89話 嘲笑されるもの ~傾く天秤2~
傍聴席が次第に収まり、緊張が高まる。
「うむ……」
マーキス・グラベルは書状を閉じ、重々しく頷いた。
「……なるほど。少なくとも放置したとは言えんな。調査と報告が続けられていたことは、この記録で明らかだ」
その言葉を受け、アード・ロッタがわずかに目を細めた。
「偽金貨の存在は事実。しかし、それを追及し処置した足跡もまた事実――そういうことだな」
マーキス・グラベルの太い声が会場全体に響く。
わたしは小さく息を吐き、緊張がほんの少しだけ和らいだ。
沈黙を破ったのは、再び立ち上がったアード・ロッタだった。
冷ややかな笑みを浮かべながら、わざとらしく肩をすくめる。
「……ふん。偽金貨については認めるとしよう。だが、問題はそれだけではあるまい」
金茶の瞳が鋭く光り、わたしを射抜く。
「公定分銅の偽造――事実ではないと言ったが……これについて、どう弁明する?」
傍聴席が再び湧いた。
アード・ロッタに呼応するかの如く、「分銅を偽造か」「秤そのものが信じられん」といった囁きが、矢のように飛んでくる。
けれど、これは事実無根。
絶対に譲ってはいけないところだ。
わたしは深く息を吸い、まっすぐに言葉を放った。
「……先程申し上げた通り、事実ではありません」
傍聴席が一瞬静まった隙に、わたしは続けた。
「トバルにおいて、全ての秤を検査しました。鍛冶場の鋳型を調べ、分銅を鋳直した記録も残っています。ですが、偽造の痕跡はどこにも見つかりませんでした」
傍聴席から若干の驚きが混じった声が聞こえた。
「全て検査をしたのか」
「分銅の鋳型まで調べたというのか」
ちらりと傍聴席を見たアード・ロッタは、それでも余裕の表情のままだ。
「つまり、分銅が偽造されていたという告発そのものが、根拠のないものです」
震えを隠しきれない声だったが、言葉は確かに響いた。
視線が再び集中し、空気が張り詰める。
「何を言い出すかと思えば……その記録自体が捏造されたものではないのか?」
……そんなの、いいがかりだ。
アード・ロッタの冷笑とともに放たれた一言が、会場全体を揺さぶった。
すぐさま傍聴席から、「なるほど」「記録など、いくらでも書けるな」と貴族たちの声が飛び交う。
たしかに、今この場に分銅や鋳型の現物を持ってきてはいない。
調査を行ったのは事実だが、それを示すのは書類だけ。
反論しようと口を開きかけるが声が出ない。
……前を向け、わたし。
「どうした、代理殿?」
アード・ロッタがわざとらしく首を傾げ、口元を歪める。
「記録があると言い張るなら、今ここで現物を出してみせよ……できぬのなら、その記録こそが作り物と見なされても仕方あるまい」
傍聴席から嘲笑が漏れる。
「やはり子供には無理だった」
「口先だけか」
煽る言葉の数々に焦りが増す。
……どうする……どうしたら……。
頭の中で必死に言葉を探す。
けれど、確かな反論が見つからない。
重苦しい沈黙の中、アード・ロッタの声だけが冷たく響いた。
「沈黙こそ答えだ――諸卿、これが都市を預かるという小娘の実態よ」
冷笑とともに会場に響いた言葉に、いくつもの嘲笑が重なった。
会場の空気が一気にアード・ロッタの側へ傾いていく。
その空気をさらに押し固めるように、アード・ロッタが一歩踏み出した。
「いや、考えるまでもあるまい。どうせお前の答えなど、すべてアゼレアの入れ知恵だろう?」
はっと顔を上げた瞬間、彼の鋭い声が突き刺さる。
……一体、何を?
「命惜しさに平民の奴隷に身を落とした女のな!」
ざわめきが爆ぜるように広がった。
「奴隷だと?」
「なんと浅ましい」
傍聴席の貴族たちが口々に囁く。
アード・ロッタは口角を吊り上げ、さらに声を張った。
「自らの誇りを捨てて小娘に従うとは、貴族の風上にも置けん! そんなお飾りをこの場に上げるなど、茶番以外の何ものでもあるまい!」
……おまえは……。
冷酷な言葉が容赦なく会場に突き刺さる。
横目で傍聴席を見れば、その声を肯定するような貴族たちが多数見える。
会場は完全にアード・ロッタの支配下へと傾いた。




