表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
228/231

89話  嘲笑されるもの ~本当の貴族をわたしは知ってる~




 アード・ロッタの叫びに会場が大きく揺れた。

 押し寄せるどよめき、傍聴席から次々と声が飛ぶ。


「確かに……奴隷となった女だ。何をやってもおかしくない」

「恥知らずめ、血筋を汚す行いだ」

「そんな者に支えられているとは、トバルも落ちたものだな」


 ……あんたらに何がわかるのよ。


 肩が震え、握った拳にぐっと力が入る。

 罵倒や非難が折り重なり、わたしの胸を押し潰すように迫る。


 無数の視線が突き刺さる――それなのに、不思議と心は静まっていった。


「まったくだ」

「あれで貴族とはな」


 その言葉たちが耳に焼きつき、頭の奥で何度も反響する。


 アゼレアを侮辱する声。

 彼女の覚悟を、努力を、矜持を――踏みにじる声。


 ……お前たちとは違う。わたしは知ってる……誇り高き貴族を。


 心の底から、熱いものが込み上げてきた。

 それは、怖さも震えも覆い隠すほどの強い感情。


 アード・ロッタは勝ち誇ったように両腕を広げる。


「見よ諸卿! この小娘の背後にいるのは、貴族でありながら平民に媚び、奴隷に身を落とした女だ! その操り人形の証言にどれほどの信を置けるというのだ! その言葉に何の価値がある?」


 会場は嘲笑の渦へと変わっていった。

 わたしの言葉はすべて掻き消され、孤立した存在として壇上に取り残される。


 ……もういいよ……もう――お前は喋るな。


 体の中心に燃え上がる熱を押し込み、わたしは口を開いた。

 自分の声とは思えないほど、抑揚のない声で。


「……マーキス・グラベル。この場では、わたしとアード・ロッタは対等な立場でしょうか?」


 マーキス・グラベルはわずかに目を細め、低く答えた。


「無論だ」


 わたしは小さく頷き、アード・ロッタを見据える。


「では、アード・ロッタにお聞きします」


 金茶の瞳が細められ、嘲り声が返ってくる。


「何かね?」


 わたしは息を整え、一気に言葉を放った。


「わたしの証拠が捏造だと言うのであれば――貴殿はどうなのですか? そもそも、分銅が偽造されているというのであるなら、なぜ数多くの取引をしてきたサンドレアムで、偽造貨幣が見つかっていないのですか? ロッタでは、どのような調査を行ったのでしょうか? お答えいただけますか?」


