71話 思う想い ~その手が求めるなら2~
何か言葉を探している、というわけではなさそうだ。
己の気持ちを必死に押さえ込んでいるように見える。
「……私、あの時……何も分かってなかった」
ぽつりと零れた声は、思いのほか生々しい。
拳を握りしめ、爪が食い込んでいるのも構わずに続ける。
「ルルーナを守るなんて口で言って……結局は軽率に動いただけ。状況も相手の力も、何一つ見えていなかった。だから……」
「……お姉ちゃん」
悔しさに喉が詰まるのか、声がかすれ、肩が震えている。
視線を上げようとしないその姿に、嘘偽りの気配はなかった。
私は机に指を軽く置き、ゆっくりと口を開いた。
「……それでも、立ち向かおうとした。守ろうとした心は、本物だった」
エステラが顔を上げる。
そこには、戸惑いが混ざった瞳が見えた。
そこに私はあえて言葉を重ねる。
「だけど――守りたい気持ちだけでは足りない」
エステラの瞳が揺れるのを見届け、声の調子を低くする。
「状況を読む力。退く勇気。時に誰かに助けを求める冷静さ。どれも欠ければ、守りたいものを守るどころか、自分ごと潰される」
その言葉にエステラは唇を軽く噛んだ。
だが、逃げずに視線をこちらへ向けている。
……そうだ。その目は嫌いじゃない。
未熟で、拙くて、だが確かに前へ進もうとする者の目だ。
「いい、エステラ」
名を呼ぶと、エステラはびくりと身を震わせた。
だが視線は逸らさない。
「私は、あなたをまだ子供だと思っている。でも――その心を笑う気はない」
エステラの瞳がわずかに揺れる。
安堵と驚きが入り混じった色。
「未熟なら磨けばいい。無力なら積み重ねればいい……それができる者だけが、本当に強くなれる」
エステラは唇を結び、深く頷いた。
声にはならなくても、その仕草だけで十分だった。
「ふん……まあ、次は私に余計な手間をかけさせないでよ」
わざとぶっきらぼうに言い放つと、ルルーナがくすりと笑った。
「それって、期待してるってことだよね? アゼレア」
「……お前な」
たまらず小さな息が漏れる。
だが、二人の姉妹が並んで立つ姿を前にして、口元の硬さが少しだけ緩んだのを自覚した。
エステラはしばらく黙ったまま、握りしめた拳を震わせていた。
やがて深く息を吸い込み、はっきりと頷く。
「……はい。次は……必ず」
短い言葉だが、そこに迷いはなかった。
私はその声音を聞きながら、わずかに肩の力を抜く。
ルルーナが満足げに姉の手を取った。
「ほらね。お姉ちゃんはもう前に進める」
エステラは驚いたようにルルーナを見下ろし、そして小さく笑った。
その笑みはまだぎこちないが、さっきまでの影を少しずつ押しのけている。
……まったく。お前は本当に、どうしてこうやって人を救う。
私は視線を逸らし、机の上の筆に触れた。
「用件は済んだはずよ」
そう告げると、二人は同時にこちらへ向き直り、深く頭を下げた。
二人が笑顔で退出していくのを見送る。
扉が閉まったあとも、室内には微かに笑い声の余韻が残っている気がした。
……不思議ね。あれほど重く張り詰めていた空気が、こうも容易く和らぐなんて。
と、間を置かずに再び扉が叩かれる。
「入れ」
声をかけると、姿を現したのはルルーナの父、ライアットだった。
私の前に進み出るや否や、片膝をついて頭を垂れる。
「……娘を救ってくださったこと、深く感謝申し上げます」
私はわずかに眉を寄せる。
「やめろ。私はもうアードではない。そんな礼は受ける立場にない」
しかし彼は顔を上げず、静かに言葉を返した。
「では――」
立ち上がると、今度は一歩下がり、優雅な一礼を見せる。
動作は流れるようで淀みがなく、紛れもなく高位貴族に仕える者の所作だった。
……平民にしては随分と綺麗な礼ね。
やはり、ルルーナの周りには面白い人物が多い。
「まずは、父としての礼を……あの子らを救っていただいた」
「違うな。自分で道を切り開いただけだ。私は、たまたまその場にいただけにすぎない」
私の言葉に、ライアットは首を横に振った。
「いいえ。アゼレア殿がいなければ、娘たちの安全はなかった。どんな理由をつけようとも、父として礼を言わねばならない」
父として。
その言葉に胸の奥が微かに疼く。
羨望にも似た感情が、喉の奥に引っかかった。
「……そうか。ならば、感謝は受け取っておこう」
小さく息を吐いて言葉を続ける。
「だが、救われたのは私のほうでもある……あの子に」
口にしてから、自分でも驚いた。
今ここで、言うべき言葉ではないはずなのに……。
けれど、ライアットの方がもっと強く目を見開いていた。
私は視線を逸らし、机に置かれた帳簿へ目を向ける。
「ルルーナの強さは、本物だ……」
ライアットはしばし黙したまま私を見つめ、やがて静かに頷いた。
その眼差しには確信の色が宿っていた。
ライアットは私から視線を外すと、遠いものを見ているような眼差しになった。
やがて口を開いた声は、戦場帰りの武人らしからぬ柔らかさを帯びていた。
「……ルルーナは、昔から妙に賢い子でした。まだ言葉を覚えたばかりの頃から、周りをよく観察して……時に、年寄り顔負けのことを口にする」
ライアットはかすかに笑みを浮かべ、そして顔を曇らせた。
「本当は不気味に思ったこともありました……悪魔憑きかと疑った時期すらあった」
その告白には、親としての苦悩がありありと滲んでいた。




