91話 積み重なる問題 ~急な報せ1~
白いクロスのかかった食卓に、次々と皿が並べられていく。
湯気を立てるスープの器。
焼き立てのパンの香ばしい匂い。
淡い彩りのサラダや、香草を添えた肉料理。
銀の食器が触れ合うたび、控えめな澄んだ音が室内に響いた。
午前の緊張がようやく解けたのか、部屋には静かな安堵が満ちている。
背を固くしていた感覚がゆるみ、ふっと肩の力が抜けていく。
温かなパンを指でちぎり口に運ぶと、ふんわりとした甘みが広がった。
冷え切っていた体に、スープの温かさがじんわりと染み込んでいく。
久しぶりに落ち着いた食事をしている――そんな錯覚さえ覚えるほどだった。
けれど、胸の奥には、さきほどの出来事が残り続けていた。
フレデリカのこと。
マーキス・グラベルのこと。
そして、とりわけ気にかかっているのは、フレデリカの言葉だ。
去り際に口にした「おおよそわかった」という言葉――つまり、あの会場にいた貴族たちの反応を、一つひとつ観察していたということだろう。
アゼレアの推測では、反領主派としてくすぶっている者を見極めるため。
わたしが矢面に立ったことで、好機と見た反領主派の化けの皮が、見事に剥がれただろうとのことだった。
……それで、お手柄ってわけか。
わたしにとっては、領主派や反領主派などあまり興味はないのだが、巻き込まれる以上は気を配っておかないと命取りになる。
……はぁ、役所で講義していた頃が懐かしい。
なんの緊張感もなかったなんて言うのは嘘になるが、少なくとも命のやり取りはなかったはずだ。
だが、今はどうだろうか。
あの頃の自分に言ってやりたい。
「毎日が命の削り合いよ」って。
そんなことを考えているとバタバタと外が騒がしくなり、落ち着いた食堂の空気がざわめきに揺らいだ。
……さっそく、嫌な予感だよ。
騒がしい足音が部屋の前で止まると、扉が激しく叩かれた。
「トバルより急報です!」
……トバルから?
「昨晩、トバルの作業場が襲撃を受け、建物が半壊しました!」
ガタッと音を立て、わたしは思わず椅子から立ち上がる。
「みんなは無事なの!?」
「わかりません。伝令は襲撃後すぐにこちらへ向かったそうで……」
……安否不明って。
焦る気持ちを抑えて、わたしはアゼレアを見る。
アゼレアはただ一度、深く頷き、すぐさま指示を飛ばした。
「すぐに向かうぞ。マテオ、準備だ!」
「はっ!」
……みんなにはまた会える。今は、とにかく向かわなきゃ。
◇ ◆ ◇
慌ただしい準備を終え、馬車へと乗り込む。
そのとき、アゼレアは一歩後ろに下がり、わたしたちを見送る位置に立った。
「アゼレア?」
「私は残る。サンドレアムにいる者たちから情報を集めねばならん……大丈夫だ。明日には合流する」
そう言って微笑むと、彼女は手を軽く上げ、扉が閉じられるまで見送ってくれた。
マテオを先頭に、護衛八名が周囲を警戒し、後方をエルネストが追従する。
残りの護衛はアゼレアと残った。
一日離れるだけ――そう頭ではわかっていても不安が募る。
頼れる背中がすぐ傍にないことが、こんなにも心細いなんて。
馬車の中に静かな揺れが広がる。
俯いていたロエナが顔を上げ、そっと口を開いた。
「……皆さんは、無事でしょうか」
ロエナの横顔も、不安を隠しきれていない。
わたしは小さく頷いて、窓の外に視線を移す。
街並みが後ろへと流れていくのを眺めながら、頭の中で考えを整理する。
作業場が襲撃されたのは、昨晩。
審問会の結果が出る前、つまり……はじめから襲撃は予定されていたことになる。
そうなると、審問会はただの囮だろうか。
わたしたちをサンドレアムに釘付けにしておくための陽動。
……そうなると狙いは。
ただの妨害工作……そんな単純なものだろうか。
……いや。
もし昨日、出立が少しでも遅れていたら――わたしたちは襲撃の最中に鉢合わせしていたかもしれない。
そう考えた途端、背筋に冷たいものが走った。
……落ち着け。
わたしは頭を振って、呼吸を整える。
こういう時は、相手の側に立って考えること――アゼレアがいつも言っていた。
アゼレアがマーキスの要請を拒むことは、まず考えられない。
だとすれば、どちらかがトバルに残ると相手は読んでいたはずだ。
……わたしが狙いなら。
排除した後、統治者不在の混乱に乗じて立候補すれば、トバルを手に入れるのは容易い。
逆にアゼレアが残った場合。
最も警戒すべき彼女を排除できれば、平民の小娘一人なんてどうとでもできる。
どちらにせよ、片方を排除できれば後は楽――そう考えたに違いない。
狙いはどちらでもよかったのかもしれない。
けれど、アゼレアがそれを許さなかった。
二人とも、トバルにはいなかったのだ。
レックナートを警戒したせいもあるが……結果として、相手の思惑は外れた。
……それで目標を切り替えた?
いや、もしかすると、はじめからそれも狙っていたのかもしれない。
アード・ロッタ――あの増悪に満ちた目を思い出す。
……あれは演技じゃない。
今わかることは、奴が本気で潰しにかかってきているということだろう。
「お嬢様、顔色が……大丈夫ですか?」
ロエナの心配そうな声に、はっと我に返る。
わたしは慌てて、にこりと笑ってみせた。
「大丈夫よ。ちょっと考え事をしてただけ」
そう口にしたものの、胸の奥に渦巻く不安は消えない。
トバルのみんなは本当に無事だろうか。
馬車は緩やかな丘を越え、小川をすぎたあたりで速度を落とした。
窓から見る視界の先に、見慣れたトバルの畑が広がる。
……もうすぐだ。
ごとん、ごとん、と車輪が土を踏みしめる音が胸の鼓動と重なる。
わたしたちは、トバルへ戻ってきたのだ。




