89話 嘲笑されるもの ~本当の貴族をわたしは知ってる~
アード・ロッタの叫びに会場が大きく揺れた。
押し寄せるどよめき、傍聴席から次々と声が飛ぶ。
「確かに……奴隷となった女だ。何をやってもおかしくない」
「恥知らずめ、血筋を汚す行いだ」
「そんな者に支えられているとは、トバルも落ちたものだな」
……あんたらに何がわかるのよ。
肩が震え、握った拳にぐっと力が入る。
罵倒や非難が折り重なり、わたしの胸を押し潰すように迫る。
無数の視線が突き刺さる――それなのに、不思議と心は静まっていった。
「まったくだ」
「あれで貴族とはな」
その言葉たちが耳に焼きつき、頭の奥で何度も反響する。
アゼレアを侮辱する声。
彼女の覚悟を、努力を、矜持を――踏みにじる声。
……お前たちとは違う。わたしは知ってる……誇り高き貴族を。
心の底から、熱いものが込み上げてきた。
それは、怖さも震えも覆い隠すほどの強い感情。
アード・ロッタは勝ち誇ったように両腕を広げる。
「見よ諸卿! この小娘の背後にいるのは、貴族でありながら平民に媚び、奴隷に身を落とした女だ! その操り人形の証言にどれほどの信を置けるというのだ! その言葉に何の価値がある?」
会場は嘲笑の渦へと変わっていった。
わたしの言葉はすべて掻き消され、孤立した存在として壇上に取り残される。
……もういいよ……もう――お前は喋るな。
体の中心に燃え上がる熱を押し込み、わたしは口を開いた。
自分の声とは思えないほど、抑揚のない声で。
「……マーキス・グラベル。この場では、わたしとアード・ロッタは対等な立場でしょうか?」
マーキス・グラベルはわずかに目を細め、低く答えた。
「無論だ」
わたしは小さく頷き、アード・ロッタを見据える。
「では、アード・ロッタにお聞きします」
金茶の瞳が細められ、嘲り声が返ってくる。
「何かね?」
わたしは息を整え、一気に言葉を放った。
「わたしの証拠が捏造だと言うのであれば――貴殿はどうなのですか? そもそも、分銅が偽造されているというのであるなら、なぜ数多くの取引をしてきたサンドレアムで、偽造貨幣が見つかっていないのですか? ロッタでは、どのような調査を行ったのでしょうか? お答えいただけますか?」
わたしの言葉に会場がざわつく。
攻められる側から一転、問いかけたのは小娘と蔑まれていたわたし。
好奇の目が再び集まり、空気が鋭く張り詰めていく。
「……ほう」
アード・ロッタの口元が歪んだ。
冷ややかな笑みを浮かべながらも、その瞳の奥にわずかな揺らぎが走る。
「小娘が私に問い返すか……面白い」
わずかに低くなった声が会場に響く。
しかし、会場の視線はすでに彼へと注がれていた。
逃げ場はない――問い返された以上、答えを示さねばならない。
わたしは真っ直ぐに、アード・ロッタを見つめる。
……あなたの番よ、アード・ロッタ。
「サンドレアムで偽造貨幣が見つからなかった? ふん、それこそ怪しいではないか。まるで帳簿を操作し、偽造品を闇に葬ったようにも見える」
……なにそれ、くだらない。
強引な理屈を並べ立て、笑みで覆い隠そうとする。
だが横目で見れば、傍聴席にいた何人かの貴族が眉をひそめ、互いに囁き合っていた。
「……質問に答えよ、アード・ロッタ。ロッタでは、どのような調査を行ったのだ?」
マーキス・グラベルの太い声が響き、会場をさらに緊張させた。
一瞬、アード・ロッタの表情が固まる。
すぐに笑みを作り直したが、その口元には僅かな硬さが残っていた。
「もちろん調査は行いました。都市内の商人に聞き取りをし、市場の秤も確認した……」
傍聴席のあちこちで、囁き声が漏れる。
彼の言葉に対し、「聞き取りだけか?」「秤の検査なら誰でも言える」と、疑念の声が広がっていく。
マーキス・グラベルから追及があると思っていなかったのか、アード・ロッタの声に焦りが混じった。
「そもそも偽造の痕跡はトバルで隠されていたのだ……我らの調査が不十分に見えるのは、そのため……」
言い訳めいた言葉が会場に虚しく響く。
傍聴席の空気は先ほどまでの嘲笑から、じわじわと冷めた視線へと変わり始めていた。
わたしもぐっと拳を握り込み、アード・ロッタを睨みつける。
……さぁ、お貴族様、証明してみせなさいよ。
マーキス・グラベルが腕を組み、低く唸る。
「ふむ……聞き取りと秤の確認か……それで、分銅や鋳型そのものを調べた記録は?」
アード・ロッタが一瞬、言葉を失った。
その様子に、マーキス・グラベルの低い声が会場に重く落ちる。
「……つまり、そなたの言もまた、証明できぬわけだな?」
その一言に、場の空気がびしりと凍りつく。
アード・ロッタの金茶の瞳が揺らぎ、わずかに声を荒げた。
「な、何を言って……! 私は、調査を――」
――ドンッ!
