72話 積み上げたもの ~春の風は吹き抜けて3~
甘くて美味しいものが採り放題。
なんていい響きだろう。
すぐさま足早でマテオのところに戻る。
「ねぇ、マテオ。空き瓶ってある?」
「瓶……ですか?」
怪訝そうに首を傾げながらも、マテオは近くの店に声をかけて、余り物の空き瓶を何本か手に入れてくれた。
「代理殿、一体何を……?」
「ちょっと行ってくる!」
瓶を抱えて、わたしは再び畑の方へ向かう。
歩きながら辺りをきょろきょろとすると、精霊たちが「こっちこっち」と言わんばかりに飛び回っていた。
導かれるままに小麦へ近づくと、穂先から金色の雫がとろりと垂れている。
「ふふん、ゲット」
空き瓶を取り出し、慎重にその蜜を集めていく。
瓶の底にたまった金色の液体は、やっぱり蜂蜜みたいに見えた。
光を反射して輝くそれを見つめながら、わたしはニヤけてしまった。
瓶を抱えて戻ると、マテオがちょうど役人に指示を出し終えていた。
「じゃ~ん! 見てこれっ!」
自慢げに瓶を突き出すと、中で金色の液体がきらりと光った。
「……代理殿、これは?」
マテオは眉をひそめ、困惑したように瓶を覗き込んだ。
「え、なにって……ん?」
胸を張って言ったのに、マテオの反応は鈍い。
それどころか、視線を泳がせている。
「……何かあるんですか?」
そうマテオが問いかけた瞬間、胸の奥がざわっとした。
……やばい。これって、わたしにしか見えてないやつ?
ちらりと横目で精霊を見ると、みんな一斉に首を縦に振り頷いていた。
……うわぁ……久しぶりの、この感覚。
背中に変な汗が流れる。
「え、あれ? 虫……逃げちゃったかな?」
慌てて言い訳を口にすると、マテオは大きくため息をついた。
「代理殿……よく分かりませんが、また新しい遊びでしょうか?」
……これはセ、セーフ。
町の視察を終えて執務室に戻ると、例の瓶はこっそり私室に運んで隠した。
わたし以外には、ただの空き瓶。
盗まれる心配もないだろう。
仕事に戻り帳簿を広げてみるけど、数字がまったく頭に入らない。
視線はすぐに、隣の私室へと泳いでしまう……瓶のことが気になって仕方ない。
……どうしようかな。ご褒美で自分用にしておく?
やっぱり所長に相談すべきかもしれない。
あれだけ精霊がはしゃいでたんだから、ただの甘味ってわけでもないはずだし。
でも、危険なものって感じはしなかった。
甘くて美味しくて、喉をすっと通るくらいで……。
手紙で相談しようにも、精霊関係のことは書けない。
下手に書いたらマズイのは分かってる。
……あっ。
はっと閃いた。
精霊は、この世界では神の御使いみたいに言われてるのだから……「神の恵みをいただいた」って書いたら、どうだろうか?
所長なら、わたしが普段『神』なんて言葉をほとんど使わないことくらい、わかっている。
きっと気づいてくれるはずだ。
……うん、それなら伝えられるかも。
◇ ◆ ◇
夕方、仕事をひと段落させて私室へ戻る。
鍵を開けて、戸棚から布袋をそっと取り出した。
「ちゃんと見張ってた!」と言わんばかりに、精霊たちの小さな気配がわらわらと動く。
……うん、大丈夫。
「これ、どうやって使うのが正解なんだろうね」
答えのない独り言。
瓶の中で金色がゆらりと光った気がした。
気のせいじゃない、と思う。
精霊たちが、瓶のそばでちょこんと座って、こっちを見上げている。
「まずは所長に手紙を出して……それから、ちょっとだけ、わたしへのご褒美」
指先に一滴。
ぺろりと舌の上でころがすと、今日一日の疲れがすうっと溶けていくみたいに、肩の力が抜けた。
「……ふぅ、これはいいわぁ」
明日からはもっと忙しくなる。
屋台、装飾、食材、踊りの順番。
わたしの仕事も山ほどある。
でも、きっと楽しいし、みんな笑ってくれる。
机の上に置いた封書を見て、もう一度、頷いた。
「届いてね──神の恵みって、そういう意味だよ、所長」
机の端で、精霊たちが一緒になって、ぴょ~んと跳ねる。
わたしは笑って、胸に手紙をそっと当てた。
……さてと。
そろそろ夕食の時間だ。
明日の献立を賭けて、アゼレアとのジャンケンが待っている。
負けるわけにはいかない……。
……今日も勝たせてもらうわよ。
沈みかけた夕日に向かって小さな拳を突き出すと、窓の外で優しい風に旗がゆらりとはためいた。




