73話 嵐は突然やって来る ~見えない風の中で1~
あれから何度か手紙のやりとりをして、ついに『神の恵み』をどう伝えるかも決まった。
商会の物資を運んできたお父さんに、豊作祝いのお土産と一緒に封書を託す。
「これで確実に届く」――そう言ったのは、所長自身だ。
万が一を考えて、重要なものはライアットを経由にするように、と。
あの人らしい慎重さに、わたしはちょっと笑ってしまった。
……もう、届いた頃かな。
そして、土の月、前節。
とうとう収穫の日が来た。
朝早くから畑には人があふれ、鎌が一斉に小麦を刈り取っていく。
千歯扱きの軽快な音があちこちから響き、黄金色の穂が次々と束ねられていく。
去年は不作と混乱でろくに収穫もできなかったから、みんなの顔は明るくて、声も弾んでいた。
精霊たちまで畑を飛び回っていて、まるで一緒にお祝いしているみたい。
そんな中、にぎやかな空気を切り裂くように、通りの向こうから馬車の列がやってきた。
立派な紋章を掲げ、従者や兵士を従えた一団。
人々が、ざわめきながら道をあける。
馬車の扉がゆっくりと開き、金髪碧眼の男性が現れた。
歳は三十手前くらいの、柔らかい笑顔を浮かべた好青年風の貴族。
馬車から降りた彼は、にこやかに周囲を見渡しながら一歩前へ出た。
金髪を揺らし、碧眼が陽を反射してきらりと光る。
「徴税官のレックナートだ」
声は明るいが、有無を言わせぬ調子だ。
視線が真っ直ぐこちらに向いてきて、自然と姿勢を正す。
「お前が――例の、平民上がりの代理か?」
笑みを浮かべながらもその口ぶりには、明らかに身分差を意識した響きがあった。
周囲の大人たちが一瞬ひやりとした顔をしたが、彼は気にも留めず歩み寄ってくる。
……これが、徴税官。
◇ ◆ ◇
わたしは胸を張り、まっすぐに一礼した。
「……はい。代理を務めております、ルルーナです」
レックナートは顎に手を当ててわたしを値踏みするように眺め、それからわざとらしく口角を上げた。
「ほう……年端もいかぬ娘が代理を務めるとはな。領都でも噂になっていたぞ」
横でマテオが一歩前に出かけたが、レックナートは片手を軽く振って制した。
「いや、よい。数字や収支の話なら後でいくらでも聞ける……今はこの子に訊こう」
彼は畑に視線を移し、束ねられた小麦の穂を手に取った。
「これはどうやって扱き落とす? ――説明してみろ、アード代理」
唐突に振られて、一瞬言葉が詰まりそうになる。
だが、ここで怯んではいけない。
わたしは深く息を吸い、努めて落ち着いた声を返した。
「……千歯扱きを用います。木製の枠に櫛のように刃を並べ、そこに穂を通すことで、一度に大量の籾を外せます。従来の棒打ちに比べ、効率は五倍以上です」
言葉を聞いたレックナートの目が細くなる。
「ふむ……子供にしては、よく覚えているな」
軽く笑いながらも、声音には試すような響き。
わたしは視線を逸らさず、黙ってその視線を受け止めた。
畑の視察を終えると、レックナートは町の方へ歩みを進めた。
従者や役人が慌てて後に続く中、わたしとアゼレア、マテオも並んで歩を進める。
大通りに出たところで、洗濯中の平民たちの姿が目に入った。
板に布を押し当て、ごしごしと擦っている。
「……初めて見る板だな」
レックナートがその様子を見渡し、指先が一枚の洗濯板を指した。
「アード代理、これは何だ?」
「洗濯板です。表面に刻んだ波目で布を擦ることで、汚れを効率的に落とせます。従来の石や板に比べ、短時間で仕上がります」
レックナートは興味深そうに覗き込み、顎に手を当てた。
「なるほど……平民の道具にしては、工夫があるな」
今度は屋台の一角に目を留めた。
「そちらの、刃の付いた板は何だ?」
わたしは視線を追い、台に置かれた木枠の器具を見る。
「おろし金です。根菜を擦り下ろして細かくします。この場では大根を使っています」
店主が気を利かせて差し出した器から、レックナートはひとつまみを指で取って口に運んだ。
「……おもしろいな。歯ざわりも悪くない」
貴族が庶民の屋台で味見をする光景に、周囲が目を丸くする。
だが、本人はまったく意に介さない様子。
……この人、貴族なんでしょ?
貴族のはずなのに、わたしの知っている貴族とはかけ離れていた。
その光景に、なんとも言えない不安が募る。
そんな調子で興味を示す対象は次々と移り変わる。
やがて狩人の一団を見つけると、レックナートは迷わず声をかけた。
「お前たち、これからどこへ行く?」
「収穫祭の獲物を調達に。山の方までムッガルを狩りに参ります」
「そうか――じゃあ、俺も行ってくる」
「……はっ?」
わたしを含め、アゼレアもマテオも言葉を失った。
だがレックナートは従者に向き直り、当然のように指示を飛ばす。
「調査はお前たちで進めておけ。俺は狩りを見てくる」
そして、制止する間もなく狩人たちの後に続いて行ってしまった。
わたしたちはその場に残され、ただ唖然と見送るしかなかった。
「……なんなの、あの人」
自然とこぼした言葉を、誰も否定はしなかった。




