90話 姉妹のように ~優しさのかたち2~
まさに直立不動。
マーキス・グラベルがやって来たと報せを受け、すぐさま姿勢を正す。
やがて扉が開き、マーキス・グラベルが姿を現した。
堂々とした体躯が部屋に入ってくると、それだけで空気が押し広げられたように感じる。
……近くで見ると、おっきいなぁ。
席に腰を下ろすと、ロエナが静かにお茶を差し出した。
「うむ、いただくぞ」
一口含んだ途端、マーキス・グラベルが眉をひそめた。
「熱いのぉ……わしは猫舌なんじゃ」
……えっ!? 猫舌って……いや、まずい!
「申し訳ありません。ロエナ、すぐ代わりを――」
慌てて声を上げたところで、マーキス・グラベルは手で膝を叩いて大笑いした。
「はっはっは! 冗談じゃ」
勢いよく顔を近づけてきて、わたしは反射的に身を引く。
……ち、近いし、声もでかい……。
「それにしても、体は小さくとも胆力があるのぉ。あのアード・ロッタよりも大きく見えたわ」
「……あ、ありがとう存じます」
「硬い、硬い。子供がかしこまらんでいいわ」
「は、はい……」
……うぅ、やりづらい。
「しかし、面倒な男に目を付けられたのう」
「……面倒、ですか?」
わたしは小さく首を傾げる。
「ああ見えて、アード・ロッタは狡猾じゃ。今までもそうやって邪魔者を排除し、今の地位に上り詰めた」
……なるほどね。
「奴は怪しまれても、尻尾は出さん。おかげでいままで放置状態じゃ」
……切れ者なの? あいつ。
「じゃが、今回――平民の小娘と侮って対処を怠った。尻尾が見えたぞ」
「ほんとですか!」
わたしは、身を乗り出しそうになるのを我慢する。
「わしの勘じゃ! はっはっは!」
……勘ですか。
「東の調査は継続中じゃ。なにぶん、広いからのぉ」
「ありがとうございます」
マーキス・グラベルの深緑の瞳が細まる。
「うむ。じゃが、気をつけよアード代理。奴は実力行使も厭わない危険な奴じゃ」
……だとしても。
わたしは、マーキス・グラベルを見据え、力強く頷いた。
「ほぉ、良い目だ」
そう言って、彼がにやりと笑った。
「どうじゃ? 孫の嫁にこんか?」
……はぁ?
「お、お、お断りします!」
「がぁ~はっはっは! アゼレア、この小さいのはマーキスの言葉を即答で断ったぞ!」
「……申し訳ありません」
アゼレアが静かに頭を下げる。
マーキス・グラベルは楽しそうに笑いながら席を立つと、低い声で告げた。
「アード代理よ。獲物を見定めた狐は、存外手強いぞ」
「……はい」
頷くわたしに、マーキス・グラベルは満足げに頷き返す。
「ではな、ルルーナ」
その大きな背中は控室を後にした。
扉が閉まり、控室に再び静寂が訪れる。
アゼレアが小さく息をついた。
「……ここでは、休まらんな。一旦、屋敷に戻るぞ」
その言葉に、皆がそろって頷いた。
控室を出て、長い廊下を抜けていく。
さっきまで熱気に包まれていた会場が嘘のように、外はひどく静まり返っていた。
朝のざわめきが遠い幻のように思える。
馬車へと歩み寄り、御者が恭しく扉を開ける。
わたしたちは次々と乗り込み、静かに扉が閉ざされると、ゆるやかに馬車は動き出す。
蹄の音が石畳に響き、わたしは揺れに身を委ねながら、胸の奥でようやく安堵の息をついた。
◇ ◆ ◇
屋敷に戻ると、わたしとアゼレアはまっすぐ執務室へ向かう。
マテオは情報の整理を、ロエナは昼食の準備を始めた。
椅子に腰を下ろすと、体中から力が抜けていくのがわかる。
あまりに濃い一日で、まだ頭の中が追いついていない。
でも、どうしても聞いておきたいことがあった。
「ねぇ、アゼレア。フレデリカ様って……」
問いかけると、アゼレアは一瞬だけ目を伏せ、それから静かに答えた。
「ああ、別に血は繋がってはいない」
「そうなの?」
アゼレアが頷き、懐かしむような目をして言う。
「私の洗礼式のとき、初めてお会いしてからの関係だ」
「そうなんだ……」
「まだ小さかった私に、姉のように世話を焼いてな。色々と社交の場で教えていただいたのだ」
……そんな前からなんだ。
「それで……お姉ちゃんなの?」
アゼレアは口元をわずかに緩めた。
「フレデリカ様が勝手に言い始めてな。だが、私も……本当の姉のように思っていた」
……そっか。じゃあ、お姉ちゃんなんだね。
マテオの書類を書く手が止まり、何かを思い出したように顔を上げた。
「どうしたのマテオ?」
「いえ、あの頃の姫様をふと思い出しまして……」
緩んだ顔のマテオに、アゼレアが視線を向ける。
「マテオ」
「なんでも、ございません」
アゼレアの低い声を受け、再びマテオは紙に筆を走らせた。
マテオだって古参の部下だ。
今度、機会があったら聞いてみよう。
……アゼレアが小さな頃かぁ。ちょっと気になる。
「まぁ、父が亡くなってからは知っての通り、社交どころではなかったからな。会うのは五年ぶりといったところだ」
……アゼレアのことが心配だったんじゃない? そんな気がするよ。
わたしが「なるほどね」と納得した顔をしていると、アゼレアが小さく笑った。
「まさかお前が、フレデリカ様と知り合いとは思っていなかったがな」
……それはお互い様。
わたしだって、まさかアゼレアが知り合いだなんて思ってもみなかったわけで。
「……実は作法の講師だったの」
「フレデリカ様が講師だと?」
……ん? やけに驚いてるけど。そういえば、さっきもみんな直立してたしなぁ……。
ちょっと聞きたくないような気もするが、わたしは恐る恐る口を開く。
「うん……あのさ、フレデリカ様って、やっぱり偉い人なの?」
「ああ。サンドレアム最大の商業都市アレクシオを治める、マーキス・アレクシオの実の娘だ」
……超大物だった。
「うわぁ……」
「それに加え、現アード・レオンティカでもある。その辺のアードとは違い、別格だぞ」
「へ、へぇ~……」
……わたしって、アードにマナー教えてもらってたの?
いまさらだけど、鳥肌が立ってきた。
「だが、フレデリカ様が作法の講師……しかも、平民相手とは」
アゼレアは腕を組み、考え込んだ。
今思うと、たしかに変だ。
あの時はどこぞのお嬢様と思っていたが……まさかアードだったとは。
……それに、レオンティカって……。
あそこは、シュワシュワ石が発見された場所。
本当に何となくだが、所長の手のひらの上で転がされていた感がある。
……あの人ならやりそうだ。
今ならわかる。
採掘されたばかりの鉱石。
利用価値不明な鉱石を使った商品の開発。
その後を考えれば、その利益は大きい。
フレデリカにも多大な利益がある。
それを取引材料にしたのだろう。
結果的に、当時のわたしたちには大きすぎる後ろ盾を得た。
わたしの気づかないところで、はじめから守る気満々だったのだ。
……所長、優しさがわかりにくいんです。
あの何とも考えが読めない表情を思い浮かべると、その顔が、ふいに小さく笑った気がした。




