90話 姉妹のように ~優しさのかたち1~
控室に戻り、扉が閉じられる音と同時に外のざわめきが遠のいていった。
背中に張りついていた視線の重さが、ようやく剥がれ落ちる。
わたしは部屋に足を踏み入れると、たまらず深く息を吐いた。
「……ふぅ」
次の瞬間、アゼレアがわたしをぎゅぅっと抱きしめてくる。
「よく頑張ったわね」
アゼレアの優しい声。
張りつめていたものが一気に解け、我慢していた涙があふれ出す。
「……つらかった。くるしかったよ……それよりも、くやしかった……」
子供のように胸に顔を埋めて、言葉が止まらなかった。
「そうか」
アゼレアはそれ以上何も言わず、ただ強く抱きしめてくれる。
彼女の体温が優しくて、胸の鼓動が心地いい。
そのまま疲れに負けて、わたしの意識はゆるやかに沈んでいった。
◇ ◆ ◇
気づくと、いつもの不思議空間にわたしはいた。
「あれ? ここにいるってことは、わたし、寝ちゃった?」
問いかけると、周りの精霊たちがチカッと青く光り、こくんと頷くように縦に揺れた。
「はぁ、そっかぁ……寝不足だったのかな」
すとんと肩の力が抜ける。
「それにしても――あいつ、なんなの!」
思い出しただけで、胸がムカムカしてきた
ぷんすか怒鳴ると、精霊たちがまた青く光って、同意するみたいに瞬いた。
「全部いいがかりじゃん! 自分は聞き取りしかやってないくせに、よく人のこと言えたわね!」
ぷりぷりと腕を組むと、精霊たちがくるくると回って肯定する。
「でしょ? ……思い出すだけで腹立ってきた!」
怒りに任せて吐き出すと、青い光がぱちぱち瞬いて賛同する。
「なぁにが、貴族の風上にも置けんよ……お前だっつうの!」
最後のひと言をぶつけると、精霊たちが一斉にきらりと光り、空間がぱっと明るく弾けた。
そうやってしばらく愚痴をこぼしていると、胸のつかえが少しずつほどけていく。
「……はぁ、なんか妙にスッキリした気分」
精霊たちが青い光をまたたかせ、くすくす笑うように揺れる。
「みんな、ありがとう」
ふわりと手を振ると、光の粒が一斉に輝き、別れの合図を返してくれた。
「さてと……そろそろ行かなくちゃ。またね」
そう告げると、光が遠ざかり――視界が白くほどけ、意識が現実へと引き戻されていった。
◇ ◆ ◇
なんだか、頭を優しく撫でられている感触がする。
まだ視界はぼんやりとして、夢と現実の境目を漂っていた。
誰かの膝の上に頭を乗せているようで、細い指がそっと髪を梳いていく。
……誰だろう? 髪が金色? アゼレア……じゃない。茶色の髪のような――お母さん?
「お母さん!」
胸の奥が熱くなり、思わず声を上げて飛び起きた。
「あら、起きちゃったわ。可愛い寝顔だったのに」
優しい声に目を向けると、そこにいたのは――
「……フレデリカ、さま? どうしてここに……?」
そこにいたのは、かつてのマナー講師――フレデリカだった。
翡翠のように澄んだ瞳。
光を受けると、金髪はオレンジベージュの柔らかな色合いに変わり、その一房ごとの輝きがまるで宝石のように映える。
背筋を伸ばし微笑む姿は、まさに「優雅」という言葉がぴったりな貴族そのものだった。
「あなたの姿を見に来たのよ……よく、耐え抜きましたね」
……わたしを、見に?
なんだか気恥ずかしくて、顔を伏せる。
「あ、ありがとうございます」
「あら、久しぶりで緊張しているのかしら?」
フレデリカは柔らかく微笑み、まるであの頃と同じように語りかけてくれる。
わたしは状況をつかもうと、そっと目だけで周りを見渡した。
けれど、そこで気づいてしまった。
アゼレアが直立している。
マテオも、ロエナも、姿勢を正したまま微動だにしない。
……フレデリカ様って、もしかして……すごい偉い人?
勝手に緊張感が募り、胸がドキンと脈打つ。
「さて、そろそろ行くわね」
フレデリカは静かに立ち上がった。
その所作一つひとつが洗練されていて、慌ててわたしも席を立ち、見送ろうとした。
すると、ふっと彼女は身をかがめ、わたしの目の高さに合わせてくる。
「感謝します……妹のために言ってくれて、嬉しかったわ」
その微笑みは、今まで見たことのない――フレデリカ本来の顔のように思えた。
……妹?
背後で皆が深く頭を下げ、彼女を見送る。
「アゼレア……いい友を持ったわね」
「……はい。姉上」
アゼレアの声がわずかに震える。
「もう、『お姉様』でしょ」
……アゼレアのお姉ちゃん!?
そしてフレデリカは、わたしに振り返った。
「ルルーナ、反領主派の貴族は、おおよそわかったわ。お手柄よ」
……え? どういうこと?
「ごきげんよう」
優雅に退室していく背中を見送りながら、わたしはもう一度首を傾げた。
……ん? だから、意味がわからないんですが……?
次々と浮かんでくる疑問に、頭の中はぐるんぐるんと、かき回されていた。
お姉ちゃんって……どういうことだろう。
反領主派の貴族が、わかったとは……。
混乱しているわたしをよそに、アゼレアにマテオやロエナも、そろって小さく息を吐いた。
「ねぇ、アゼレア……」
説明を求めようと口を開いた、そのとき――
コン、コン。
控室の扉がノックされ、外から声が届く。
「――マーキス・グラベルがお見えになりました」
……ちょっと待ってよぉ。




