぁ……。そういえば、ステラって愛称で呼んでいたから、お姉ちゃんと仲がいいのかな?
「レンさんは、お姉ちゃんとお友達なんでしょうか?」
「ちょっ……いきなり何言ってるのよ! ル……むぐっ……」
急に慌て始めたエステラが、わたしの名前を呼ぶ寸前で口をぎゅっと閉じた。
慌てたり、怒ったり、急に黙ったり、ころころ変わるエステラの態度に、レンがニコリと微笑んだ。
「はい。お友達です。もう、知り合って三年近くになります。それと、かしこまった言葉じゃなくて平気ですよ。妹さん」
「う、うん。わかり……わかった」
「ふふっ、最近はステラもやっと砕けてきましたが、まだ堅いのです。妹さんは、あまり堅くならないで下さいね」
チラリと横目でレンがエステラを見て、くすっと笑う。
ふと笑顔のレンが空を見上げ小さく頷くと、「外は冷えますから」と言って教会の中に案内してくれた。
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