 わたしの言葉に会場がざわつく。

 攻められる側から一転、問いかけたのは小娘と蔑まれていたわたし。


 好奇の目が再び集まり、空気が鋭く張り詰めていく。


「……ほう」


 アード・ロッタの口元が歪んだ。

 冷ややかな笑みを浮かべながらも、その瞳の奥にわずかな揺らぎが走る。


「小娘が私に問い返すか……面白い」


 わずかに低くなった声が会場に響く。

 しかし、会場の視線はすでに彼へと注がれていた。

 逃げ場はない――問い返された以上、答えを示さねばならない。


 わたしは真っ直ぐに、アード・ロッタを見つめる。


 ……あなたの番よ、アード・ロッタ。


「サンドレアムで偽造貨幣が見つからなかった? ふん、それこそ怪しいではないか。まるで帳簿を操作し、偽造品を闇に葬ったようにも見える」


 ……なにそれ、くだらない。


 強引な理屈を並べ立て、笑みで覆い隠そうとする。

 だが横目で見れば、傍聴席にいた何人かの貴族が眉をひそめ、互いに囁き合っていた。


「……質問に答えよ、アード・ロッタ。ロッタでは、どのような調査を行ったのだ?」


 マーキス・グラベルの太い声が響き、会場をさらに緊張させた。


 一瞬、アード・ロッタの表情が固まる。

 すぐに笑みを作り直したが、その口元には僅かな硬さが残っていた。


「もちろん調査は行いました。都市内の商人に聞き取りをし、市場の秤も確認した……」


 傍聴席のあちこちで、囁き声が漏れる。

 彼の言葉に対し、「聞き取りだけか?」「秤の検査なら誰でも言える」と、疑念の声が広がっていく。


 マーキス・グラベルから追及があると思っていなかったのか、アード・ロッタの声に焦りが混じった。


「そもそも偽造の痕跡はトバルで隠されていたのだ……我らの調査が不十分に見えるのは、そのため……」


 言い訳めいた言葉が会場に虚しく響く。

 傍聴席の空気は先ほどまでの嘲笑から、じわじわと冷めた視線へと変わり始めていた。


 わたしもぐっと拳を握り込み、アード・ロッタを睨みつける。


 ……さぁ、お貴族様、証明してみせなさいよ。


 マーキス・グラベルが腕を組み、低く唸る。


「ふむ……聞き取りと秤の確認か……それで、分銅や鋳型そのものを調べた記録は?」


 アード・ロッタが一瞬、言葉を失った。

 その様子に、マーキス・グラベルの低い声が会場に重く落ちる。


「……つまり、そなたの言もまた、証明できぬわけだな?」


 その一言に、場の空気がびしりと凍りつく。

 アード・ロッタの金茶の瞳が揺らぎ、わずかに声を荒げた。


「な、何を言って……! 私は、調査を――」


 ――ドンッ!


「ほれ、証拠を提示せよ」


 マーキス・グラベルが机を拳で叩き、言葉を遮った。


「分銅の偽造を訴えるのならば、現物を示せ。儂が言っているのは、アード・トバル代理を責め立てた貴殿の言葉と同じことだぞ」


 会場がどよめきで揺れる。

 傍聴席を見れば、貴族たちが互いに顔を見合わせ、疑念の色を浮かべていた。


「しかし、奴は平民……同じでは……」


 アード・ロッタの口元から、勝ち誇った笑みが消えていく。

 彼は口を開きかけたが、それ以上、言葉が出てこなかったようだ。


 まさかマーキス・グラベルから援護されるとは、思っていなかった。

 けれど、これでアード・ロッタは苦しいはずだ。


 アード・ロッタの言葉を待つかのように、会場が静まり返る。

 しかし、静寂を破ったのは、やはりマーキス・グラベルの低い声だった。


「……茶番だな」


 彼は机に肘をつき、堂々と声を張り上げた。


「さて皆の衆。アード・トバル代理は、この短期間にこれだけの調査を成した。自ら偽造したのであれば――あまりにも不自然であろう。しかも、提出された書類にはサンドレアムの役所の印がある。もちろん……バニアの印もだ」


 その言葉に、アード・ロッタの瞳が大きく揺らいだ。


「バ、バニアの印だとっ!?」


 信じられないというように、アード・ロッタから言葉が漏れる。

 周囲からも驚きの波紋が広がった。


「疑いようもないな。むしろ、よく調べ上げたものだ」


 マーキス・グラベルはゆっくりとわたしへ視線を向け、豪快に笑った。


「――原告、アード・ロッタの告発を棄却する。異論はあるか?」


 会場を見渡すが、誰一人として声を上げる者はいない。

 沈黙が結論を肯定していた。


「よし。では、これにて解散とするっ!」


 重々しい声が会場に響き渡り、審問会は幕を閉じた。

 マーキス・グラベルをはじめ、上級貴族たちが退室していく。


 それを見送った瞬間、張りつめていた糸がぷつりと切れた。

 力が抜けそうになり、机に手をつき、何とか踏ん張る。


 ……ふぅ……耐えきった……よね。


 視線を感じ顔を上げると、アード・ロッタがこちらを睨みつけていた。

 口元は薄く笑っているのに、目だけは違った。


 金茶の瞳に宿るのは、悔しさと憎悪だろうか。

 このまま終わるはずがない。

 そう思わせる目だった。


 見ていたくなくて振り向けば、そこにはアゼレアとマテオ、ロエナの姿。


 三人が静かに微笑み、頷いてくれる。

 その眼差しに、胸の奥の恐怖が少しずつ和らいでいった。


 壇上を降り、出口へ向かう途中、ふと傍聴席に目をやった。

 見慣れた人影を見つけた瞬間、思わず足が止まる。


 ……所長。


 目が合うと、透き通った紫の瞳がわずかに細められる。

 そして、所長がゆっくりと頷いた。


(……よくやった)


 頭の奥に直接響く、澄んだ声。

 ぶわぁっと胸が熱くなり、わたしは小さく応えを返す。


(……はい)


 ……見守っていてくれたんだ。


 それだけで、目頭が熱くなるほど心が満たされていった。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