「ほれ、証拠を提示せよ」
マーキス・グラベルが机を拳で叩き、言葉を遮った。
「分銅の偽造を訴えるのならば、現物を示せ。儂が言っているのは、アード・トバル代理を責め立てた貴殿の言葉と同じことだぞ」
会場がどよめきで揺れる。
傍聴席を見れば、貴族たちが互いに顔を見合わせ、疑念の色を浮かべていた。
「しかし、奴は平民……同じでは……」
アード・ロッタの口元から、勝ち誇った笑みが消えていく。
彼は口を開きかけたが、それ以上、言葉が出てこなかったようだ。
まさかマーキス・グラベルから援護されるとは、思っていなかった。
けれど、これでアード・ロッタは苦しいはずだ。
アード・ロッタの言葉を待つかのように、会場が静まり返る。
しかし、静寂を破ったのは、やはりマーキス・グラベルの低い声だった。
「……茶番だな」
彼は机に肘をつき、堂々と声を張り上げた。
「さて皆の衆。アード・トバル代理は、この短期間にこれだけの調査を成した。自ら偽造したのであれば――あまりにも不自然であろう。しかも、提出された書類にはサンドレアムの役所の印がある。もちろん……バニアの印もだ」
その言葉に、アード・ロッタの瞳が大きく揺らいだ。
「バ、バニアの印だとっ!?」
信じられないというように、アード・ロッタから言葉が漏れる。
周囲からも驚きの波紋が広がった。
「疑いようもないな。むしろ、よく調べ上げたものだ」
マーキス・グラベルはゆっくりとわたしへ視線を向け、豪快に笑った。
「――原告、アード・ロッタの告発を棄却する。異論はあるか?」
会場を見渡すが、誰一人として声を上げる者はいない。
沈黙が結論を肯定していた。
「よし。では、これにて解散とするっ!」
重々しい声が会場に響き渡り、審問会は幕を閉じた。
マーキス・グラベルをはじめ、上級貴族たちが退室していく。
それを見送った瞬間、張りつめていた糸がぷつりと切れた。
力が抜けそうになり、机に手をつき、何とか踏ん張る。
……ふぅ……耐えきった……よね。
視線を感じ顔を上げると、アード・ロッタがこちらを睨みつけていた。
口元は薄く笑っているのに、目だけは違った。
金茶の瞳に宿るのは、悔しさと憎悪だろうか。
このまま終わるはずがない。
そう思わせる目だった。
見ていたくなくて振り向けば、そこにはアゼレアとマテオ、ロエナの姿。
三人が静かに微笑み、頷いてくれる。
その眼差しに、胸の奥の恐怖が少しずつ和らいでいった。
壇上を降り、出口へ向かう途中、ふと傍聴席に目をやった。
見慣れた人影を見つけた瞬間、思わず足が止まる。
……所長。
目が合うと、透き通った紫の瞳がわずかに細められる。
そして、所長がゆっくりと頷いた。
(……よくやった)
頭の奥に直接響く、澄んだ声。
ぶわぁっと胸が熱くなり、わたしは小さく応えを返す。
(……はい)
……見守っていてくれたんだ。
それだけで、目頭が熱くなるほど心が満たされていった。




